スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

地域の大人として伝え、残したい十三の魅力 淀川フォーラム実行委員長 小竹 武さん

下町情緒漂う「十三の顔」といえば、この方。開業医としての本業の傍ら、学校に地域の人が押しかけて授業をする「十三あたりわてらの集い」の仕掛人や、淀川水系の自然を守り、伝える場として活動する「淀川フォーラム実行委員会」委員長など、いくつもの顔をお持ちの小竹武さん。いいと思ったことはすべて実践してきた今、「行動し、思いを伝えていけば、叶わぬことはない」と断言する。そのバイタリティーあふれる人間の魅力に迫った!

 

淀川フォーラム実行委員長 小竹 武さん
こたけ たけし  1924年大阪市淀川区十三出身、在住。医学博士。1948年大阪大学医学部附属医専卒業後、大阪大学医療技術短大教授、大阪大学医学部附属病院医局長代表を経て先代の開業した小竹医院院長(内科・小児科・放射線科)に。「秩父の宮賞」「国際協力機構JICA総裁国際功労賞」「朝日新聞第1回朝日のびのび教育賞」「第3回なにわ名物準大賞」「大阪府環境対応表彰」「日本鳥類保護連盟褒状」「宇宙メダカ研究会功績賞」ほか多数受賞。現在は、淀川フォーラム実行委員長、淀川ネイチャークラブ会長、十三あたりわてらの集い世話人、大阪市立十三中学校校医、学校産業医、JR鉄道嘱託医、スポーツ医、日本宇宙メダカ研究会近畿地区顧問、国土交通省淀川水系流域委員、河川レンジャー運営委員、梅の里教育文化共和国領事館館長ほか病院、学校、地域に関わる要職を兼務。

「押しかけ授業」で学校が変わった!

藤本 「十三の顔」ともいえる地域の有名人でいらっしゃる小竹さんですが、今日は、開業医以外のお話も伺わせてください。

小竹 あちこちに顔は出していますが、大したことはしていません。もともとわが家は医者の家系。今は3代目の私、5代目の孫を含め、9人が医者をやっています。小竹 武さんとの対談写真 その1

藤本 この場所でずっとやっていらっしゃるんですか。

小竹 大正10年に十三に開業した父の後を継ぎ、戦後間もないころから大阪市立十三中学校の校医を務めています。患者さん一人ひとりに向き合う医師という仕事柄、自然に顔が広くなっていったのです。

藤本 まずは「十三あたりわてらの集い」について教えていただけますか。

小竹 腕のいい宮大工やかつら職人、有名な画家など地域の職人さんたちが学校に出かけて「押しかけ授業」をするという試みを始めたのは、1998年のことです。

藤本 当時は画期的な試みだったと思いますが、きっかけは何だったのですか。

小竹 地域の方が集まった忘年会の雑談で「これだけの顔ぶれがいるのだから、みんなで何か仕掛けませんか?」と言われたのが始まりです。最初は十三中の1年生を対象に、1時間目は元ラジオ大阪の尾崎千秋さんによる「日本語の使い方」の授業。2時間目は職人さんたちが入り、それぞれの仕事や人生のエピソードなどを話しました。

藤本 子どもたちにとっては、新鮮で楽しい授業だったでしょうね。

小竹 宮大工さんが1本のノミを子どもたちに示しながら「10年前に師匠からもらったこのノミは、今日までに10cmもすり減ってしまったが、これが私の歴史です」と語ると、子どもたちは目の色を変え、身を乗り出して聞き入りました。

藤本 仕事に打ち込んできた方の体験談ほど、心を打つものはありません。教科書には書いてないことばかりでしょうね。

小竹 学校教育は基本ですが、社会に出たら必ず必要な知恵とかルールとかを子どもたちに伝えたかったんです。「今は立派に見えるぼくたちにも、みんなやんちゃな時代があった。こんな失敗をしてきたんや」と。

藤本 子どもたちには、どれほどの勇気や励みになるでしょう。

小竹 同じ時間に一斉に行うため、休み時間になるとよそのクラスの子どもと交わって、「うちはこんな話だった」と情報交換が始まりました。それまで学校の窓ガラスが割られてしまうような荒れていた学校が、みるみる変わりました。生徒たちが、うそのようにおとなしくなったんです。子どもたちが家庭で食卓の話題にしたり、放課後に講師の元を訪ねる子どもがあらわれたりと、想像以上の反響がありました。小竹 武さんとの対談写真 その2

藤本 小竹さんがこの「押しかけ授業」で一番伝えたかったことは何ですか。

小竹 「テストで良い点を取ることだけが人生ではない。得意なことや好きなことを見つけて、それぞれの人生を生きる」ということ。ものづくりの感性は、子どもたちの好奇心を広げ、感性を高めるはずです。

藤本 本当にその通りですね。講師になった皆さんの反応はどうでしたか。

小竹 面白いことに、「今回だけで、もう堪忍してや」と言って引き受けてくれた人が、子どもたちに刺激を受け、「今度はいつや? 次はもっと勉強してから(教壇に)立たしてや」と言い出したんです。

藤本 素晴らしい学び合いの効果ですね。しかも、その後も回を重ね、今も続いているというのがすごいことですね。

小竹 2年目には1年生と2年生に、その後は全学年を対象にと、年を追うごとに広がっていき、今では十三小学校でも6年生を対象に行っています。これは校長先生をはじめ、講師の方々の理解と協力があってのものですが、おかげさまで1999年に「朝日のびのび教育賞」をいただきました。

地域の開業医としてできること

藤本 いわゆる「十三方式」(※)と呼ばれるもので、教育の世界では有名ですね。学校の理解はもちろんですが、小竹さんのようなコーディネーターの存在なくして実現しないことです。地域と学校の連携・協働はどこのエリアでも常に大きな課題です。そのあたりのコツを教えていただけませんか。

※十三方式/地域の人が講師となり、学校で子どもたちに向けて授業を展開すること。今ではこうした取り組みも珍しくなくなったが、始まった1998年当時は全く新しい「学校と地域の連携」モデルとして、教育界で有名になった。

小竹 校医、開業医、鉄道嘱託医、産業医の人脈が大いに役立ちました。子どもを守るのは地域の大人たちの役目という明解な動機なので、話を持ちかけられて断る人はいません。「小竹先生がそう言うなら」と、皆さん協力してくれました(笑)。過去を批判するのではなく、この先できることを共に考える。雑談の中で話すのもポイントです。

藤本 地域に信頼できる医師がいるというのはどれだけ心強いかわかりません。「小竹先生がおっしゃるなら」という皆さんの気持ち、よくわかります。小竹 武さんとの対談写真 その3

小竹 命を救う仕事柄、いつ呼び出されるかわかりません。大晦日の夜に列車の運転士からSOSがきたこともあるし、先日も突然「地域17小学校のキックベースボール大会があるから来てほしい」とFAXがあり、早朝から夕方まで十三中学校のグラウンドへ呼び出されましたよ。

藤本 来るのが当たり前なんですね(笑)。

小竹 炎天下の中で、子どもたちが熱中症にでもなったら大変です。去年は淀川河川敷のイベントで「おばあちゃんが土手から転げ落ちた」というんで診ると、擦過傷と軽い脳震盪でした。かけつけた救急隊には「CTは撮らんでいい」と指示をしましたよ。

藤本 小竹さんのようなドクターがいてくださったら、それは安心です。

小竹 阪神・淡路大震災の経験からつくづく思うのですが、医師も教師も、地域を守るには、自分の住んでいる街に勤めることが大切です。急患のときも大病院では医師を呼ぶのに時間がかかってしまうし、学校で災害が起きたとき、安全に子どもたちを避難・誘導させるには、地域を熟知している人が必要です。校医も健康診断や押しかけ授業のときだけ学校に行くのでは、子どもたちとの交流や信頼はできません。地元にいて普段の関わりがあるからこそ信頼ができるし、必要なことが見えてくるのです。

淀川の自然を守り、伝えるために

藤本 小竹さんのように地域に愛情を持って、自分のこと以上に地域貢献をしている人は滅多にいらっしゃらないと思います。

小竹 ぼくは十三の街が大好きなんです。一時はあきらめていた淀川の水質も、人々の努力や自然の力で、干潟のシジミが食べられるまでに改善されました。大都会の河川敷で、70種類もの淡水魚や、100種類以上の野鳥を観察することができるんです。

藤本 その思いが「淀川ネイチャークラブ」につながっているのですね。

小竹 200世帯の会員さんが淀川河川敷で月例観察会を実施。また、英真学園高等学校(大阪市淀川区)の全校生徒による恒例の「淀川河川敷クリーンアップ作戦」も、淀川の自然を守り、その大切さを実感するという大きな意義を持っています。花火大会後に集めたごみの量は3000袋にのぼり、ビニール類の量に驚いた生徒たちが「腐らないからだね」と話したそうです。

藤本 ごみの多さを知ると同時に、豊かな自然を感じることができる。体験からの学びにまさるものはありませんね。

小竹 ユニークな動きとしては「宇宙メダカ」の飼育と研究をしています。宇宙飛行士の向井千秋さんから宇宙で産卵したメダカが贈られたのをきっかけに、JR新大阪駅の待合室に「宇宙メダカ水族館」を常設。年中無休で世話をし、東京大学の宇宙メダカ遺伝子の研究・調査に協力しています。

藤本 早速、今度新大阪を利用する機会に観察させていただきますね(笑)。

小竹 これらの活動の流れを受け、国土交通省の淀川水系流域委員に任命されたのが4年前。その後、その経験を地元で生かそうと「淀川フォーラム実行委員会」を発足させました。淀川の自然を人々に知ってもらい、伝え残していく活動を続けるため、毎月1回、国土交通省河川敷担当の福島事務所・淀川区役所の皆さんや女性会、地域の世話人ら約30人が集まって「あーだ、こーだ」としゃべっています。

藤本 具体的にどんな活動を?小竹 武さんとの対談写真 その4

小竹 十三干潟と柴島わんどの野鳥観察会のほか、行政と連携して「河川敷フェスティバル」なども開催しています。

藤本 野鳥といえば、小竹さんの家の前は「つばめ通り」というそうですね。

小竹 これも偶然ですが、20年前に地域の親子の集まりで「ツバメの巣が、どこにいくつある」と聞いたのが事の発端です。早速町内を調べたら、周辺には15個の巣があり、わが家の軒先にはなんと、5つもの巣がつくられていました。そこで、十三東本通商店街を「つばめ通り」と命名。「地域でツバメの飛来を守ろう」と取り組みを始めました。『燕のピーちゃん』という曲をつくり、ご当地ソングを集めたCDを発表。ついでにPRすると、商店街に私設「交通文化博物館」を設立、運営もしています。

藤本 とどまるところを知らない小竹さんの活動ですね。身の回りの出来事や出会った人々を次々に結びつけ、展開させていく手腕は、まさに「地域プロデューサー」。素晴らしい企画力と行動力です。今も現役で患者さんたちを診ながら、これだけのことをなさっているなんて、信じられません。

小竹 診療は子どもたちに任せたい反面、どうしてもぼくじゃないとだめなおばあちゃんたちがいて、皆さん「薬はいらんから、話を聞いてほしい」と言うんです(笑)。

藤本 診察室の様子が想像できますね。最近はコンピュータの画面ばかり見て、患者さんのほうを見ないとか、問診や触診をしない医師も多いそうですよ。

小竹 医師として職人的な技は必要ですが、基本は人と向き合う仕事です。今は、社会全体がおかしくなっています。今のうちに急いで手直ししないといけませんね。

出会いをつなぎ、形にしていくこと

藤本 人生を振り返っていかがですか。

小竹 ぼく自身はやんちゃな少年時代を過ごしました。地域にはガキ大将がいたし、子どもたちは悪さをすれば当たり前に柿の木にしばられ、迎えに来てくれた親と一緒に謝って帰るような生活が普通にありました。十三には地域のつながりが残っているとはいえ、若い人を巻き込んでいくのは容易ではありません。人とのつながりを大切にする精神や、自然をはじめ、さまざまなものに感謝する気持ち、そんなものを伝えていかなければなりません。

藤本 頭で考え、口で言うのは簡単ですが、その先が難しい。実際に行動し、形にしていらっしゃるのが、すごいところです。

小竹 「お父さんは夢みたいなことばかり言ってるけど、こんなことできるかな?と口にしたことはたいがい数年後には実現しているね」と家族にも言われます。自分で考え、いいと思ったら実行し、人に伝えていくことが大切。すべては、これまでぼくが出会った皆さんのおかげと感謝しています。

藤本 最後に夢を教えてください。小竹 武さんとの対談写真 その5

小竹 地域の大人として、子どもたちが愛着を持てる街づくりを続けていきたい。そして、医師として最後にやるべきことは「病院船」づくりだと思っています。長い間産業医として社会を眺めてきましたが、災害時に陸の交通が麻痺してしまうことを想定すれば、最新式の医療設備を搭載し、ヘリコプターを完備。診療要員をも配備した5万トンクラスの船が必要です。すでに具体的な接岸地なども構想しています。

藤本 壮大な計画ですね。有言実行の小竹さんならきっと、数年後には形にしてしまうのでしょうね。これからもますます精力的にご活躍ください。今日は素晴らしいお話を、どうもありがとうございました。

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