藤本 「十三の顔」ともいえる地域の有名人でいらっしゃる小竹さんですが、今日は、開業医以外のお話も伺わせてください。
小竹 あちこちに顔は出していますが、大したことはしていません。もともとわが家は医者の家系。今は3代目の私、5代目の孫を含め、9人が医者をやっています。
藤本 この場所でずっとやっていらっしゃるんですか。
小竹 大正10年に十三に開業した父の後を継ぎ、戦後間もないころから大阪市立十三中学校の校医を務めています。患者さん一人ひとりに向き合う医師という仕事柄、自然に顔が広くなっていったのです。
藤本 まずは「十三あたりわてらの集い」について教えていただけますか。
小竹 腕のいい宮大工やかつら職人、有名な画家など地域の職人さんたちが学校に出かけて「押しかけ授業」をするという試みを始めたのは、1998年のことです。
藤本 当時は画期的な試みだったと思いますが、きっかけは何だったのですか。
小竹 地域の方が集まった忘年会の雑談で「これだけの顔ぶれがいるのだから、みんなで何か仕掛けませんか?」と言われたのが始まりです。最初は十三中の1年生を対象に、1時間目は元ラジオ大阪の尾崎千秋さんによる「日本語の使い方」の授業。2時間目は職人さんたちが入り、それぞれの仕事や人生のエピソードなどを話しました。
藤本 子どもたちにとっては、新鮮で楽しい授業だったでしょうね。
小竹 宮大工さんが1本のノミを子どもたちに示しながら「10年前に師匠からもらったこのノミは、今日までに10cmもすり減ってしまったが、これが私の歴史です」と語ると、子どもたちは目の色を変え、身を乗り出して聞き入りました。
藤本 仕事に打ち込んできた方の体験談ほど、心を打つものはありません。教科書には書いてないことばかりでしょうね。
小竹 学校教育は基本ですが、社会に出たら必ず必要な知恵とかルールとかを子どもたちに伝えたかったんです。「今は立派に見えるぼくたちにも、みんなやんちゃな時代があった。こんな失敗をしてきたんや」と。
藤本 子どもたちには、どれほどの勇気や励みになるでしょう。
小竹 同じ時間に一斉に行うため、休み時間になるとよそのクラスの子どもと交わって、「うちはこんな話だった」と情報交換が始まりました。それまで学校の窓ガラスが割られてしまうような荒れていた学校が、みるみる変わりました。生徒たちが、うそのようにおとなしくなったんです。子どもたちが家庭で食卓の話題にしたり、放課後に講師の元を訪ねる子どもがあらわれたりと、想像以上の反響がありました。
藤本 小竹さんがこの「押しかけ授業」で一番伝えたかったことは何ですか。
小竹 「テストで良い点を取ることだけが人生ではない。得意なことや好きなことを見つけて、それぞれの人生を生きる」ということ。ものづくりの感性は、子どもたちの好奇心を広げ、感性を高めるはずです。
藤本 本当にその通りですね。講師になった皆さんの反応はどうでしたか。
小竹 面白いことに、「今回だけで、もう堪忍してや」と言って引き受けてくれた人が、子どもたちに刺激を受け、「今度はいつや? 次はもっと勉強してから(教壇に)立たしてや」と言い出したんです。
藤本 素晴らしい学び合いの効果ですね。しかも、その後も回を重ね、今も続いているというのがすごいことですね。
小竹 2年目には1年生と2年生に、その後は全学年を対象にと、年を追うごとに広がっていき、今では十三小学校でも6年生を対象に行っています。これは校長先生をはじめ、講師の方々の理解と協力があってのものですが、おかげさまで1999年に「朝日のびのび教育賞」をいただきました。