藤本 難波りんごさんって、素敵な名前ですね。芸名ですか。
難波 本名なんです。といっても改名ですが。実は、結婚して夫の母と同姓同名になったので、ややこしいから変えたんです。
藤本 りんごが大好きとか?
難波 親しみが持てていいかなと。でも50歳を過ぎ、みずみずしさがなくなってきたので、「干りんご」にしたほうがいいかもしれませんね(笑)。
藤本 難波さんとは同じ歳なのでお互い様(笑)。それに、これまでの活動を拝見すると、似ているところがありますね。子育て真っ最中の時期に、お母さんたち向けのミニコミ紙をつくられていたそうですね。
難波 『おかあさんチョット…』という生活情報紙です。
藤本 つくられたきっかけは?
難波 末の娘が入園し、少しだけ時間にゆとりができたとき、地域のミニコミ紙をつくる仕事があったので、応募したのです。もともと社内報を担当していたので、その経験も生かせるなと思いまして。
藤本 阿倍野区版の編集長だったそうで、大変だったでしょう。
難波 子どもを自転車に乗せて取材に出かけたこともあり、大変でしたが、それ以上に得るものがありましたね。
藤本 どれくらい続けられたのですか。
難波 5年ほどですが、この新聞づくりを通して、阿倍野のまちの素晴らしさや、人のあたたかさを知りました。
藤本 みんな意外に自分のまちのことは知らない。でも、取材を通じて人の話を聞き、メモをとることで、見えてくるんですよね。
難波 昔から探究心は旺盛だったので、いろいろな人から感動させられたり教えられたりで、本当に学ばせていただきました。
藤本 一緒につくる母親仲間のつながりもできたでしょう?
難波 子育ての悩みを語り合ったり喜び合ったり、随分助けられました。とても恵まれた子育て環境だったと思います。
藤本 私も同様の活動をしてきたので、よくわかります。多くの母親たちが、子育て中は何もできないとあきらめています。このような活動から自分が社会の中で生かされている喜びを感じ、勇気や自信を持てるようになったりするんですよね。それを辞めてしまったのはなぜですか。
難波 小学校の広報委員長を頼まれ、両立させる自信がなく、突然でしたが、50号というキリがいいところで辞めました。それでも地域の人たちや母親同士のつながりは残り、いまだにおつきあいしています。
藤本 ミニコミ紙づくりが、今の難波さんの土台になっているのでしょうね。
難波 ミニコミ紙で阿倍野の歴史を伝える連載をしていたのですが、それがきっかけで阿倍野の歴史や史跡に興味を持ち始めました。そして、ちょうど30年以上住んだ阿倍野から大阪狭山市へ引越しが決まったときに、いい機会だから、阿倍野の歴史を一冊にまとめようと思い立ったのです。
藤本 素晴らしいことですね。長年暮らした阿倍野というまちへの愛のカタチ?
難波 それまでたくさんの先生方にいただいた貴重な資料を、無駄にしてしまっては申し訳ないと思って…。
藤本 大変な引越しの片付けですね。
難波 7月末に引越しが決まっていて、思いついたのが5月の連休ですから、完成までに3か月弱。ものすごく大変でした。