藤本 素晴らしい日本の文化がありながら、なぜそれがなくなってしまったのでしょう。
永井 西洋人の真似をしたからでしょうね。日本文化の最たるものは「敬語」です。日本語ではわたくし、わたし、せっしゃ、わし…と、そのつど相手を見て適切な言葉を選び、関係をつくらないといけません。時には「俺とお前」の関係をつくる。すなわち「言葉」というのは、自分の身を守る「武器」なんです。
藤本 言葉を知らないと身を守れないというのはもっともですね。でも今は、子どもばかりか、大人も正しい敬語を使えません。
永井 子どもに英語教育もいいが、その前に子どもに敬語を使わせなさい。親や先生に敬語を使えないまま、就職してすぐに「あんたね」では通らないでしょ。
藤本 国際社会に向けての英語教育の大切さもいわれていますが。
永井 仕事でドイツに行ったぼくのいとこは、半年でドイツ語がペラペラになりましたし、相撲界には、見事な日本語を話す外国人力士もたくさんいる。つまり、必要のない子どもに語学を強要しても何もならないというか、むしろ嫌いになる子もいるでしょう。ぼくは英語を9年間、大学の4年間はフランス語を勉強しましたが、ちっとも身につきませんでした。でも、もし英語を武器とする人が本気で勉強すれば、半年で覚えてしまうものですよ。
藤本 言葉は「コミュニケーションツール」といわれますが。
永井 ぼくに言わせれば、その定義自体が少し違っています。人間同士のコミュニケーションに必要なのは「心」であって、言葉は二の次、三の次です。この前、高倉健さんが中国に行って素晴らしい映画を撮ってきましたが、あれだって、健さんが中国語をしゃべれたかっていったらそうじゃない。
藤本 それ以前の問題なのですね。
永井 相手とどうコミュニケーションしたいかです。何万人に一人のピアニストやバイオリニストを育てようと思ったら、小さいころから音楽の環境の中に入れて教育することも必要でしょうが、英語はまた少し違うような気がします。
藤本 小さいころ外国に暮らしていて英語が話せたのに、日本に帰ってきたらすっかり忘れてしまったという帰国子女も多いですね。 
永井 国は学校にネイティブスピーカーを導入するのに、ものすごいお金をかけていますが、そういう方向にいってしまうのは、言葉の定義を考えない役人が多いからでしょうね。
藤本 現場の先生も、がんばって教育の変化に対応していっていますが、実際のところ、かなりしんどさはあるようですね。
永井 「詰め込み教育」に「ゆとり教育」、そして今度は「学力問題」。先生も右往左往でしょう。子どもの能力は無限にあって、教えたら教えただけ伸びるものです。2か月という芝居の上演期間中、与えられたことだけをやっていた人と、自ら役に関する知識を細かく研究し、勉強した人とでは、うんと差が出ます。結論をいえば、やはり知識は必要なんです。知識についての教育方針が、コロコロ変わり過ぎるのも問題です。
藤本 一人ひとりの先生や親がしっかりしていれば、問題もないのでしょうが。
永井 多くは自分の考えを持たずに、マスコミや情報に影響されてしまう。評論家たちの責任も大きいですよ。みんなが「夢を持たなきゃいけない」と騒ぐから、まだそこにたどり着けない人たちがコンプレックスを持ってしまう。
藤本 そうですね。夢なんて、そう簡単に見つけられるものではありませんね。
永井 ですからぼくの所に来る若者たちには、「夢を持ちなさい」ではなく、「何でもいいから好きなことをしなさい」と言っているんです。ぼく自身、芝居が好きで好きでたまらなくて、それをやっていたら自然と道が開けてきた。 先日もシニア世代の講演に招かれましたが、与えられた演題は「生きがい」というものでした。
藤本 書店に行けば、「生きがい探し」や「自分探し」の本がたくさん並んでいます。
永井 生きがいなんて、慌てて探しても見つからない。本を読んだってダメですよ。今まで面白くもない仕事だけで生きてきて、今ごろ「生きがいを失った」と言っても仕方ない。退職してやることがない人もいれば、ぼくみたいに、いまだにやりたいことだらけで忙しい人もいる。