スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

病いと闘いながら女将として生きる 湯河原温泉「旅荘 船越」女将 平野洋子さん

宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』に続き、2004年には詩人谷川俊太郎氏との共作『世界の約束』が再び宮崎監督の『ハウルの動く城』の主題歌となって大ヒット。美しい映像に、やわらかで包み込むような美しい旋律が重なった。竪琴ライアーを使った独自の弾き語りスタイルで歌う木村弓さん。その透き通ったのびやかな歌声から、あたたかさ、やさしさ、そして強さが伝わってくる。自ら健康を害すなどつらい経験をしてたどりついた今、歌声に乗せて人々に伝えたい思いとは…。

 

音楽家 木村 弓さん
きむら ゆみ  大阪市出身。神戸女学院高等学部から米国へ単身留学。カリフォルニア州立大学に進学し、ピアノを専攻。帰国後、声楽家を志望するが脊椎を害し歌を一時断念。その後、食事療法、瞑想法などにより再起。1988年竪琴ライアーと出会い、独自のスタイルの弾き語りを確立。1991年アルバム『銀のしずく』をリリース。2001年宮崎駿監督作品 『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』を作曲して歌う(日本レコード大賞金賞を受賞。第56回毎日映画コンクール音楽賞、日本アカデミー賞主題歌賞受賞)。2004年には詩人谷川俊太郎氏と共作した『世界の約束』が再び宮崎監督の『ハウルの動く城』の主題歌として起用される。現在はライアーの弾き語りにとどまらず、ピアノとのデュオをはじめ、ストリングス、ギターとの共演なども精力的に行い、全国各地で演奏活動を展開中。
http://www.youmi-kimura.com

『千と千尋の神隠し』の主題歌に

藤本 今日はコンサートを聴かせていただき、ありがとうございます。生でお聴きするのは初めてでしたが、とても素晴らしく、思わず涙が込み上げてきてしまいました。言葉ではうまく表現できませんが、心の奥深い所に、木村さんの思いが伝わってきたような感じがしました。木村 弓さんとの対談写真 その1

木村 そんな風に言ってくださって、すごくうれしいです。こちらこそありがとうございます。

藤本 小柄な木村さんのどこからあんなエネルギーが出てくるのでしょう。私は木村さんの歌声から、やさしさだけではなく、強さや勇気、そんなエネルギッシュなものを感じました。

木村 私の歌を、やさしさや癒しという表現でとらえられる方はたくさんいますが、藤本さんのように感じていただけると、大変うれしいです。

藤本 音楽で感じるものは人によって違うのでしょうが、私は間違いなく、やさしさというよりは強さを感じましたね。ものすごく大きな衝撃で、今も心臓がドキドキしています。そしてもうひとつ感動したのは、やはり『いつも何度でも』のときには『千と千尋の神隠し』の映像が、『世界の約束』では『ハウルの動く城』の映像が、しっかりと思い出されたことですね。

木村 それは音楽と映像を上手にミックスしてくださった宮崎駿監督の素晴らしさだと思いますが。私の歌をたくさんの方に知っていただいたり、聴いていただいたりするという意味でも、宮崎作品との出会いは大きいですね。

藤本 そのお話を聞かせていただけますか。

木村 宮崎駿監督の映画は『風の谷のナウシカ』のあたりから、「こんな透明な感覚を持っている人が日本にもいらっしゃったんだ」と、いつも感心して拝見していたんです。そして、もしそこに歌が使われるのだとしたら、「私の声が合うんじゃないかしら」とふと思ったんです。

藤本 直感ですね。

木村 勝手に思い込んだだけですけどね(笑)。「手紙を書こうかな、でも体調が今ひとつだし…」と実行に移せないままに時間が経ち…。その後『もののけ姫』が大ヒットして、「今さら手紙を書いても、単なる売り込みと思われるかな」と一旦はあきらめたんです。それでもなぜか気になって、人混みが苦手な私が「やっぱり劇場で観てみたい」と思い立ち、映画館に足を運んだのです。劇場公開があと数日で終了するというときでした。

藤本 ご覧になって、いかがでしたか。

木村 あまりに映画のインパクトが強く、心に残って仕方がなくなってしまったんです。「宮崎監督のキャラクターに、私の歌で花を添えられたら…」、そうと思ったら、涙がボロボロとこぼれて止まらなくなって…。頭の中にはどんどん世界が広がってきて、自分でも「これはもう普通じゃない」と、思いきって手紙を書くことにしたんです。

藤本 居ても立ってもいられない?

木村 ええ。自分の中からマグマのような思いがふつふつとわいてきて、何かに突き動かされるかのように手紙を書きました。歌を聴いてもらいたいと思い、CDを同封して送ったんです。するとすぐにお礼のお手紙が届きました。そこには、『煙突描きのリン』という当時企画中の作品について書かれてあったんです。

藤本 それは、どんな作品だったのですか。

木村 物語は、群発地震におそわれ、瓦礫の街になってしまった東京のお風呂屋さんが舞台。そこに、絵の勉強のために大阪からやってきたひとりの女の子・リンが登場します。煙突に絵を描くことを条件にお風呂屋さんに住まわせてもらうリン。廃虚となった東京の街を見下ろして、煙突に絵を描きながら、リンは歌を口ずさみます…。

藤本 作曲の依頼だったのですか。

木村 残念ながら、「企画を進めていますが、どうなるかわからない。実現するときには、声をかけるかもしれません」とあっただけでした(笑)。するとしばらくして、私の中に、あるメロディーが繰り返し浮かんできて、「これは煙突描きのリンに合うかな」って思ったんです。

藤本 どんなメロディーだったのですか。

木村 「いつも心踊る夢を見ていたい」というフレーズです。悲惨なときも、夢を描けるエネルギッシュな女の子。自分を励ますようなメロディーでした。そこで、当時から一緒に作品づくりをしていた作詞家の覚和歌子さんに詞をつけていただいたのが『いつも何度でも』です。「宮崎監督にきっかけをいただいて、この曲が生まれました」と、テープをお送りしたんです。

藤本 宮崎監督の反応はいかがでしたか。

木村 「暗い地平線を見つめながら、リンがこの歌を口ずさむ横顔が目に浮かびます」とお返事をくださいました。でも企画がボツになってしまったそうで、「とてもいい曲なので、大切にしてください」と結ばれていました。木村 弓さんとの対談写真 その2

藤本 残念でしたね。

木村 それから1年半ほど経った2001年の春のことです。突然に「あのときの曲を、夏に公開する映画のエンディングに流したい」とご連絡をいただいたのです。

藤本 驚かれたでしょう。

木村 うれしい反面、そのときすでにテレビで予告編を見ていましたから、正直「大丈夫かな、映画と合うのかなあ」と心配でしたね。「曲を聴きながら筆を進めていった」というのは、あとになって聞きました。

藤本 監督の中には、最初からあの曲があったのですね。映画をご覧になっていかがでしたか。

木村 ドキドキして、最初は落ち着いて観ていられませんでした。安心して見られるようになったのは、3度目くらいでしょうか(笑)。

心の底からわき上がってくるもの

藤本 『千と千尋の神隠し』には、『煙突描きのリン』の企画があちこちに盛り込まれているそうですね。監督の人々に伝えたい思いと木村さんの思いが、潜在意識としてつながっていたような気がします。あの曲が映画すべてを表現しているのですから、不思議ですね。ところで曲づくりというのは、どんな風になさるのですか。

木村 映像からつくる人もいますが、私は、自分の中からわき上がってくるものしか表現できない。体験も勉強も未熟なので、イメージはできても、浮かんでくるのを待つしかありません。

藤本 どんなときにわいてくるのですか。

木村 いつも試行錯誤です。自分の深い所に問いかけたり、お祈りしたり…。イメージをふくらませる努力はしますが、だからといってすぐにわいてくるものではなく、たいていは、そのうちにふっとわいてくる。

藤本 簡単にはいきませんよね。

木村 以前、詩人の谷川俊太郎さんもおっしゃっていましたが、映像に合わせ過ぎると、映像と同じ世界しか表現できません。制限を与えてしまうのではなく、想像の世界をふくらませていくのが、音楽の素晴らしさだと思います。

藤本 アニメの世界はなおさら、目に見えるものだけでなく、音楽を通して感じてもらうことも重要なのでしょう。

木村 そういう意味では、やはり感性がとても大切です。

藤本 感性教育が必要なのは、子どもだけではなく、大人も同じです。ところで木村さんは、小さいころ、どんなお子さんだったのですか。

社会に矛盾を感じてアメリカへ

木村 子どものころはけっこうやんちゃでしたね。母がとても几帳面で、テーブルに並べるお皿の柄の曲がりも気にするような人でした。でも、私はどちらかというと、自分に無理ができないタイプ。あまのじゃくで、いつも反抗していましたよ。優等生タイプの兄と比較されて、「難しい子」といわれていました。ある意味「自分」を持っていたのかもしれません。

藤本 音楽へ進もうという進路も、自分で決められたのですか。

木村 実は、高校1年生のときに、単身でアメリカに留学したんです。上下関係や本音と建て前が存在する日本の大人社会への疑問というか、反発のようなものでしたね。

藤本 ほとんどの人が、その矛盾を当たり前に享受していくのが今の社会。疑問を持ち、しかもアクションしていくなんて、いいですね。

木村 自分としては「大人になったら、あんな風にしなければいけないの?」という素朴な疑問でした。同時に、映画で観ていたアメリカ社会は、それに比べて自由で、とても空気がよく感じられたんです。「こんにちは!」と言ったら「こんにちは!」と気持ちよく返してくれそうな。私にはきっとアメリカが向いているな、と思ったんです。

藤本 ご両親の反対はありませんでしたか。

木村 親には内緒で交換留学のプログラムを調べたら、当時は高校2年生からしか実施されていなかったんです。でもそれまで待てなくて、図書館で調べ、アメリカの新聞社30社に、自分で手紙を書いたんです。そしたらわずかに1社、カリフォルニア州の新聞社に掲載され、結果、15組のホストファミリーが返事をくださったんです。

藤本 素晴らしい行動力ですね。木村 弓さんとの対談写真 その3

木村 普段はボーッとしていますが、「コレッ!」と思ったらエネルギーが出るタイプなんです。

藤本 じゃあ、音楽もアメリカで?

木村 以前からお芝居に興味があったのですが、とりあえず現地の高校を経て、小さいころからやっていたピアノで大学へ進学。でも最終的には、声楽の道を志すことになりました。

藤本 本格的には、日本へ帰られてからですか。

木村 それが、帰国して間もなくのことです。NYアクターズスタジオの方が東京でゼミを開いていることを知り、演劇への夢を抱いて早速参加したんです。人生を振り返り、過去のネガティブな緊張を発散するというハードなエクササイズもあって、そこで無理をし過ぎたのと、それまでの疲れもあったのでしょう。思いがけず、脊椎を悪くして、声が出なくなってしまったのです。

藤本 歌えないなんて、どれほど苦しかったでしょう。よく乗り越えることができましたね。

木村 幸い良い先生との出会いがあり、食事療法やイメージトレーニングを重ね、5年あまりの時間をかけて徐々に快復。それから、歌うことで、自分を表現するのが楽しくなっていきました。

生きることの励ましになる曲を

藤本 コンサートで弾いてくださった竪琴ライアーを始めたのは、いつごろのことですか。

木村 以前から「竪琴のような音色」に惹かれてはいたんです。でもグランドハープは大きくて運ぶのが大変だし、値段も高い…。そんなときに、あるコンサートで初めてライアーの演奏を聴き、「コレだっ! これこそ21世紀の楽器だ! 人に聴かせるための楽器ではなくて、自分の歌と自分自身を助けてくれる楽器…」とひらめいて、そのあとすぐに買いに行ったんです。

藤本 またしても素晴らしい行動力! 

木村 形が曲線でやさしく、子どもを抱いているようなイメージが気に入ったんです。ライアーはバランスのとれた音量で、押し付けがましくなく、弾き語りにピッタリの楽器です。私は歌が中心なので、ライアーはあくまでもサポートとしての役割です。

藤本 アルバム『愛されていると』の中には、子守唄が入っていますね。「ぜひマタニティの方やお母さんに聴いてほしい」と説明にありましたが。

木村 最近はコンサートに親子連れが多くなりましたので、子育て中のお母様にも喜んでいただける曲、「明日もがんばろう」と思えるような曲を。そう思ってつくりました。

藤本 今は一見平和な世の中ですが、親も子もみんなギリギリの状態です。社会で起きているさまざまな事件や問題も、犠牲になるのは常に子どもたちなんです。

木村 世の中を見れば、癒しを求めている時代だと思います。でも、だからといってやさしいだけの音楽ではなく、もっと心の底からわき出るような感動の瞬間を感じられる音楽を。

藤本 やさしいライアーの音色と、美しく澄みわたる木村さんの歌声。私が木村さんの音楽に感じた強さが必要なんだと思います。ところで木村さんにとって、「音楽」とは一体何でしょう。

木村 誰もが心の奥に持っている肯定的な気持ちを引き出すのが、音楽の力だと思います。普段は忘れてしまっている、輝くような大きなエネルギー、生かされていることへの畏敬の念とでもいいましょうか。いい音楽を聴いて、そういう感情をよみがえらせてほしいんです。

藤本 確かにそうですね。自分の奥にある、きれいな心、素晴らしい輝き…。

木村 私自身もさまざまな経験から今がある。人々に生きている素晴らしさを伝えるためにも、励みになるような歌をつくっていきたいですね。大人も子どもも肯定的に生きていければ、素敵な世の中になると思うんです。歌詞をお願いするときも、できるだけ肯定的な言葉を選んでいただくようにしていますし、私も普段からそれを意識して生活しています。悪いことを考えたり、言いたくなることもありますが、そのたびに「あっ!」と口にチャックをし、「良くないときこそ良くなるチャンス」と、ポジティブな思考を心がけています。

藤本 歌っているときはどうですか。

木村 歌詞をイメージするのはもちろんですが、同時に、できるだけ自分の心の奥の深くて明るい世界を感じるようにしています。ライブでは聴いてくださっている方の波動に助けられて、自分の中の高まりが大きくなっていくこともあります。

藤本 木村さんの歌を聴いていたら、言葉が生きているように感じられました。木村 弓さんとの対談写真 その4

木村 常に、自分の正直な心で歌っていきたいと思っています。それには私自身が、しっかり生きていかなければなりませんね。

藤本 これからもどうぞ、たくさんの人々、お母さんや子どもたちのためにも、美しい木村さんの歌声を聴かせていただけたらと思います。子どもたちにもワクワクドキドキした感覚を味わわせてあげたい。頭ではなく、心で感じるという経験を。今日は素晴らしい音楽とお話をどうもありがとうございました。今後ともますますのご活躍をお祈りしています。

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