藤本 絵本を出したり、二科展に出品したりもされていますね。
三枝 趣味程度ですね。描くことが好きなんで、今も理事会やら何やら難しい会議では、大事な資料に人の顔とかいろいろ描いています。テストの答案用紙にもたいがい絵を描いていました(笑)。
藤本 学生時代にそういう子、いましたね。それに、三枝さんは大変な読書家だとか
三枝 歴史の本がとくに好きですが、ジャンルにこだわらずにいろいろな本を読みます。
藤本 創作落語に続いて、大河歴史小説『ゴルフ夜明け前』も執筆されましたね。
三枝 実はそのころ、ある悩みを抱えていたんです。20代からテレビで売れに売れ、東京と大阪を行ったり来たり。考える間もなく仕事をこなしてきたために身体に変調をきたしたんです。自律神経失調症といって、恐怖感にかられ、めまいや動悸などさまざまな症状があらわれる病気です。
藤本 レギュラーを抱え、仕事は大丈夫でしたか。
三枝 仕事は休みませんでしたが、どこかこう、いつも頭の中がポーッとしているような…。そこで仕事も少し整理して、セラピーの意味も兼ねて執筆を始めたんです。生活のリズムを変えて、自分を見つめ直すことにもなりました。
藤本 小説は、落語づくりとはまた違いましたか。
三枝 小説なんて簡単と高をくくっていたらとんでもない。坂本竜馬がクラブを持って長崎の町を走るシーンを書こうとすると、彼がどんな男で、そのとき月がどう出ていて、当時の町の人はどんな服を着て何を食べていたかを知らなければ描けない。ついにはオランダの図書館に行き、250年前の商館の日誌を紐解くことになりました。
藤本 相当の思いでつくられたのですね
三枝 小説は約1年で完成し、その後、念願の映画化も実現しました。それとともに、ぼくの身体も徐々に快復してきたのです。
藤本 創作落語『ゴルフ夜明け前』は、三枝さんのターニングポイントになったそうですね。
三枝 文化庁芸術祭に参加し、大賞をいただいたんです。この受賞は、ぼくにとっては非常に大きなものでした。まだまだ評価の低かった創作落語が認められた。しかもテレビなどのチームプレーではなく、落語という個人芸が認められたことで、ぼく自身ものすごくうれしかったんです。
藤本 落語を続けてきた甲斐がありましたね
三枝 ところが喜びも束の間。今まで「三枝くん」と呼んでくれていた人に「師匠」と呼ばれることが、次第に重荷になってきた。日本のテレビ界は芸を見せるための場である前に、スポンサーの広告活動の場であるという現実。落語家としての評価はその分格上という感じになり、テレビのほうも使いづらい。これがひとつの契機となって、はっきりと方向性を見極めたのです。
藤本 具体的にはどのような?
三枝 全国各地の高座を増やすと同時に、これからも創作落語を続け、それを残していくことに努めようと。創作落語は、常に「ここをもう少しこうしたほうが…」となるから完成はありません。それでも「どこかで残しておかないとキリがない。やるなら脂の乗った今しかない」と、毎月独演会を開催するという、落語マラソンさながらの企画『創作落語125撰』をスタートさせたのです。
藤本 完走までには、ご苦労なさったでしょう。
三枝 必死で落語に取り組んだ3年半。今までこれほどしんどかったことはありません。うれしかったのは2度目の芸術祭大賞の受賞と、人間国宝の桂米朝師匠から「上方落語を全国区にしてくれた」とおほめの言葉をいただいたことです。応援してくれた皆さんにも、本当に感謝しています。
藤本 ところで、これまでの人生で影響を受けた人物といえば?
三枝 母には、箸の上げ下ろしから、礼儀作法や言葉遣いまでを厳しく教えられました。人と関わる世界で、どれほどこれが役に立ったことか。
藤本 仕事ではいかがですか。
三枝 高校の演劇部で友人と組んで漫才をやっていたころ、先輩がプロとして漫才の世界へ。レツゴー三匹の正児さんですが、その関係で初めてやすしさんと出会ったんです。同じ歳に思えないほど、やすしさんは大人びていたというか、迫力があった。「こんなこわい人がおるとこではできないな」というのが当時のぼくの感想でした(笑)。
藤本 その後デビューして、やすしさんとご一緒されたときはどうでしたか。
三枝 ある日、やすしさんに「ちょっと来い!」と呼ばれたんです。殴られるのかと心配しながら行くと、「君、評判悪いぞ」と切り出したんです。
藤本 どういうことですか。
三枝 当時は殺人的なスケジュールでしたから、出番の順が変わったりして共演の皆さんに迷惑をかけたりするんです。おまけに終わったらすぐ次へと移動するから、きちんと謝ることもできない。周りの年長者にしてみれば「若いのに生意気な」となるわけです。でもやすしさんはこう続けられた。「いろんなことを言うやつがおるが、気にせずマイペースでやれよ。人間ちゅうもんはなまけもんやからな。常に叱咤激励、厳しくこうやろ、ああやろとわが身に課してやれよ。立ち止まったらあかん。先へ先へ。わしは梅田の地下街でも前の前の前の人を見てサッと抜いて行くんやぞ」と。
藤本 アドバイスをくださったのですね。 
三枝 言葉にやさしさがあった。やすしさんをいろいろ言う人もいますが、ぼくは大好きでした。破天荒なやすしさんに比べてぼくは、どちらかというと、全く面白味のない人間。
藤本 お笑い界では、三枝さんが変わった人?
三枝 藤山寛美さんにも「君みたいな芸人さん初めてや」と驚かれました。ぼくには押しの強さがない。だから無理して笑わさなくても、いい印象を持たれるようにしよう。そのときは印象が薄くても、きっとそのほうが長く愛されるだろうと。
藤本 40年も第一線で活躍され、広くたくさんの方に愛され続けているのは素晴らしいことですね
三枝 本当にありがたいことだと思っています。