藤本 早速ですが、「がんこ」という呼び名は、どこからきているのですか。
小嶋 昔の友人いわく、私は、皆と考え方の違うところがあったようです。とくに高校生のころはすでに大人たちに交じって商売をやっていましたから、普通の学生とは違っていて当たり前。相当変わり者と見られていたんじゃないでしょうか。
藤本 創業時から変わらぬ「がんこ」の看板。あれはインパクトがありますね。
小嶋 いろいろ考えましたが、やはり商売は「顔」が命と、思いきってトレードマークにしたんです。
藤本 今や、日本の食をリードするがんこフードサービスですが、全部で何店舗あるのですか。
小嶋 現在は関西圏、関東圏を中心に、寿司、和食など直営店が90店舗です。
藤本 素晴らしいご繁栄ぶりですね。ここまでの道のりを順番に伺わせてください。
小嶋 和歌山でよろず屋を営む家の、6人きょうだいの末っ子として生まれました。
藤本 どんなお子さんだったのでしょう。
小嶋 やんちゃ坊主でしたね。9歳で父を亡くし、母が店をやっていたので、子守りさんには、駆けずり回って世話を焼かせていたようです。
藤本 ご商売に目覚めたきっかけは何ですか。
小嶋 あるとき母の具合が悪くなり、すでに兄たちは家を出ていましたので仕方なく、高校生だった私が代わりに働くことになったのです。
藤本 高校に通いながらご商売を?
小嶋 休学届けを出し、詰め襟で仕入れに行くと、周りの大人たちが一生懸命に教えてくれました。商売は大変でしたが、がんばっただけ結果が出せる。その魅力にとりつかれた私は、地方のよろず屋だけの経験で一流の商人にはなれないだろう、本格的に商売をやるために大学に行こうと決意。そう思ったとき、兄が帰省してくれたんです。
藤本 大学では経済学を学ばれたそうですね。
小嶋 卒業したら1年後には店を出そう!と自分で目標を立て、学業の傍ら、まずは大阪の繁盛店50店の調査をしました。当時は今のような情報もリサーチのノウハウもありません。授業の合間に街へ出て店の前に立ち、どんな人がその店をどう利用しているか、客単価や料理やサービスの質、家賃や人件費までを細かく調べたのです。
藤本 ご自身の目で得たものほど、確かな情報はありませんね。それにしても、なぜ寿司店を?
小嶋 一番遅れている業界が飲食業でしたので、私でも努力さえすれば追いつけるだろうと思ったのです。卒業後は寿司店で調理技術を学び、その1年後、十三に4坪半の店を出しました。当時、高級店か、そうでなければ安くてあまり質のよくない寿司店の中にあって、旨くて安いと評判になり、次第に行列ができるようになりました。
藤本 一般的に職人技といわれる世界。その中で若くして起業され、すぐに成功させたというのはご立派ですね。
小嶋 私の場合、寿司店の前に5年のキャリアがあります。地方のよろず屋ですが、うちで買い物をしてくれるお客様一人ひとりに尋ねたんです。なぜうちに来て、なぜそれを買うのか。
藤本 皆さん驚かれたでしょう。
小嶋 たいがい面食らったような顔をしますが、すぐに私の意図を知って、親切に教えてくれました。そうすると今度は、お客様一人ひとりのニーズがわかってくる。こんな物、あんな物が欲しいと言われて、直接仕入れることができるのです。
藤本 まさに、商いの原点ですね。
小嶋 今のように情報はないし、商売を教えてくれる人もいない。お客様を知りたければ、お客様に問いかけるしかない。しかも言わないことまでを聞き出すのが商売。実は、そのときの経験が今も生きていて、これが、がんこの現実・現場主義の原点になっています。がんこらしさというのは、お客様に喜んでいただくことを、自分の喜びにすることのできる人たちの集団です。
藤本 これだけたくさんの店舗があって、従業員一人ひとりが気持ちのいいサービスを提供できるというのは、奇跡に近いですね。
小嶋 いやぁ、実際お店へ出たら冷や汗ものです。あっちでもこっちでも失敗をやらかしている。私がお客様を同行しているときなんか、胃がギューッとしぼられることもありますよ。