藤本 早速ですが、創業70年という土居陶器店。最初に、ご商売を始めたきっかけを教えていただけますか。
土居 今でこそ、こんな性格ですが、昔は内気な子でした。異性の手も握れないような(笑)。何が私を変えたのかといえば、やはり父の死ですね。19歳の学生でしたが、父を亡くして、突然「家を継げ」でしょ。商店街といえば、60歳、70歳のおじさんばかり。「若かろうが新前だろうが、商売をやろうと思ったら、まずは対等に物が言えるようにならんとあかん」。そこからがスタートです。
藤本 天神橋筋商店街は、日本一長い商店街として有名です。また、さまざまな企画を取り入れ、住民や地域が一体となって、新たな商店街のあり方を、常に示していますね。それらの仕掛けのほとんどが、土居さんのアイデアによるものと伺って、本当に驚いているんです。
土居 皆さんからよく言われることですが、性分もあります。やれることを実行していっただけですよ。大型店の出現や人々の暮らし方の変化や、バブル以降の不安定な経済状態を背景に、商店街はどこもかしこも閑古鳥が鳴き、存続の危機に瀕しています。
藤本 主婦である私たちからすると、「行きたい」と思える魅力的な商店街がないのも事実です。
土居 そうそう、その通り。空き店舗対策も官に任せ自分たちは努力も苦労もしない商店街が、全国にはたくさんあります。てんさん(※)も、放っておけば、消えていくだろう、という状況だったんです。
藤本 それをここまで繁栄させられた経緯を、順を追って伺わせてください。
土居 今から30年くらい前、てんさんの空洞化はひどかった。一日の人通りは8000人程度でした。「店を閉めて、車が走れる道路にしたほうがいい」なんて言う経営コンサルタントもいましたよ。それが今ではなんと、2万5000人という数に。
藤本 まさに主体的に取り組まれた再生プロジェクト。リーダーとしての手腕に注目が集まりますね。
土居 「おまえらに頼ってられるかい!」という大阪の商人魂というか、反骨精神というか、そんなものだと思います。
藤本 積極的にそれに乗り出したのはいつごろですか。
土居 やりたくて始めた商売じゃなかったので、初めは商店街の一員でしかなかったんです。当時は、子どもの成長とともに学校PTA活動に参加し、自由業だったこともあって、役員などを引き受けることが多かったんです。
藤本 それがなぜ、商店街の活動へと移行していったのですか。
土居 PTAに深く関われば関わるほど、子どもたちへの思いから「もっとこうしたい、ああしたい」と思うことが山ほど出てきましたが、長い慣習などにより、私が目指すPTA活動の当初の目的が達成されず、思うようにいかないこともあり、活動から離れました。
藤本 昔も今も同じですね。たいがい皆さんが直面する問題はそこですもんね。
土居 自分でケリをつけようと、あるパーティーの席で、脱PTA宣言したんです。それから35年、商店街に身を移し、同様の悩みに直面しながらも、何とか切り抜けてきたわけです。
藤本 商店街には、ご年配の方も多くいらっしゃったのではないですか。
土居 関わりだした当初は、みんな年上で、私が一番若かった。そこで若手の組織づくりを始めたんです。考えたら無鉄砲ですね。抗議や反発も半端じゃない。毎晩「街を良くすんのやから」と説得して歩きました。
藤本 一番の問題は、人にあったのですね。
土居 そうそう、ほとんどが人対策ですよ。でもつくづく、街づくりの基本は「人活かし」に尽きますね。
藤本 街にはたくさんの人材がありますよね。学校や地域で人材バンクを上手に展開している例はいくつかあります。