スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

病いと闘いながら女将として生きる 湯河原温泉「旅荘 船越」女将 平野洋子さん

年間40万個を売り上げ、日本中の女性をとりこにした「ヌーブラ」は、全く新しいタイプの特殊パッドブラジャー。アメリカのメーカーに敢然と立ち向かい、日本女性用に改良を重ね、大ヒット商品を生んだ仕掛け人・平久保晃世さんは、一方で2児の母親として子育てに励む日々。経営者として、またひとりの女性としての生き方哲学には、夢を叶えるヒントがいっぱい!

 

ヌーブラ仕掛け人 平久保晃世さん
ひらくぼ あきよ  1959年大阪市中央区で生まれる。短大卒業後、80年米国イリノイ州へ留学。82年ニューヨークへ。83年帰国後、大阪・ミナミの下着店リップル店長に。91年レディースファンデーション企画製造、輸入卸・販売会社、ゴールドフラッグ株式会社設立。98年双子の男児出産。2002年11月ヌーブラとの出会い。03年2月ヌーブラを日本総代理店として発売、以来爆発的な売り上げを続けている。経営理念を「お客様の満足・取引先の満足・従業員の満足・企業の満足と、4つの満足を持って社会に奉仕し、企業の永遠の発展を目指し、一日一日の事業活動に精進する。また優れた品質の商品、最高のサービスを提供し、お客様に奉仕すること」とうたい、業績と信頼を獲得。夫は米国在住の大学助教授で、自身も米国永住権を持つ。息子2人は現在、小学1年生。「趣味は子育て」と言いきるほど子育てに夢中。


●ゴールドフラッグ株式会社本社
東大阪市長栄寺2-10

TEL06-6783-5629(代)
http://www.goldflag.jp

子どもは、かけがえのない存在

藤本 早速ですが、ご出身はどちらですか?

平久保 大阪市の京橋付近で生まれ、桜宮小学校、花乃井中学校を卒業しました。

藤本 当時はどんなお子さんでしたか?平久保晃世さんとの対談写真 その1

平久保 明朗快活、自由気ままな子どもでした。興味がある所へ、すぐ行っちゃうんですよ。

藤本 好奇心が旺盛だった?

平久保 見たい、知りたい、やってみたいと思ったら、まっしぐら。後先考えず、突っ走っちゃうところ。今も、そのまんまですけど。

藤本 きっと、そんな性格が、今の平久保さんをつくったのでしょうね。

平久保 小学3年生のときに父を亡くし、中学卒業と同時に、奈良にある母の実家に移ったんです。大阪に比べたら、緑が残るいい所です。母は「気」を祀る神社を長年守っています。精気、生気、元気とか、そういう気があることで、人間はもちろん森羅万象すべてのものが生きているという教えでしたから、昔からしつけにはとくに厳しく育てられました。

藤本 具体的にいうと、どういうことですか?

平久保 この世に起きることはすべてそうなると決められていることだから、おかげさまと思え、と。よく「気の持ち様」っていいますよね。

藤本 わかっていても、窮地に立たされると、人間は弱いし、逃げてしまったり。

平久保 私の中に「逃げる」という選択はありません。右か左かを迫られたら、必ずしんどい道を選んできました。

藤本 苦労やつらい経験の中には、たくさんの気づきや学びがありますね。

平久保 人間は業を重ねて強く、そしてやさしくなっていくんでしょうね。自分を究極に追いやって一歩一歩上がっていく。そういう考えでいたから、しんどいこともあったけど好転してきた。母から学んだ精神が今の私を形成したと、本当に感謝しています。父を早く亡くした母は女手ひとつ、気一本で私と弟を育ててくれました。そんな母ですから、母の言うことに間違いはない。絶対的な信頼がありますね

藤本 親子でも、信頼関係をつくるのは難しい。

平久保 信頼は、目に見えない「気」なんですよね。空気のように守られていれば、必ず子どもは勇気と自信を持って生きていける。わが子を持って、ますます実感しているところです。

藤本 全く同感です。ましてや親子は特別です。

平久保 子どもはパワーを持っているものです。それを親が信頼しないでは、何も始まりません。

藤本 今、我々が気づいているのも、そこなんです。子どもってすごいって。

平久保 教育が進む一方で、大切なものが見えなくなってしまっています。知識や学問がある大人がすごいんじゃなくて、生きる本能を持った子どものほうがずっとすごい。子どもが持っている力を、そのまま伸ばしてやりたいですね。

藤本 母親から信頼されて、子どもはますます自信を持ち、パワーアップできるでしょう。

平久保 親子だけではなく、すべての人間関係がそうでしょう。仕事も子育ても一緒ですね。

藤本 多くの母親たちが、愛情のあまり、過干渉になってしまいます。信頼の部分が欠落してしまっているのでしょうね。

平久保 うちは遅く産んだので、かわいいなんてもんじゃない。はっきりいって親ばかですよ。

藤本 お子さんは、おいくつですか。

平久保 小学1年生の双子の男の子。私に似たのか、やんちゃで何をやらかすかわからない。もし子どもに何かあったらなんて考えたら、こわくて。いまだに自転車にも乗せられません。

藤本 子どもを持ってみて、いかがですか。

平久保 子どもの存在は大きいですね。自分の命より大切なものですから。母の愛は崇高なものだと思います。火事場にも飛び込めます。

藤本 仕事に変化はありましたか。

平久保 基本姿勢は変わりませんが、マタニティー下着の開発とか、経験が形になることも。視野の広がりもそうですが、やりがいというか、生きがいというか、それが一番大きいですね。

藤本 仕事と子育ての両立はいかがですか。

平久保 初めからスタッフには「迷惑かけるけど、お願い」と言って、会社で子育てしましたし、幼稚園時代はご近所のお母様方に応援していただきました。お友だちに恵まれていたんでしょうね。子育ての初心者同士、悩みを共有してきたから、強い仲間意識がありますね。

藤本 今は「地域で子育て」といわれています。

平久保 理想は自然発生的なものですよね。私は、お母さんたちがいれば「ふんふん、何なの?」と、ずかずかと厚かましく入っていきました。だって情報がないと困りますもん。

藤本 子どもはいろいろな目で育てていくことが大切ですね。

平久保 自分の子だけでなく、他人の子も見てあげよう。それにお母さんじゃない人も、ちょっとした心の余裕を持って手を差し伸べてくれたらと思います。こんなに裕福な日本にないものといったら、「余裕」と「気」ですもんね。

藤本 子どもたちにこれだけは伝えたい、と思うことは何ですか。

平久保 「挨拶はしっかりと」「相手の気持ちをよく考えて」と。叩いたら、痛いでしょって。

藤本 そういう、子どもの感じる心を大切にする大人が少なくなっていますでしょ。

平久保 人間は心が大事です。人間として教育の原点はそこにあると思うんです。私は昔から勉強嫌いで、劣等感のかたまりでした。それでもここまでやってこられたんです。

ルームメイトの下着にビックリ!

藤本 それにしても、ここまでの過程には、さまざまなご苦労があったのではないですか。

平久保 留学前のアルバイト時代から、苦労を苦労と思わず、楽しんでやってきました。

藤本 その経験が、今につながっているとか。平久保晃世さんとの対談写真 その2

平久保 知人の紹介で、夏休みだけ手伝って、と誘われたのが、東京銀座にある三越デパートで、香水入りペンダントを売る仕事でした。

藤本 相当な売り上げをあげたそうですね。

平久保 最初は先輩を見よう見まねでした。でもすぐに、自分流で研究してやってみたんです。どんな風に言ったらお客様は喜ぶのかなって。そしたらあっという間に売れ始めちゃって。

藤本 もともと商才があったのでしょうね。

平久保 毎日が発見の連続で、のめり込んじゃったんです。歩合制でお金もどんどん入ってくる。地方の女子大生が月に100万円も手にしちゃったんですよ。でもお金欲しさというより、お金儲けがとにかく楽しかったんです。

藤本 商売の面白さを知ったんでしょうね。

平久保 休学して半年続けたある日、母から突然の電話で「働くのはかまへんけど、大学を中途半端にするような人間なんて、親でも子でもない! それやったら、親子の籍を抜く」と。昔から百貨店で「買うて〜」と泣いたら、置き去りにして帰る親でした。大正生まれの厳格な人です。娘の直感で「放っておいたら、ほんまに母は籍を抜くやろな」って。翌日辞表を出しました。

藤本 そんなお母様が、よく留学を認めてくれましたね。

平久保 三越デパートでは外国人のお客様も多く、英会話の必要性を肌で感じていました。これは留学するしかない! 母に相談すると、「自分で志したのなら、がんばりや」と一言。

藤本 アメリカでは何を学んだのですか。

平久保 留学先は、シカゴから車で5時間のマッコームという田舎街でした。宿舎でルームメイトになったジョアンとの出会いが大きいですね。輸入下着ビジネスを始めたきっかけも彼女の存在でした。気のいいイタリア系アメリカ人のジョアンとはなぜか気が合い、宿舎を出て2人でマンションに暮らしたほど。国民性、文化性が違う中で、まさかこんなに仲良くなるとは!

藤本 下着に興味を持ち始めたきっかけも?

平久保 ジョアンとは、恋人や映画、おしゃれのことなどを話し、さまざまな影響を受けました。最大のカルチャーショックは、下着の話です。彼女のパンツを見て驚きました。日本では3枚1000円のビキニショーツが当たり前の時代。大きなデカパンをはいていた彼女を見て叫びました。「えーっ、そんな大きなパンツをはくの!?」って。またある日、デートに行く彼女は、今度は衝撃的とも思える真っ赤な下着、黒のストッキングにガーターベルトを付けました。

藤本 TPOに応じた使い分けですね。

平久保 自分を魅せる、楽しむための「ランジェリー」と、体を締めつけない普段用の「ファンデーション」の違いについて、しっかりと学んだのです。ランジェリーがジュエリーのようなきれいなものを身につける欲望を満たすものであるのに対し、ファンデーションとは「下地」という意味。基本下着はからだを守る、育てる、つくる、という役割を持つことを知ったのです。

藤本 下着には不満がありました。見かけはかわいいけれど、ほとんどサイズが合ってない。

平久保 しかもファンデーションには、ヒップを高く持ってきたり、足を長く見せたり、胸を大きく、足を細くといった、体形をよく見せる効果もあることを知って、さらに驚きました。

藤本 日本では、下着について人と話したり、見せたりすることはあまりありませんよね。

平久保 以来、下着に興味を持ち、図書館で調べたり、街行く人を観察したり。下着店ではショーツも試着させてくれる「フィッティングサービス」にまた衝撃を受けました。「これは日本にはないサービスだ、絶対ウケるだろうな」と。

藤本 そこでビジネスを発想された平久保さんは、さすが、目の付け所が違いますね。

地球規模で、自分は一体何者か?

平久保 2年の留学期を終えると、ニューヨークに向かいました。実はキャンバスで出会った彼(現在の夫)が、大学の博士課程のために先に住み始めていたんです。転がり込んだ私は、刺激的なニューヨークの生活を吸収するのに必死でした。街へ出て最先端の流行や情報を目にし、とりつかれたように、ファッションや下着ショップを見ては、将来の夢を描きました。

藤本 まさに「アメリカンドリーム」ですね。平久保晃世さんとの対談写真 その3

平久保 夫も含めジョアンとの出会い、下着との出会い…、アメリカではたくさんの宝物を得ることができました。何より国際感覚、インターナショナルなものの見方、考え方を身につけた24歳の私。夢をふくらませて帰国したのです。

藤本 夢を実現するべく次なるアクションは?

平久保 早速アパレル会社へ入社したものの、既存のルールや社会になじまず、また男性社員からは生意気といわれ…。今となれば、日本的な配慮を欠いていたなと納得もできますが、当時はストレスで、結局ダウンしてしまいました。

藤本 おからだは大丈夫でしたか。

平久保 転んでもただでは起きません(笑)。療養中に、お琴と着付けを習い始めました。

藤本 改めて日本の伝統文化を見直された?

平久保 アメリカでのもうひとつのショックは、自分が日本人としての自覚を持っていなかったということ。他国の友人たちがインターナショナルバザーなどの場でそれぞれ民族衣装を身につけ、音楽や舞踊を披露する中で、私はスキヤキをつくるのが精一杯。改めて日本人としての存在意義、そして地球規模で、一体自分は何をすべきか?と考えるようになったのです。

藤本 海外生活を経験し、日本はどうですか。

平久保 自分のことしか考えていない日本人。忙しさのあまり、ゆとりが持てなくなっていますね。療養というゆったりした時間の中で、気づいたり、考えたりしたことも多かったですね。

藤本 さて、その後ですが…。

平久保 たまたまお琴のおけいこの帰りに目にした求人広告を見て、「これだ!」とその足で面接に向かいました。インポートものの下着店のオープンに伴い、店長を募集していたのです。

藤本 またまた運命ですね。

平久保 着物姿で面接なんて前代未聞。奇抜さが受けて、採用になりました。店長になってアメリカで学んだ「ファンデーションクリニック」を早速試してみました。サイズを測り、試着してもらい、直しもやるというコンセプトが受け、マスコミやクチコミでお客様が殺到。アメリカからは大きなパンツを輸入して販売。体質や体形のカルテをつくり、一人ひとりにアドバイスができる専門アドバイザーの養成など、さまざまなアイデアを形にし、業績をあげました。海外出店も果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

藤本 順風満帆ですね。

平久保 私は欲張りですから、次は夢だった自社製品をつくりたいと提案したのです。ところが社長はこれを却下。「自分の力でやりいな。あんたなら必ずできるわ!」。応援していただく形で退職し、1991年にゴールドフラッグを立ち上げました。

藤本 創業当時の様子を教えてください。

平久保 会社で業績をあげても、独立するとなると話は違います。最初は社員3人、なんばの自宅マンションの一室からスタートし、現在の東大阪に本社を設けたのは5年目のことです。

目に見えない、本当に大切なもの

藤本 ヌーブラとの出会いは?

平久保 うちではニューヨークの常駐スタッフが、アメリカで見つけたさまざまな関連商品を毎月のように段ボールに詰めて送ってきます。ランジェリー、下着、ポーチ、カタログなど…。こちらは「お宝はないか?」と心待ちにしているわけです。2002年のことでした。玉手箱かガラクタ箱かといった雑多な中に、パッケージに入った「ヌーブラ」が混じっていたのです。

藤本 電撃的な出会いだったそうですね。

平久保 体じゅうに稲妻が走りました。補正下着を追求すると、ヘタなモノはつくれない。完璧な商品でないと正しい補正はできない。下着の完成度に納得がいかず、悶々とし、新商戦を前に「いいモールドカップ(※)ができないか?」と悩んでいた時期でもありました。社員の心配をよそに、「これでいこう!」と宣言。社運をかけての勝負が始まったのです。

(※)モールドカップ/カップ部分に立体的な丸みを持たせるよう、ウレタンを熱成型したものを使用したブラジャー。カップの表面に縫い目がなく、洋服を美しく着こなすことができる。

藤本その結果、大手メーカーを抑え、販売権を獲得。あの爆発的なヒットを生んだわけですが、その成功の秘訣をズバリ一言でいうと…。

平久保 うちが勝つには「人」で売るしかありません。ニューヨークの社員を一喝。「社長の靴をあたためるでも何でもして、うんと言わせる(契約を取る)までは帰ってくるな!」と言いました。パリ・コレ初出品で忙しいと聞いてすぐにパリへ飛び、力仕事から日本語通訳まで、とにかくできることはすべて、夢中でやりました。

藤本 作戦は成功し、信頼を勝ち得たのですね。平久保晃世さんとの対談写真 その4

平久保 おかげさまで多くの方の支持を受け、売り上げを伸ばすことができました。それも、やはり「気」なのでしょう。大切なのは信頼や愛という、目に見えないもの。ですから、社会の中での役割を企業理念として掲げています。

藤本 これからは、大人として、人間として、社会に何を残せるかが大切ですね。

平久保 せめてできることをと、去年から少しずつ山を買っているんです。お金を残しても意味がない。子どもたちが生きていくために、本当に必要な自然を残そうと思っています。

藤本 そこには母親としての思いも込められているのでしょう。これからも女性のための製品を、また子どもたちの未来のために、ますますのご活躍を。今日はありがとうございました。 

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