スーザン 私は歌を教えるのではなく、自分の声を本当の意味で聴く体験をしてもらうだけなんです。歌は、人間の感情消化システムにおいて、なくてはならないものです。とくに今の人は、頭で考えてしまいがちですが、歌うことは、からだにも心にもつながることですよね。
藤本 日本の教育も、頭で考えることが多いですよね。そういうことも、今、世の中に起きているさまざまな問題などと関係があるのでしょうか。
スーザン 日本に限らずアメリカも、それから文明化された所はどこも同じです。人々が本当の人間らしいことを忘れて、商業的なものに走ってしまっています。知識的なことや物理的なことばかりが優先されています。歌は、人間の本能的な部分ですから、それを自由に楽しむことで、子どもたちにもたらす影響は大きいでしょう。
藤本 学校でも、そんなプログラムがあったらいいでしょうね。
スーザン ちっとも難しくありませんよ。たとえば、子どもたちが毎日、朝の会で歌ったらどうかしら。きっと、その小さな一体感がクラスを変えてしまうでしょう。それに、家庭でもできることだと思います。テレビが普及する前は、どこの家庭にもそういうシーンがあったはずです。
藤本 考えてみれば、子守り歌もそうですよね。私も子どもが小さいうちは歌っていました。
スーザン 私も、母がオルガンで歌ってくれたことをよく覚えています。そこには愛があり、歌う喜びも母に教えてもらったような気がします。
藤本 ご両親はどんな方でしたか。
スーザン 父は医師で歌うことが大好きな人でした。素晴らしい声でしたよ。
藤本 スーザンさんの素敵な声は、お父様譲りなんですね。
スーザン 母は、ものすごく家庭を大切にする人。ボランティア精神にあふれ、人の役に立つことが生きがいのような人でした。素晴らしい文章を書く人で、両親ともユーモアのセンスがありましたね。
藤本 ご自身はどんなお子さんでしたか。
スーザン 変わった子だったかしら? ユニークな子といわれることも多かったですね。重い病気で、13歳までしか生きられないといわれていました。ずっと何年もの間、病院で過ごしていたんですよ。
藤本 ちょっぴり普通と違った子ども時代だったのですね。
スーザン 病気も病院生活も、私には大切な経験でした。その経験が今も生きています。それに、とても不思議な話があるんです。あるとき日本人の若い女性が、看護実習生として病院にやって来たんです。彼女は私に教えたいものがあると言って、折り紙で「鶴」を折ってくれたんです。それが何であるかは説明せずに、私に「やってみて」って。私は初めて覚えた折り紙が楽しくて、彼女に言われた通り、ずっと鶴を折り続けたんです…。それが、私の最後の入院になったのです。
藤本 千羽鶴のおかげで、治ったんですね。
スーザン 不思議でしょ? 偶然とは思えないんです。13歳のときから、日本に縁があったんですよね。
藤本 アメリカ人のスーザンさんが、日本の歌をうたって、世界をつないでくれているのですものね。
スーザン 初めて人前で歌ったのは3歳のころだったと思いますが、私の歌を聴いた人がものすごく強い反応を示してくれたのです。自分でも、何かが声と一緒に出てきたような感じがしたんです。そのとき、私は神様からギフトとしてこの声をいただいたのだ、と思いました。ですから歌を通して世界をつなぐことが、私の使命だと思っています。日本の自然や日本人の心の美しさも、広く伝えていけたらと思っています。
藤本 6年前の長野オリンピック、パラリンピックの閉会式で『上を向いて歩こう』を熱唱されたシーンは印象的でしたね。
スーザン パラリンピックでは、一度は絶望を体験したであろう選手たちが、精神の強さと勇気でそれを乗り越えた姿を見ました。障害によって人生が終わるのではなく、新しい人生を始める…。私たちは、選手や、それを支える人々を目にすることで、多くを学べるのです。人間は誰も弱くて、それを見つめ理解しながら、少しでも高めようとして生きていく。自分を見つめることで、他人へのやさしさや思いやりも生まれるのでしょう。本当に素晴らしい気づきを与えていただいたと感謝しています。
藤本 こうして人々に幸せや気づきを与えられるスーザンさんですが、挫折したり、悩んだりすることはありますか。