スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

キャラクターすべてが「私」 女優 秋野暢子さん

暮らしカルマガジン『みかさつかさ』(※)の歯切れのいいトークでおなじみ、女優・秋野暢子さん。映画、テレビ、雑誌のほか、自らの体験をもとに健康やダイエットの本を出し、講演もするというマルチな才能を生かして大活躍。一方では、この春5年生の長女・夏子ちゃんのお母さんとして、自然体で生きる姿が素敵です。

※『みかさつかさ』/毎日放送、毎週土曜日17時より放送中。

 

女 優 秋野暢子さん
あきの ようこ  1957年大阪府出身。1974年NHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』にウエイトレス役で出演。翌年NHK朝のテレビ小説『おはようさん』で主役デビュー。TBSドラマ『赤い運命』で山口百恵さんと共演以降、映画、ドラマほか、舞台、バラエティーなどで活躍。現在はイベントや講演会、執筆活動もこなす多忙な日々。映画『片翼だけの天使』でキネマ旬報主演女優賞受賞。2002年の『ハッシュ!』では抑えた演技に注目が集まり、続く昨年公開の『IKKA 一和 いっか』では迫真の演技で迫る大阪のおかん役が話題に。
公式サイトhttp://www.akino-yoko.co.jp/

役柄を通して人間を学ぶ

藤本 『THE・サンデー』生出演でお疲れのところ、お時間をいただきまして、ありがとうございます。秋野暢子さんとの対談写真 その1生番組は大変でしょう。

秋野 いいえ。時間もはっきりしていますし、私は裏も表もないからそのまんま。素で出ていますので、楽ですよ。

藤本  映画やドラマは役をつくらなければならないので、大変なんですね。

秋野 私の場合、映画もドラマも、あまり無理な設定はありませんけれどね。

藤本 映画といえば、先日公開された話題作『一和』は、どんな映画ですか。

秋野 「夜逃げやさん」をしている夫婦がいて、それを知らずに育った2人の息子が、あるきっかけでそれを知り、「家族」を再確認していくという物語です。

藤本 監督の川合晃さんから、この役は「ぜひ秋野さんに」と切望されたとか。

秋野 監督が青年だったころ、当時『岸和田少年愚連隊』(1996年)という映画をご覧になって、「いつか映画を撮るときには、おかんは秋野さんで」と、最初からイメージして台本を書いてくださったそうです。

藤本 役者名利に尽きますね。力が入ったんじゃないですか。

秋野 若い監督さんですし、私なりに意見を出したりして一緒につくらせていただきましたね。

藤本 やはり映画というのは、みんなでつくっていくものなのですか。

秋野 基本的には、監督がつくられるのだと思いますが、「役」にもいろんな人間性があるわけで。今回の「留美子さん」も母親であったり、ひとりの女性であったり…。ですから若い監督の場合、息子から見た「母」の部分が強く、ある場面では「ここはもう少し違った一面を出したほうが…」と話し合ったり。私も演じながら夫婦や子どもについて勉強させていただきました。

藤本 いろいろな役を通して人間を勉強できるというのは、素敵なお仕事ですね。でも、演技って難しくないですか。

秋野 演じることに抵抗はありませんね。たとえば『一和』のおかん役と、『ハッシュ!』(2002年)のおばちゃん役は、対極にある役柄ですが、どちらも自然体です。陽と陰、実は両方共、私の中にしっかりある世界。人間が持っているさまざまな一面をデフォルメしていくのが女優ですが、どう突起させていくかと考えるのは、本当に楽しい作業ですよ。

藤本 デビューして何年になりますか。

秋野 32年ですね。

藤本 そんなに!? 秋野さんがNHKの朝のテレビ小説『おはようさん』で出たときは、吉永小百合の再来と話題になりましたね。きっかけは何だったのですか。

吃音に悩んでいた小学生時代

秋野 昔、父は呉服屋をしていて比較的裕福な家庭でした。ところが幼稚園のころですが、父が他人の保証人になったことで、わが家はいきなり債権者に追われるようになってしまったんです。借金の取り立てが来て、小学校も休みがちになりました。おかげで4年生までは、ほとんど人と話さないような子になってしまったのです。

藤本 環境の変化って大きいのですね。

秋野 赤面と吃音で、出席をとるときも「ハイ」が言えませんでしたから、はっきりいって「いじめられっ子」でした。

藤本 そんな秋野さんが、どんな風に変わっていったのですか。

秋野 5年生の担任の先生のおかげですね。学芸会のときに『鉛筆の国』という劇をやることになったんです。「HB」や「2B」に交じって、私は「F」の役。短い台詞でしたが、私にはものすごいハードルだったんです。でも、役をふられたときに断る勇気も言葉もなくて。仕方なく、たった一言の台詞「Fざんす」を、ひとりで死ぬほど練習したんです。もう何万回ですよ。秋野暢子さんとの対談写真 その2

藤本 すごい努力ですね。

秋野 とうとう最後のリハーサルでも言えなかった。人が見ているとダメだったんです。それでも、先生は役を変えなかった。

藤本 本番はどうでした?

秋野 当日は案の定、吐き気と下痢、おまけに熱まで出て。でも自分で、「今、行かなかったら人生変わらない」って。

藤本 勇気の要ることだったでしょう。

秋野 舞台では足が震えて止まらない。ところが自分の番になったら、何者かに背中をトンと押されるように前に出た。そしたら「Fざんす」が言えたんです。

藤本 みんなびっくりしたでしょうね。

秋野 「ワーッ」と沸きました。体に稲妻が走ったように「うちもできるんや!」って。

藤本 先生もうれしかったでしょうね。

秋野 それからは、劇のたびに役をくれるようになって。すると、普段の吃音が台詞のときには全く出ない。それを見た先生が、「他者になって自己発露することが、人間形成のために最適だろう」と、演劇をすすめてくれたのです。

藤本 大阪の四天王寺学園で演劇部に入ったのですね。

描いていた将来の自分と今の自分

秋野 両親も苦労して私学に進ませてくれたんです。それがわかっていたので、早くからいろんなアルバイトをしてましたね。

藤本 中学生からアルバイト?

秋野 たこやきやさんにレストランと、いろいろやりましたね。15歳のときに演劇部の大会があって、そのときたまたま審査員だった放送作家の方に声をかけていただき、テレビに出させていただくように…。

藤本 何か光るものがあったんでしょう。

秋野 看護婦AとかBとかですよ。それでもほかのバイトに比べたら時給もよかったし、そういう現場も楽しかったし。

藤本 女優の道へまっしぐらですね。

秋野 「こういう仕事もあるんだな」と、少しずつプロを意識するようになってきたころに、幸運にも新人登竜門といわれるNHKのドラマのお話がきたんです。

藤本 ご両親は反対しませんでしたか。

秋野 心配はありましたが、「やりたければいい」と言ってくれました。私としては経済的に自立し、しかも親の面倒も見てあげられると思ってのことでした。

藤本 テレビや映画、ご本もたくさん出されたりとご活躍ですが、秋野さんご自身としては、どれが本業とお考えですか。

秋野 どれも「私」ですね。自分でこっちの方向へと選んだのではなく、そのまま自然体でやってきただけ。昔は司会、歌い手、コメディアン…と、明確なカテゴリーがありましたが、「いつかそれが混然となるだろう」と、随分前から思っていましたね。

藤本 いわゆる「バラエティー」ですね。

秋野 「私自身」のキャラクターをつくりたい。40歳には、そういうカタチで残っていたいと、事務所にも言い続けてきましたね。

藤本 最近は「役者然」としていてはダメだといわれていますね。見せかけでなく、内面的な人間性で勝負する時代だと。

秋野 生意気なようですが、キャラクター秋野暢子すべてが「私」です。職場に好き嫌いはないし、どこも居心地のいい場所になっています。それは同時に、仕事だけではなく、私生活も含めてですね。

藤本 実は私、秋野さんと同級生なんですが、やはり47年間には、それなりに歴史がありますよね。

秋野 結婚して子どもを産んで、離婚はしたけど、そこそこ仕事もキャリアもある。18歳のころに描いていた「40歳像」に8割方叶っている。まあ「いい人生」かなって。この先目指す「50歳像」に向かって、さらに努力あるのみですね。

藤本 具体的な目標はありますか。

秋野 理想の「50歳像」は、シャネルのジャケットにピチッとしたジーンズ。デレッとしないお尻をキープするためには、体だけではなく、心の健康も大切です。そして、これまで生きてこられたのは、周囲の人間関係に助けられてきたからなんですよね。そう思ったら後半の人生は、やはり社会のために働くこと。子どもの未来をつくるのが、私たちの仕事だと思うんです。

藤本 さすが、「子育て」をしているお母さんですね。でもお忙しい毎日でしょう。

秋野 遅いときもありますが、だいたい9時ごろには寝ていますね。朝は毎日5時秋野暢子さんとの対談写真 その3起きです。1時間走ってシャワーを浴びて、朝ごはんをつくって娘と一緒に食べて学校へ送り出す。すごく規則的でしょ。

藤本 娘さんはおいくつですか。

秋野 小学校5年生になりますが、私学なので今もお弁当です。幼稚園のころから、毎日のお弁当をカメラで撮って記録しているんです。大人になってそれを見たら、少しでも親の愛情がわかるかなって。

藤本 それはすごい!

秋野 私の母がお料理があまり得意じゃなかった。たまごやきらしくない「たまごやき」が定番で、お弁当を人前で開けるのがいやだった。娘にはお弁当を開ける楽しみをつくってあげたい。そう思って始めたんですが、途中から自己満足になりました。

藤本 お弁当は母の生きがいですが、たいがい年少さんで挫折するものです。年中になったらいつの間にか「チン弁当」に(笑)。

秋野 子どものころから、食の基本だけはしっかり教えておきたいなと思うんです。生きることの基本は健康ですからね。

賢く食べて運動することが基本

藤本 「健康」や「ダイエット」をテーマにたくさんの本も出されていますね。

秋野 毎日、賢く食べて運動してしっかり寝る。これだけですね。

藤本 娘さんもそろそろ年頃ですね。

秋野 おしゃれに関していえば、私が勝手に選んだものは着なくなりましたね。最近「女優かタレントになりたい」なんて言い出したんですが、やりたければどうぞと言っているんです。親の七光りで一度は出られるけれど、ホンモノでなければすぐに消えるでしょう。そこまで本気でやれるかどうかは、やってみないとわからないんです。

藤本 すごいなあ。私もそうですが、つい親心で、あれこれ口を出してしまう。失敗させないようにしてしまうんですね。

秋野 私は、できるだけ早く娘を手放したい。うちでは早くから性教育もオープンで、5歳のときに男女のしくみを説明しました。

藤本 どういう風に?

秋野 今は、デパートに、人形が売ってるんですよ。男性器と女性器がついていて、子どもはこうやって生まれてくるのよと説明しました。絵本もたくさんありますしね。

藤本 それで理解できましたか。

秋野 7歳半になってもう一度「何だったっけ?」と聞いてきましたね。先日スキー学校の前に、「性教育」の授業があるというんで、わざわざ見に行ったんですよ。

藤本 参観できるんですか。

秋野 希望すれば、いつでも保護者は参観できるんですよ。で、いったいどんな風に先生は説明して、子どもたちはどんな反応をするのかなって、興味ありましたからね。

藤本 どうでした?

秋野 行ってビックリ。受精卵や生理用品の使い方まで、非常に明確に説明していましたね。

藤本 子どもたちはどんな感じでしたか。

秋野 恥ずかしそうにして見られない子もいましたし、わざと友だちとおしゃべりしている子もいましたね。娘はとなりの子に一生懸命説明してましたよ(笑)。

藤本 それにしても、自由に参観できる学校というのはいいですね。

秋野 参観するだけでなく、一緒にお弁当を食べたり、工作をしたり。先生と子どもの関係、子ども同士の関係など、見ていると、いろいろなことがわかります。

藤本 普段の学校を知れることは、親としては一番の安心ですね。

秋野 子どもはいいことしか言わないけど、実際に見てみると、「あんたがわるい!」ということもいっぱいある。「うちの子に限って…」じゃなくて、「やっぱあたしの子やからきついやん」って。いやらしい言い方なんて、そっくりでイヤになりますね。

藤本 先生に対して何かありますか。

大人同士の信頼からスタート

秋野 本来、学ぶことの楽しさを教えてくれるのが先生の役目なのに、今はみんな勉強がキライになっちゃっている。知らないことを知る、世界が広がって楽しくなる、学ぶことで職業が選べるんだってことを、しっかりと教えてもらいたいですね。

藤本 娘さんには、どう言ってるんですか。

秋野 「100点取りなさい」とは言いませんね。子どもは間違ったことで、覚えられるんだと思うんです。75点だったら、取れなかった25点分理解する力をつけようと努力する。それがテストの意味だと思います。

藤本 確かにそうですね。

秋野 とんでもない先生もいますが、素晴らしい先生もたくさんいる。そんな先生がハートを持って子どもに接しようとすると、親が周りでとやかく言う。親も学校に預けたら、任せないと。先生も、任せら秋野暢子さんとの対談写真 その4れるに値する人間であってほしい。

藤本 それが、なかなか難しい…。

秋野 完璧な親がいないのと同じで、完璧な先生もいるはずがありません。子どもを軸にして、両者がしっかりと手を結ばなければなりません。子どもが人を信用しない時代では、この先どうなるのでしょう。

藤本 まずは大人同士が信頼し合うことからスタートですね。今日は大変楽しく、ためになるお話をありがとうございました。

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