スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

少年の日が夢を創る 漫画家 松本零士さん

『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で宇宙を描くアニメ界の巨匠・松本零士さんに聞いた少年の日の思い出、宇宙への憧れ、漫画家としての夢…。たくさんのファンを魅了する、その作品にあふれる人松本零士さんとの対談写真 その1間のやさしさや悲しさ、そして強さの理由を知った。運命の旅立ちは2度あった。もうここへは帰らない││自ら決断した、覚悟の旅立ちです。

 

漫画家 松本零士さん
まつもと れいじ  1938年福岡県久留米市生まれ。1953年『蜜蜂の冒険』で漫画界デビュー。漫画少年第1回新人王受賞以来、数々の漫画賞、文化賞を受賞。1972年『男おいどん』は講談社出版文化賞を受賞。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』はアニメ化され大ブームとなる。『キャプテンハーロック』新作(日本テレビ系放映中)、『銀河鉄道物語』(BSフジ放映中)、アニメーションミュージカル『インターステラ5555』など作品多数。2001年紫綬褒章受賞。日本漫画家協会常任理事、財団法人日本宇宙少年団理事長、コンピュータソフトウェア著作権協会理事、社団法人中央青少年団体連絡協議会会長。大阪府立大型児童館ビッグバン館長として活躍中。
http://www.leiji-matsumoto.ne.jp

手に負えないやんちゃなガキだった、子ども時代

藤本 ご出身が久留米(福岡)と伺って、今日は楽しみにして来たんです。実は私も同郷なんです。久留米は、どちらですか。

松本 それはそれは。ぼくは諏訪野町です。

藤本 えっ、うれしい! 私は小頭町です。

松本 隣町だね、ご縁がある。それじゃあ大刀洗町に航空機があるのを知っていますか。昔、親父がそれに乗っていましてね。

藤本 18歳で大阪に出ましたが、今は両親も亡く、滅多に帰りませんので記憶には…。

松本 生まれは久留米ですが、6歳までは明石(兵庫)に、戦時中は母の故郷、愛媛県の大洲で過ごしました。戦後は北九州の小倉に行き、上京したのは18歳のときです。

藤本 どんなお子さんだったのでしょう。

松本 手に負えない「ガキ大将」で、生傷が絶えませんでしたね。

藤本 大洲というのは、どんな所ですか。

松本 唱歌『春の小川』の風景そのまんま。「メダカの丸のみ」や「ハチの巣の襲撃」なんて序の口。カエルにトンボ、スズメにウサギ…、カメとヘビ以外は何でも食べました。水の中に手を入れるでしょ。頭をつかまえて引っ張り出したら、ヤマカガシだった!なんてことは、しょっちゅうです。

藤本 うわぁ〜。大丈夫でしたか。

松本 毒と知らないからこわくない。ハチは炒めて食べるとおいしいし、スズメは首をひねって焼いて食べると格別で、クヌギムシも大切なたんぱく質源でしたね。

藤本 食べることが目的だったのですか。

松本 遊びや冒険心はもちろんありましたけど、まあ、食うためでしたね。

藤本 周りに何か言われませんでしたか。

松本 みんなそうやって生きていた。食い物がない代わりに、自然はいくらでもあった。今なら「生き物を大切にしない」と叱られるけど、当時はちょっとくらい食ったって、どうってことない。親父の教えですが、「生きるということは食べること」。それがなければ、体力も気力も生まれない。思考も成り立たないし、夢も生まれません。

藤本 「おおらかな時代」と一口にはいえない厳しさがあったのですね。 

抜けるような青空と、終戦の日の記憶

松本 ぼくは戦争を体験した最後の世代です。B-29が爆音を立て、機関銃の弾が目前を走り、地鳴りが響き震動が襲ってくる。空戦の唯一の勝利も見ましたね。そんなある日、川で泳いでいたら「終わったぞー!」という声が聞こえてきた。8月15日です。

藤本 しっかり記憶にあるんですね。

松本 家に向かうあぜ道は抜けるような青空でした。大人は誰ひとり物言わず、地面を見ていました。家に帰ると祖母が雨戸を閉め日本刀を引き抜いていた。「刺し違えて死ぬ。おまえもサムライの子なら覚悟せい」と言われました。日本国落城の日です。

藤本 敗戦の意味は理解できましたか。

松本 7歳ですから、敗戦どころか戦争の意味もわからない。ただ、明らかにいつもとは違っていた。翌日偵察機の大群が飛び立ち、夕方土佐沖からのどかに帰ってきた様子を見て、子ども心に「ああ、終わったな」と実感しました。爆音を物悲しく響かせながら、西に沈む夕日に向かってゆるやかに飛ぶ飛行機、日本機を見たのは、あれが最後です。陸軍のパイロットだった父は、戦地、マレー半島におりましたが、その日から消息不明になりました。

藤本 不安だったでしょう。

松本 むしろ、母の焦燥する姿がショックでした。そこは母の生家でしたし、幼心にぼんやりと「ああ、もうここはぼくの居場所ではない」と、感じたのを覚えています。ある意味、運命の時。自立心の芽生えです。

藤本 大変な時代でしたね。

松本 1年半後、父は笑顔で戻り、一家は小倉に移りました。今度は食うために友と海へ飛び込み、貨物船の底に潜り、魚を採りました。だがある日、彼の家に借りていた本を返しに行くと、仏壇の前に泣きくずれている彼の母の姿があった。こうした胸を打つ思いは、相当な経験になっています。

藤本 その後の生活はいかがでしたか。

松本 「買い出し列車」に乗り、カキやイモも売りました。貧しい生活でした。

藤本 先生は、ご兄弟の何番目ですか。

松本 7人兄弟の真ん中。親の関心は上下にいくので自由で気楽なものでした。兄姉がいるから本はたくさんあった。宿題は姉、ケンカは兄貴に任せて、妹、弟は支配していますから、ぼくにとっては好都合です。

藤本 この世界に入ったのは、お兄さんやお姉さんの影響もあったとか。

宇宙のことが知りたくてたまらなかった

松本 漫画もたくさんあって、最初は見よう見まねでした。でも一番の影響は父ですね。父の趣味で家には35ミリの映写機がありました。当たり前に動くアニメ、ミッキーマウスやポパイに親しんでいました。早くから機械の原理を知っていたんですね。

藤本 飛行機もそうですね。

松本 父が、空を飛ぶ様子をよく聞かせてくれました。父が操縦する飛行機を眺めては雲の上の世界に想像をふくらませ、それは自然に宇宙へと広がっていきました。

藤本 未知の世界ですね。

松本 宇宙のことが知りたくて、図書館の本を読みあさり出したら、止まらない。知れば知るほど深くなり、面白いように知識が入ってきます。通信簿には「天文学の研究、級中第一位なり」と書かれました。

藤本 先生も認めてくださったのですね。

松本 同じように漫画ばかり描いていたら、今度は「授業中に描いてもいいよ」と言われ、見捨てられたような気がして、さびしかったことを覚えています(笑)。

藤本 いつごろから描いていたのですか。

松本 最初の作品は小学校1年生のとき。3年生で長編を描いてもてはやされ、夢中で描いていました。そのころ進駐軍が持ち込んだアメリカンコミックが面白く、自分で訳していましたが、驚いたことに、かなり正確なんです。飛行機のことなら、ドイツ語でも何でも平気で訳せるからすごい。

藤本 「好きこそものの上手なれ」ですね。

松本 出席さえしていればよかった時代だ。

藤本 いわゆる「デビュー」はいつですか。

松本 15歳のとき『蜜蜂の冒険』で第1回漫画少年新人王をいただいた。その後、毎日小学生新聞で連載が始まり、高校時代は学費も着衣も持ち物も、自活していました。

藤本 漫画で稼げるなんて幸せですね。

松本 当時は必死でした。食べていくために何ができるだろうと考えたときに、名だたる天才に太刀打ちできるのは、漫画しかない、という強い決心のもとでした。

藤本 若くして、順調なスタートでしたね。

松本 あるとき連載が切れて突然稼げなくなりました。雑誌社や単行本の出版社に作品を売り込んでは返される日々…。しかも当時は通信手段がなく、電報ではらちが明かない。そんな中で少女漫画を出す出版社から連載の話があった。「一刻も早く勇姿を現わしたまえ」と言われたが、汽車賃がない。「原稿料を前借りしたい」と書くと、「来れば渡す」と返ってきた。意を決し、自分で組み立てたステレオを質に入れ、700円を手にして夜汽車に乗ったのです。

藤本 漫画家・松本零士を語る、有名な旅立ちのシーンですね。

松本 運命ともいえる最後のSLでした。夕方6時の汽車は大阪で夜が明けました。26時間の長旅は不安と興奮で眠れません。18歳の多感な青年です。窓辺には端然とした美女が座る空想の世界。夢への切符を手にすれば未来へ行ける、宇宙列車へのイメージが広がります。やがてそれは15年後に『銀河鉄道999』となり、母親兼恋人を具現化したメーテルの誕生となるのです。

藤本 実在の女性ではないんですか。

松本 ハハハ。告白すると、ほのかな恋心を抱いた女性が2人いた。1人はピアノが弾けて背が高く、やさしい女性。もう1人は柔道をやっていた強い女性。一度ぼくを倒したことがあったが、「誰にも言わんといてやるからね」と言った粋な女性だった。

藤本 作品には登場しないのですか。

松本 ぼくは堂々と、誰でも描いてしまいます。先生や友人、手紙をくださった読者の方まで、皆さんにご登場願っていますよ。

藤本 へぇ〜!? 皆さんは何て?

松本 先日も同窓会で恩師に会ったら、「またおれをころしたな!?」って。貧乏な下宿生活時代の友人も最高です。「どうせ描くなら、髪の毛も描いてくれよ」と(笑)。

藤本 一緒に夢を描いた同志たちですね。

松本 東大、早稲田、明治…。ぼくは大学生ではなかったが、いろんな大学の連中とワイワイやっていた。前途に不安はあるが、いつか必ずと夢を描き、ホラばかり吹いていた青春時代。けれども今よりはるかに楽園だった。時間と自由が存分にあった。

藤本 皆さん、今は何をなさっていますか。

松本 医者に小説家、装丁家にデザイナーと道はそれぞれだが皆、事を成した。会えば「よかったなあ」と胸を叩き合う仲です。

藤本 素晴らしい関係ですね。

何のために描くかという、目的意識の目覚め

松本 今の「自分」という木を支えている強靭な根っこは、大勢の友人に恵まれたことに尽きます。打算のない友情は本物です。

藤本 『男おいどん』は、当時の先生ご自身といわれていますが、本当ですか。

松本 ハハハ。「インキンタムシ」の話は愉快でしょう!? 自らの1年半もの苦しみを救ってくれた薬、マセトローション(※)に出会ったとき、「これだ!」と構想が浮かびました。世界で初めて「インキンタムシ物語」を描いた漫画家として名を残そう。ゲーテやシェイクスピア、夏目漱石にもできなかったことをおれはやるぞ!と。

※マセトローション/白癬菌(はくせんきん)に対する殺菌作用を持つ成分を配合した、インキンタムシ、水虫治療薬。松本零士氏の漫画『男おいどん』で紹介され一躍有名に。現在のパッケージは松本零士氏のイラストデザインによる。

藤本 作戦はうまくいきましたか。

松本 日陰の存在だった病気が脚光を浴びた。当初の狙い「病名を公然と口走れる世の中」になったかまでは定かでないが、何百通もの感謝の手紙が届きました。

藤本 たくさんの男性を救ったんですね。

松本 これが実は大変なことでした。漫画家としての個性の確立と、目的意識のない創作は不可能だというぼくの根幹となるのです。漫画家は、絵がうまけりゃいいというわけではありません。見てくれる人と、共有する世界をどうつくっていくかです。最近の映画俳優を見てもわかるように、顔立ちではなく、個性や人間性が大切です。

藤本 愛すべきキャラクターの創造ですね。皆さん「松本作品は宇宙や生き物だけでなく、テーマが深い」とおっしゃいます。

松本 戦中戦後のハチャメチャな時代体験は、すべて「資料」となってぼくの中に生きている。終戦からバブルまでの価値観の激変を含めて、1000年に一度のチャンスをもらった。クリエイティブな仕事をする人間にとっては、願ってもない環境です。

藤本 これからも、さまざまな経験と知識が、作品に凝縮されていくのですね。

松本 実際には、まだCG(※)では描ききれないものがたくさんある。やはり、人は感情線に惹かれます。片側を描いて、裏側までを伝えていく力が必要です。どれだけ精神や魂を入れていけるかが、勝負ですね。

※CG(Computer Graphics)/コンピュータ・グラフィックを略してCGと呼ぶ。コンピュータを使って画像をつくったり、編集する技術、またはその作品の総称。

藤本 夢が広がりますね。

松本 一人で2時間半の長編をつくるという、昔からの夢も叶えたい。何しろ時間はものすごい速さで進み、世界はますます近づいています。ぼくもさらに勉強を続けて、民族感情や世界の未解決な問題に至るまで注意深く意識を払いながら、漫画という確執のない特殊な世界で、地球全域を舞台に物語を展開していきたいですね。

藤本 壮大な夢に、もう手が届くなんて!

松本 ぼくは1億2000万人を相手に何とかここまでやってきた。当時は、漫画家を目指している人間は、わずか50人というところだった。ところが今は63億人が相手。志望者は1000万人以上はいるでしょう。しかも技術革新で、我々が15年かけてやってきたことが、瞬時にできてしまう。

藤本 時空を超えた発想が必要ですね。

松本 1000年後を想像してください。おそらく我々は「日本人」ではなく、「地球人」になっているはずです。「元日本人」「元中国人」というようにです。

藤本 人間も宇宙も脈々と続きます。子どもたちに、メッセージをいただけませんか。

地球全域を舞台にした物語を展開したい

松本 子どもには無限の未来がある。時間は夢を裏切らないし、夢も時間を裏切ってはならない。少年の日に持つ夢は、大きければ大きいほどいい。不可能などありません。目的をしっかり持ってがんばっている人間には、必ず明日はくるのです。これはそのまま、ぼくが館長を務めているビッグバン(※)のコンセプトになっています。

※大阪府立大型児童館ビッグバン/「遊び」をテーマに、子どもの豊かな遊びと文化創造の拠点として1999年、堺市にオープン。着陸した宇宙船をイメージした建物デザイン、演出は館長の松本零士氏による。http://www.bigbang-osaka.or.jp/

藤本 いじめや自殺など、追い詰められている子どももたくさんいます。

松本 子どもには子どもの価値観があるのだから、親はそれを尊重してやってほしい。ぼくらの時代は、弱い者いじめは絶対に許されませんでした。人を笑うな、ひきょうな手立てはとるなという教えは、精神的なバックボーンになっています。

藤本 家庭や学校の教育が大切ですね。

松本 長い教育の中で、教える側にそういう概念が薄れてきたのでしょう。だいたい、大人が子どもを傷めるなんて行為は断固あってはならない。大人は盾になって、子どもを守るもの。常に毅然とした態度でいてほしいですね。繰り言ほどイヤなものはありません。問題は大人の責任感です。

藤本 最後に質問ですが、私も「銀河鉄道999」のチケットが欲しいのですが、どうしたら手に入れることができますか。

松本 夢をなくさずに、未来に向かって一生懸命生きること。そうすれば必ずあなたの目の前に列車が停まって、「さあ、お乗りなさい」と招き入れてくれるでしょう。

藤本 それなら私もユートピアに行けそう! 大いなる夢を描いて生きていきたいですね。今日はありがとうございました。

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