松本 漫画もたくさんあって、最初は見よう見まねでした。でも一番の影響は父ですね。父の趣味で家には35ミリの映写機がありました。当たり前に動くアニメ、ミッキーマウスやポパイに親しんでいました。早くから機械の原理を知っていたんですね。
藤本 飛行機もそうですね。
松本 父が、空を飛ぶ様子をよく聞かせてくれました。父が操縦する飛行機を眺めては雲の上の世界に想像をふくらませ、それは自然に宇宙へと広がっていきました。
藤本 未知の世界ですね。
松本 宇宙のことが知りたくて、図書館の本を読みあさり出したら、止まらない。知れば知るほど深くなり、面白いように知識が入ってきます。通信簿には「天文学の研究、級中第一位なり」と書かれました。
藤本 先生も認めてくださったのですね。
松本 同じように漫画ばかり描いていたら、今度は「授業中に描いてもいいよ」と言われ、見捨てられたような気がして、さびしかったことを覚えています(笑)。
藤本 いつごろから描いていたのですか。
松本 最初の作品は小学校1年生のとき。3年生で長編を描いてもてはやされ、夢中で描いていました。そのころ進駐軍が持ち込んだアメリカンコミックが面白く、自分で訳していましたが、驚いたことに、かなり正確なんです。飛行機のことなら、ドイツ語でも何でも平気で訳せるからすごい。
藤本 「好きこそものの上手なれ」ですね。
松本 出席さえしていればよかった時代だ。
藤本 いわゆる「デビュー」はいつですか。
松本 15歳のとき『蜜蜂の冒険』で第1回漫画少年新人王をいただいた。その後、毎日小学生新聞で連載が始まり、高校時代は学費も着衣も持ち物も、自活していました。
藤本 漫画で稼げるなんて幸せですね。
松本 当時は必死でした。食べていくために何ができるだろうと考えたときに、名だたる天才に太刀打ちできるのは、漫画しかない、という強い決心のもとでした。
藤本 若くして、順調なスタートでしたね。
松本 あるとき連載が切れて突然稼げなくなりました。雑誌社や単行本の出版社に作品を売り込んでは返される日々…。しかも当時は通信手段がなく、電報ではらちが明かない。そんな中で少女漫画を出す出版社から連載の話があった。「一刻も早く勇姿を現わしたまえ」と言われたが、汽車賃がない。「原稿料を前借りしたい」と書くと、「来れば渡す」と返ってきた。意を決し、自分で組み立てたステレオを質に入れ、700円を手にして夜汽車に乗ったのです。
藤本 漫画家・松本零士を語る、有名な旅立ちのシーンですね。
松本 運命ともいえる最後のSLでした。夕方6時の汽車は大阪で夜が明けました。26時間の長旅は不安と興奮で眠れません。18歳の多感な青年です。窓辺には端然とした美女が座る空想の世界。夢への切符を手にすれば未来へ行ける、宇宙列車へのイメージが広がります。やがてそれは15年後に『銀河鉄道999』となり、母親兼恋人を具現化したメーテルの誕生となるのです。
藤本 実在の女性ではないんですか。
松本 ハハハ。告白すると、ほのかな恋心を抱いた女性が2人いた。1人はピアノが弾けて背が高く、やさしい女性。もう1人は柔道をやっていた強い女性。一度ぼくを倒したことがあったが、「誰にも言わんといてやるからね」と言った粋な女性だった。
藤本 作品には登場しないのですか。
松本 ぼくは堂々と、誰でも描いてしまいます。先生や友人、手紙をくださった読者の方まで、皆さんにご登場願っていますよ。
藤本 へぇ〜!? 皆さんは何て?
松本 先日も同窓会で恩師に会ったら、「またおれをころしたな!?」って。貧乏な下宿生活時代の友人も最高です。「どうせ描くなら、髪の毛も描いてくれよ」と(笑)。
藤本 一緒に夢を描いた同志たちですね。
松本 東大、早稲田、明治…。ぼくは大学生ではなかったが、いろんな大学の連中とワイワイやっていた。前途に不安はあるが、いつか必ずと夢を描き、ホラばかり吹いていた青春時代。けれども今よりはるかに楽園だった。時間と自由が存分にあった。
藤本 皆さん、今は何をなさっていますか。
松本 医者に小説家、装丁家にデザイナーと道はそれぞれだが皆、事を成した。会えば「よかったなあ」と胸を叩き合う仲です。
藤本 素晴らしい関係ですね。