スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

アテネに向かってがんばります! 世界水泳選手権 銀メダリスト 山本貴司さん

今年7月、スペイン・バルセロナで行われた世界水泳選手権大会に出場し、見事200Mバタフライで銀メダルを獲得した山本貴司さん。ゴール直後に結婚指輪にキスをして、スタンド席の妻に喜びを伝えるというパフォーマンスが話題になったのは記憶に新しい。来年のアテネオリンピックに向け、水泳王国ニッポン復興のリーダーとしてメダルの期待を背負う今の心境、暮らしぶりなどを伺った。(2003年取材)

 

世界水泳選手権 銀メダリスト 山本貴司さん
やまもと たかし  1978年大阪市住之江区生まれ。近畿大学職員。3歳で水泳を始めて以来、アトランタ、シドニー五輪を含む国内外の大舞台で広く活躍。2001年東アジア競技大会、2002年アジア競技大会で金メダル。国内では1995年以降、100Mバタフライ連勝を継続中。今年7月の世界水泳選手権大会では銀メダルを獲得。プライベートでは、昨年元自由形スイマー(’91年世界水泳選手権大会銅メダリスト)の千葉すずさんと結婚し、カナダで生活。オメガ水泳教室では、全国の子どもたちに水泳を教えている。

結婚して「責任感」が生まれた

藤本 先日のバルセロナ(世界水泳選手権大会)では銀メダルおめでとうございます。山本貴司さんとの対談写真 その1

山本 どうもありがとうございます。

藤本 あの7月23日は、25歳の誕生日だったそうですね。マスコミは「人生最良の誕生日に、悲願のメダル獲得!」と報じましたよね。

山本 誕生日は偶然でしたが、これまでメダルに縁がなく、取りたくても取れなかったので、やはりうれしかったですね。みんな「世界大会」を狙って照準を合わせてきますので、そこで勝つことは本当に難しいんです。勝ったことでぼくの自信にもなりますから、その意味は大きいですよね。

藤本 パートナー・千葉すずさんへの喜びのパフォーマンスも話題になりましたね。

山本 ハハハ。ガッツポーズのあとにとっさに出たアクションだったんですが、当の本人(すずさん)は掲示板を見つめていたので見損ねたらしいですから、いい加減なもんです。ぼくらが結婚していたことを、知らない方が多かったんですね。なぜか、クローズアップされてしまいました。

藤本 夫婦そろって世界選手権のメダリストというのはすごいことです。

山本 実際、彼女のほうが早くから活躍していたし、功績は大きいですからね。

藤本 週刊誌のようですが、すずさんとはいつごろからのおつきあいですか。

山本 小学校のときから同じプールで泳いでました。歳は2つ違いでしたが、ぼくら男子は、いつも彼女をからかったり、ちゃかしたりしていましたね。向こうも何となく心を開いてくれて、ぼくらのグループとは仲良かったですからね。

藤本 それが特別になったのは、いつのころからですか。

山本 アトランタ遠征のころだったかな。目標を持って一緒に戦っていくっていう、そういう特別な場所でしたから。それにしても向こうは記録をどんどん伸ばしていて、「すごいなぁ!」と感心してましたね。

藤本 まだちょっと遠い感じ?

山本 いつも近くにいたけれど、気持ちの上では「先輩」というか。でも昔から、なぜかぼくだけはタメ口をきいてましたね。

藤本 結婚生活はいかがですか。今はカナダにお住まいだそうですが。

山本 カナダはのんびりしていていいですよ。バッド・マカリスターコーチの下で毎日3時間くらい泳いでいますが、彼は以前、すずのコーチだったという関係で、彼女もいいカタチで見守ってくれています。時には練習を見に来たりもします。

藤本 「二人三脚」という感じですか。

山本 大げさなものではありませんが、料理も上手だし、身の回りのこともしっかりやってくれていますので、感謝しています。

藤本 ご自身は結婚して変わりましたか。

山本 「責任感」が生まれましたね。水泳も仕事も、結果を残していかなきゃいけないと思います。それから彼女がすごいのは、いろんな視点を持っているところですね。

藤本 どんな風に?

山本 ぼくは水泳しかやっていませんから社会のこともわからないことが多いのですが、彼女はいろんな世界を知っています。「観察力」があるというか「嗅覚」が働くというか、「人」を見て瞬時に感じとることができるんです。いろんなことに興味を持って勉強したり、挑戦したり。一緒にいると、まだまだ学ぶところが多いですね。

藤本 素晴らしいですね。貴司さんがすずさんの良さを理解し、表現できるところが素敵です。それでは、貴司さんにとっての人生の師、影響を受けた人はどなたですか。

山本 やっぱり両親ですね。とくに親父は、同性として見習うところが大きいですよ。

すべてを自主性に任せてくれた両親

藤本 どんなお父さんですか。

山本 一言でいうと、「かっこいい男」。考え方も行動も、堂々としているというか潔い。常に「自分」で考えて、責任を持って行動しているんですね。自分で商売をしているからかも知れませんが。山本貴司さんとの対談写真 その2

藤本 エピソードを教えてもらえますか。

山本 ぼくが中・高校生のころのことですが、スイミングスクールから電話がかかってくる。「貴司くん、練習に来ていないんですが、来させてくれませんか!?」って。すると親父は「本人寝てんねんから、行く気ないんやろ。いやなもん、無理に起こしたってしょうがないやろ」と言って電話を切りますからね。すべてをぼくの自主性に任せていたわけです。

藤本 普通なら「さぼってないで、行きなさい」と慌ててたたき起こすところですね。

山本 練習に出ないで皆に遅れるのは自分です。自分から「もっと泳げるようになりたい」と思わなければ、親の強制ほど無意味なものはありません。子どものころから常に、親父の判断は正しかったですね。

藤本 今の時代、親子のコミュニケーションが問題です。どうしたら、そんな風にお父さんを尊敬できるのでしょう。

山本 昔から両親には何でも話してましたね。当然ぼくが間違っていることも多かったんですが、そんなときも絶対に頭ごなしに叱ったり、面倒なことから逃げたりはしないで、とことん話してくれました。

藤本 子どもが納得いくまで真剣に向き合うってなかなか難しい。うちも大学生、高校生の娘が3人だけど、向こうは私とは「話が合わない」「理解し合えない」と勝手に思い込んでいるようだし、こちらも「そんなことはない」と否定しつつも、忙しさに「まあいいか」とやり過ごしてしまっていることがありますね。いざ向き合ってみたら今度は、頭に来て怒鳴ったり…。

山本うちも普段はお母さんのほうがめちゃめちゃ厳しい、でもいっちゃんこわいのはやっぱり親父。今でも両親は偉大で、まだまだ自分は子ども。息子ながらに、うまく育ててくれたなと感謝しています。 

藤本 スイミングスクールの話が出ましたが、水泳を始めたのはいつごろですか。

山本 3歳のとき。それも、たまたま家の前にイトマンスイミングスクールがあった。幼稚園前に集団生活を身につけさせようと、「とりあえず入れた」みたいです。

藤本 大阪はどちらのご出身ですか。

山本 住之江区です。北粉浜小学校、住吉第一中学校に通いながら水泳を続けました。

藤本 どんな子どもだったのですか。

山本 やんちゃでしたね。中学のころは、しょっちゅう先生に注意されてました。

藤本 どんな風に?

山本 陸上部の顧問だった先生がスパルタで、「集合時間を守らない」「ダラダラしてる」といっては、すぐに「うさぎ跳び、行ってこい!」という調子でした。

藤本 先生に反発はしなかったんですね。

山本 反発のしようがなかった。それほど絶対的でした。あのころは、「なんで、こんなことさせられんねん」と思ってましたけど、今思えば、それがよかったんですね。中学生なんてまだまだ子ども。そのときに人間として最低限必要なマナーとか、ルールとかをこれでもかというくらい教え込まれましたから。

藤本 ご両親をはじめ、たくさんの厳しくてあたたかい指導があって、今の貴司さんがあるんですね。イトマン・スイミングスクールの奥田精一郎コーチは自らを「水泳家」と呼ぶ名コーチだそうですが、相当厳しい方なんでしょうね。

山本 すずもそうですが、青山綾里(バタフライ)、中尾美樹(背泳ぎ)など、たくさんの有名選手が出ていますからね。一言でいえば「センス」ですね。一人ひとりをよく見て、子どもの資質を見抜いて選抜する。「選手育成クラス」に入れるんです。

中学時代に学んだ、
人生のマナーやルール

藤本 貴司さんが水泳の道を極めるようになったのはいつごろからですか。山本貴司さんとの対談写真 その3

山本 中学3年のときに、中学新記録を出しまして、卒業のときには「将来の夢はオリンピックに行くこと」と言ってましたけど、周りは「どうなることか」という感じでしたよ。正直ぼくも、水泳が楽しいというよりは、友だちとワイワイ遊ぶのが楽しくて、続けていたようなものでしたからね。

藤本 ご両親は、どうでしたか。

山本 さっきの話ですけど、家がスイミングクラブの目の前なんで逆に見に来たこともないし、ぼくが練習を休んでも知らん顔でしたね。周りの親たちは見学や応援に来てましたけど、うちの親は冷めたもんです。

藤本 子どもを見守ることのできる親って少ないんですよね。つい良かれと思って口出し、手出しをしてしまう。

山本 強引に押し付けられたり、力で指導されたりしていたら、とても続かなかったでしょう。両親もコーチも、「愛情」で支えてくれてたんだなあと思いますね。

藤本 それにしても水泳を続けて22年。やめたいと思ったことはありませんか。

山本 記録を意識したのは高校生になってからですが、記録が伸びなかったり、肩を故障したりで、しんどいときもありましたね。でも、そういうときには必ず次の目標が見えてくる。目指すものがあれば、踏ん張りもききます。

藤本 「自分との戦い」なんでしょうね。

山本 あきらめや逃げは、結局は「自分」の問題。苦しいこと、つらいことを乗り越えなきゃ、結果はついてこない。

藤本 相当な「精神力」が必要ですね。

山本 「負けん気」は強いほうですし、「根性」はけっこうあると思います。

藤本 「山本選手のようになりたい」と思っている子どたちが大勢いますが、どうすればもっと泳げるようになるのでしょう。

山本 「オメガ水泳教室」では全国の子どもたちに水泳を教えていますが、子どもは素直で成長が早い。やはり大切なのは、コーチに言われたことをしっかり聞くこと。素直が一番です。それから、夢を持つこと。夢に向かって行動すれば何かが動き出し、いつの間にか夢に近づいていきます。

苦しみやつらさを乗り越えてこそ

藤本 ご自身は、どんなコーチングを心がけていますか。

山本 水泳の技術はあと回し。子どもとの信頼関係が一番ですね。

藤本 コミュニケーションの問題ですね。

山本 教えるほうも情熱を持って、一人ひとりに本気でぶつかっていかなければダメですね。怒鳴ったりしたら、心を閉ざしていくだけです。こちらの話に耳を傾けてもらわなければ始まりません。

藤本 さあ次は、いよいよオリンピックへの挑戦ですね。

山本 今はオフですが、9月後半からは12月のUSオープン(アメリカ・シアトル)に向けてのトレーニングが始まります。徐々に試合に慣れていって、来年4月のオリンピック選考会でベストを出すこと、まずはそこに焦点を合わせています。

藤本 あるスポーツ紙に「今度のアテネが最後」という発言がありましたが…。

夢に向かって行動することが大切

山本 そのような気持ちでやる、ということですね。常にベストを尽くすことが大切でしょ。次があると思ってしまえば、どこかに甘えが残って自分をいじめきれません。「これが最後」と死に物狂いで戦って初めて、記録も伸びるんだと思います。

藤本 7月のメダル以降、プレッシャーも相当だと思いますが。山本 昔はぼくも弱かったけど、今はもう、いい意味で受け止められるようになった。毎年ベストを更新してますし、泳いでるときも余裕が持てるようになりました。藤本 レース中に「余裕」? 

山本 大会で一緒に泳ぐ選手たちは、たいがいどこかですでに戦ったことがあるので、選手の性格や泳ぎがわかります。向こうの泳ぎを見て、「どこから仕掛けようか」とペース配分を考えています。

藤本 戦略ですね。

山本 試合会場に入ったときから勝負は始まっています。アップで顔を合わせますが、笑顔の人もいれば目も合わせない奴もいる。会話のキャッチボールでも、相手にどうプレッシャーを与えるかが大山本貴司さんとの対談写真 その4事です。

藤本 いくつもの舞台を踏んできた経験が生かされているんですね。今の山本さんの余裕からすると、これはイケそうですね。

山本 ハハハ。調整をしっかりやっていかないといけませんね。がんばりますよ。 

藤本 カナダでのトレーニングがんばってくださいね。オリンピック楽しみにしています。今日はありがとうございました。

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