藤本 お2人の弾く三味線に違いはあるのですか。
健一 兄は「味」を追求するクラシカルな三味線。細かいフレーズにも気を使いますしね。反対にぼくのほうは、攻撃的でエネルギッシュな感じですね。演奏ではいつも突っ走ってます。
良一郎 ところが私生活は、また逆なんです。健一は、決まった物は決まった所に戻さないとダメという神経質。ぼくは、普段はアバウトでだらしない性格ですからね。
藤本 兄弟でもぜんぜん違う。それが三味線に如実に現れるなんて、面白いですね。ところで、プライベートな時間は何をしていますか。
健一 ぼくはドライブに行ったり、映画に行ったり。外に出かけることが多いですね。反対に、兄は暇さえあれば三味線を持っています。
良一郎 昔からぼくは三味線一筋。弟は、三味線を放したら全くフツーの23歳。
健一 そうそう。プライベートも性格も三味線の味も全く違う2人だけど、不思議と演奏はくずれない。三味線を持ったら自然にピッタリ合うから不思議ですね。瞬間のひらめきと感覚がすべてです。
藤本 それぞれの感性が激しくぶつかり合い、時にはひとつになる。その瞬間、そこに人々の感動があるのでしょう。兄弟ならではの特権かな? 2つ違いのお2人ですが、ライバル心はなかったですか。
良一郎 ぼくは、弟だけには絶対に負けられないって、プレッシャーが結構ありました。
藤本 兄貴としての面子もありますね。でも良一郎さんをお手本にしながら、健一さんも同じ道を歩き…。そういう意味では「良きライバル」ですね。
良一郎 兄弟だったからこそ、お互いに刺激し合い、成長できたのかも知れないな。
藤本 良一郎さんは高校を卒業して東京に出てこられましたね。
良一郎 浅草の民謡酒場に住み込みで雇ってもらいました。ずっと民謡をやってきたから、この味を大切にしていきたい。東京という地で民謡で成功したかったんです。ところがそこで、生まれて初めての挫折を味わうのです。
藤本 何があったんですか。
良一郎 店には、いわゆる民謡通の客が多く、気の抜けた音など出したら、もう許さない。演奏するときは、上半身を動かさず、背筋を伸ばして弾くのが基本だといわれ、ぼくのように首を動かしたり、上半身を前のめりにしたりするのは絶対にダメだって。伝統的な民謡を継承する店で、正統派民謡を自負する人たちが黙っていなかったんですよね。
藤本 確かに、これまでの三味線であれば、体を動かして弾くなんて考えられませんでしたね。
良一郎 人生始まって以来の挫折です。津軽のルールは民謡では通用しないわけです。落ち込んでもうダメかと思っていたときに、ある和太鼓のCDと出会ったんです。林えいてつさんという方ですが、伝統的な和太鼓をドラム的に演奏する。それを聴いて「うわぁ、スゲェー」って感動したんです。自分のカラーを持っている。それからはもう、自分が楽しく、かっこよく弾くことだけを考えました。
藤本 伝統にとらわれず、自分の個性と感性を生かして弾く。津軽三味線の醍醐味ですね。私の場合も伝統的な長唄でしたから、家元とか大変でした。健一さんはそのころどんな活動をされていたのですか?
健一 ずっと兄弟でやってきたけど、兄が東京に行ってひとりになり、最初のころは無気力の自分がいましたね。でも「これじゃダメだ。とにかく自分から何かを発信していかないと」と、コンサートを企画したんです。手づくりのチラシをデザインして、ビラ配り、会場探しまで、ぜんぶ自分でやりましたよ。ほとんど赤字でしたが。(笑)
藤本 それは大変だったでしょ。
健一 何でも人に頼むのは簡単だけど、自分でやればどれだけ大変かを身をもって知れた。他人にお願いする価値を改めて知ったんです。本当に伝えたいものは何か。発信したいことが見えてきたんです。
藤本 プレイヤー自ら、プロデューサーもなさるなんて、ものすごく貴重な体験でしたね。
健一 おかげでそれからはもう、津軽三味線から解き放たれて、未知なる世界への挑戦に心ときめいていました。たとえば、モンゴルの馬頭琴、沖縄の三線などとセッションを試みたり。パーカッションとのセッションだったり…。
藤本 新しい音への挑戦ですね。