藤本 子どもたちに、先生が与えられる情報って何でしょう。
木村 やはり「人生は面白い」と教えるのが大人としての役目。テストの点や成績なんて問題じゃありません。元素記号を知らなくても生きていけますが、人とコミュニケーションできない人間は生きていけません。それでも最低「読み書きそろばん」は、といわれますが、ぼくは、それに「ボケとつっこみ」を加えたらいいと思うんです。
藤本 ボケとつっこみ?
木村 東京の人には悪いけど、東京は「笑いの偏差値」が低いと思いますよ。面白いことを言っても笑わない。引いちゃうんですよね。笑わせてあげようというのがサービス精神なら、笑ってあげようというのもある意味、「思いやり」といえるんじゃないかな。ボケられる子は、絶対に学校でいじめにはあいません。
藤本 なるほどね。ボケとつっこみが「生きる力」というわけですね。
木村 先生も、点数の良い子、ルールの守れる子ばかりを大事にしないで、それぞれを認めてあげることが第一。一人ひとり、みんな違った良いモノを持っています。
藤本 木村さんの周りには、きっとユニークな方がたくさんいらっしゃるのでしょうね。
木村 ヨシモトに来るのは、ユニークを通り越しておかしな連中ばかり。親や先生のいうことなんて聞いちゃいられない。彼らの考えていることは「どうやって目立とうか」ということだけです。
藤本 学校では、これが否定されてしまいます。
木村 これからの時代はみんなそうだけど、黙ってルールに従っているような人間に、創造力は育たない。芸能界だけじゃなく、どんな場面でも求められるのは、クリエーティブ(※4)な発想力と行動力。偏差値とかで評価するのではなく、元気値とか熱血値とか勇気値とか、そんな価値基準が必要でしょう。
※4 クリエーティブ(creative)/創造的。生産的。独創的。
藤本 はずすほうが面白いんですね。
木村 そうそう。ルールをゆるめてやれば、人間のキャパシティー(※5)は広がっていきます。それと大人は、もっと自分を見てほしいから悪いことをするという、子どもの性質を理解してやらなければ。子どもに関わる大人は自分の立場を守る前に、子どもの立場を守ってやらなきゃダメです。世の中、きれいごとだけじゃないですからね。
※5 キャパシティー(capacity)/収容力。能力。力量。容量。
略して「キャパ」と称す。
藤本 子どもは大人のそういう体質を敏感に感じますからね。
木村 公の席で先生や役人がするあいさつほどくだらないものはないと、ぼくは思うんですが、子どももあんなの聞いちゃいられない。だって、誰も自分の言葉でしゃべっていないのが見え見えだ。まずは、大人が、ひとりの人間として子どもに向き合わなければ。「教育」とは教え諭すことではなくて、教え楽しむこと。子どもと同じ目線に立って一緒に楽しむことが大切です。
藤本 先生たちも悩んでいたんじゃダメですね。
木村 毎日子どもたちからたくさんのエネルギーをもらえるなんて、教師ほど楽しい仕事はありません。何も考えずに「教師」になっちゃった先生は悩んでいるだろうから、一度学校を出て社会を見てきたらいい。指導要領ではなく、自分で何かを伝えるためにね。
藤本 今の子どもたちは、「何になりたい?」と聞くと「サラリーマン」と答えます。社会にどんな職業があるかも知らないんです。
木村 大人たちが、もっと子どもに選択肢を与えてあげる。むかしは地域が開かれていて、身近にたくさんの大人たちが生きていた。キセルのそうじやさん、竿竹やさん、やきいもやさん、ポン菓子に紙芝居にひよこ売り…。
藤本 ありました、ありました。紙芝居なんか、楽しみでしたもんね。
木村 大人と子どもがふれあう場所がたくさんあって、子どもはその中で自然と社会性や人生観を学んでいったんです。集団登校も、子ども同士の縦のつながりを持つということでは、意味があるんですけどね。
藤本 いろんな価値観がありますから、学校でも地域でも、ひとつのルールを決めるのは大変です。
木村 誰かに期待したり依存したりしていたんでは始まらない。まずは一人ひとりの大人がちゃんとしなきゃいけないでしょ。子どもにとっては、一番身近なお父さんお母さんが意識して変わらなければね。