叶 その後「叶麗子」と芸名を決定し、早々と自主レコードを制作。うれしくて飛び上がりましたが、長く
厳しいドサ回りのスタートです。
藤本 下積み時代ですね。大変なご苦労があったのでしょうね。
叶 「ヘタくそ!」「引っ込め!」はまだしも、酔っ払いに体をさわられたりして、店を飛び出したこともありました。いつまでこんな日が続くのか。出口の見えない毎日に嫌気がさし「もうやめさせて」と社長に懇願しました。
藤本 社長も困りましたね。
叶 ええ。でも、それまで寝ずに働いて私を支えてくれた両親が迎えに来ると、「はなむけの舞台を最後に」と約束してくれました。
藤本 まさか、その「最後の舞台」が、本当の意味で、叶麗子のスタートになろうとは…。
叶 最後の「新花月」。泣きながら『涙の連絡線』を歌い終え、おじぎをする私。どん底の歌手生活にピリオドを打つ瞬間です。客席から歩み寄って来たひとりのおっちゃんが「あんたの歌ほんまによかったで」と言って、ズボンのポケットからしわくちゃの千円札を取り出して私の手に握らせてくれたのです。
藤本 千円札の重みですね。
叶 三越のOL時代には感じなかった感謝の気持ちに、涙があふれて止まりませんでした。本当にうれしかった。私の歌を聴いて喜んでくださる人がいるのなら、もう一度歌わせてほしいと思いました。社長に「次も出して」とお願いしたのです。
藤本 本当に、人生はドラマですね。
叶 新花月から通天閣歌謡劇場へとステージは移り、たくさんの皆さんとの出会いがありました。死のうと決意して「最後に演歌でも聴こうか」と、ふらっと寄ってくださった方が私の歌を聴いて、生きる希望を見つけてくれました。去年本を出してからは、歌だけでなく講演も多いので、そこでまたたくさんの方に出会います。
藤本 私も『心〜お母ちゃん、生んでくれてありがとう』を読ませていただきましたが、叶さんにお会いして、もっと話をお聞きしたいと思いました。講演会が多いのは当然ですね。
叶 講演会では約2曲を歌い、それからお客様の顔を見て、その時々で皆様に喜んでいただけそうな話をします。台本は一切ありません。先日、和歌山県の工業高校で800人の生徒さんを前に話したときは、いじめられっ子だったひとりの男子学生が、私の講演会をきっかけに、そのいじめから立ち直ったという感動的な出来事がありました。
藤本 詳しく教えていただけますか。
叶 いろんな所にお邪魔しますが、工業高校なんて初めてでした。一通り話をしたあと、私はみんなに「夢はなんですか?」と聞きました。誰も手を挙げてくれません。そこでステージから降りて「どなたか手を挙げてください」とお願いしました。すると遠くの席で「ハーイ」と元気な声が。近づいてマイクを向けると「あー、えー、うー」と、1、2分の間がありました。でも何か言いたそうな目をしている。辛抱して彼の発言を待ちました。そして彼は言ったのです。「ぼくは、将来、たくさんの人に夢を与えてあげられるような仕事がしたい」。会場から一斉に拍手が巻き起こりました。あとで聞いたら、彼は学校一のいじめられっ子。手を挙げたのは「彼」の意志ではなく、周りの学生たちにからかわれて、無理矢理挙げさせられていたんです。
藤本 でも、彼は自分の言葉で話しました。周りも驚いたでしょう。
叶 それはもう。帰りに校長先生が「今日から、いじめはなくなるでしょう。ありがとう、ありがとう」と、何度も頭を下げられました。
藤本 叶さんの歌とお話を聞き、考えていたのでしょうね。それは、私も思います。なんかとっても元気になれるというか、勇気をいただけるような。それでいて、とてもあたたかいものがふわーっと、伝わってきます
叶 いつも一生懸命なんです。私も、藤本さんに、自分を知ってもらいたい。そして、この対談を読んでくださる方たちに何かを伝えたいと、心から思っているだけです。
藤本 ありがとうございます。この『ビーボラビータ』は広くお父さん、お母さんたちに読まれているのですが、子育てについて、何かメッセージをいただけますか。