スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

自分の心が変われば人生は変わる 通天閣の歌姫 叶 麗子さん

本家本元「通天閣の歌姫」の人情あふれるライブは各地で大評判。舞台と客席との間で紡ぎ出される魂の交歓ともいわれている。舞台を通して得た人々との一期一会や、子どものころのいじめ体験など、時代を越えた大切なものを語りかける講演はライブ同様好評を博し、あちこちからひっぱりだこの叶麗子さん。素顔の叶さんに、人生のキーワードとなる生き方を教わった。

 

通天閣の歌姫 叶 麗子さん
かのう れいこ  NHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」で人気を博した「通天閣の歌姫」オーロラ輝子の実在モデル。奈良県桜井市出身。県立榛原高校卒業後、三越百貨店のOLを経て歌手となる。現在も通天閣歌謡劇場をホームグランドに、全国で熱狂的なステージを展開。1988年大阪新世界「新花月」で初舞台。叶麗子第一次フィーバー現象が起こり、新花月の救世主となる。89年「89イレブン大賞」受賞。90年「通天閣人情/みれん桟橋」でレコードデビュー、同年「第9回メガロポリス歌謡祭」新人賞を受賞。以後、「人生舞台/ヤボになっちゃうよ」「忍/人生すごろく」「酒場春秋」「心」などを発売。昨年『心〜お母ちゃん、生んでくれてありがとう』を発刊して以来、全国から講演依頼が殺到。

http://www.reiko-kanou.com

命を削って歌わないと罰が当たる

藤本 7月に「ワッハ上方演芸ホール」で行われた芸能生活15周年記念公演は大盛況だったようです叶 麗子さんとの対談写真 その1ね。私もビデオを拝見しましたが、涙あり笑いありで見応え十分。第2部ではお歌もたっぷりと聴かせていただき、叶さんにお会いするのを楽しみにしてまいりました。

 ありがとうございます。この公演は第1部でお芝居をやらせていただき、演出の吉村正人先生をはじめ、大勢のスタッフに支えてもらいました。たくさんのお客様が来てくださって、自分でも本当に素晴らしい舞台に立たせていただいたと思っています。

藤本 今日は、ステージとはまた違った素顔の叶さんにお目にかかれて光栄です。それにしてもとても迫力のあるステージでしたね。叶さんの歌が「雷舞演歌」と呼ばれる理由が、少しわかったような気がします。

 雷舞演歌とは、後援会の皆さんがつけてくださった名前ですが、私は自分は「歌手」ではなく「ゲ・イ・ニ・ン」だと思っています。

藤本 魂の歌という感じでしょうか。「芸」と呼ぶにふさわしい、大きな価値のあるものですね。

 私の歌を聴いてくださる方の職業はさまざま。睡眠時間を削ってトラックを運転されている方も、命綱もなしに高い所でビル工事のお仕事をされている方もいます。彼らはみんな「命」を賭けて働いている。その一方で、華やかなステージでサラリと1曲歌って何十万、何百万円というギャラをいただく歌手もいる。体を張って稼いだお金で聴きにきてくださるからには、こちらも命を削って歌わしてもらわんと罰が当たると思うんです。

藤本 その気持ちが、見ている人に感動を与えるのでしょうね。

 楽をしようとしたらあきません。ギャラが上がったら、今まで以上の芸をお返ししなければと思うんです。皆さんが応援してくださればくださるほど、私も力が入ります。

藤本 通天閣に聴きに来てくださる方の中には、叶麗子に人生を賭けているという方も多いと伺っていますが。

 「夢」を賭けてくださっています。あそこには、連帯感というか、運命共同体のような、独特の雰囲気があるんです。

藤本 叶さんと会場のお客様がひとつになるという興奮のシーンが、想像できますよね。

 毎回、出口で一人ひとりにお礼を言います。握手をして「今日は、来てくださってありがとう。今度会えるときまで、がんばりましょうね」と声をかけます。

藤本 皆さんうれしいでしょうね。それができる劇場というのは、とても貴重ですね。

 私の原点は「大衆演劇」なので、私にしてみれば当たり前なんですよ。

盆踊り大会が私の運命を変えた

藤本 その原点の意味、今日の叶麗子誕生までのストーリーを教えていただけませんか。

 そんなん立派なもんやないですよ。「運命」といえるかも知れません。「通天閣の下で寝泊りしてるんやろ」なんて、よく言われますが、私は奈良県の生まれ。小さいころは、それは内気な女の子でした。それが高校生のときのことです。「大衆演劇」にハマってしまい、大阪の新世界の演芸場に通い出しました。

藤本 みんなが「ニューミュージック」と言っている時代でしたよね。

 今でこそ新世界は、大阪のキタやミナミとは一味違ったトレンディスポットとして注目されていますが、当時は労働者のまちというイメージ一色でした。でも、そこにあるのは人情や人間臭さ、そして演歌。まさに、これが叶麗子をつくったといえるでしょう。多感な年ごろでしたので、舞台と客席が一体となるライブ感覚を五感で吸収したのです。

藤本 でも、なりたいからなれるというものではありません。厳しい世界なんでしょうね。

 大衆演劇に魅せられていましたが、まさか自分がその世界に身を投じようなんて大それたこと、思いもよりません。

藤本 一度はお勤めをなさったとか。

高校卒業後は、大阪・北浜の三越百貨店に入社。母校・奈良県立榛原高校の卒業生としては、初めて三越に就職できたもんで、その理由は「最高の笑顔」やと、ほめられました。

藤本 三越の重役陣には「先見の明」があった。あとで裏切られちゃうわけだけど。

叶・藤本 ハハハハ。

 21歳のとき、友人と出かけた橿原神宮前駅の広場(奈良県橿原市)で開かれた盆踊り大会で、人生は一転しました。

藤本 運命は、どのように訪れたのですか。

 ある男性歌手が盆踊りにゲスト出演されていて、ステージでデュエットの相手役を募ったのです。するとなんと、元気よく手を挙げる友人の隣にいた私を司会者が指名しました。その司会者というのが、実は今のマネージャーであり、社長の松田清一だったのです。

藤本 どうして叶さんを?

 たまたま、白い服を着ていたので、暗闇の中ではやけに目立ったそうです。ステージに引っ張り出された私は、わけもわからないままに『浪花恋しぐれ』をデュエット。上がってしまった恥ずかしさで急いで帰りかけたそのとき、「歌手にならへんか?」と呼び止められたのです。翌日わが家に現われた松田は、それから約3か月間、反対する父を説得させるために日参したのです。

藤本 それにしても、よく通い続けましたね。3か月というのはスゴイ!

 当時、失恋の失意にあった私は、藁をもすがる思いで歌の世界に夢を描き、娘心を後押しするように母も承諾してくれました。ところが父は、むかし堅気の建具職人。猛反対です。

藤本 それをうんと言わせたのは。

 松田の粘り勝ちですね。特徴のあるヘンな声に惚れたからといいますよ。父は松田に「あんたに娘を3年間だけ預ける」と、そして私には「3年間は家の敷居をまたぐな」と言ったのです。あとで聞いた話ですが、別の部屋へ松田を招き入れた父は、黙って100万円の束を渡し、「これで何とかしてやってほしい」と頭を下げたそうです。

藤本 素晴らしいお父様ですね。娘を愛すればこそのご決断だったでしょう。 

しわくちゃの千円札の重みを忘れない

 その後「叶麗子」と芸名を決定し、早々と自主レコードを制作。うれしくて飛び上がりましたが、長く叶 麗子さんとの対談写真 その2厳しいドサ回りのスタートです。

藤本 下積み時代ですね。大変なご苦労があったのでしょうね。

 「ヘタくそ!」「引っ込め!」はまだしも、酔っ払いに体をさわられたりして、店を飛び出したこともありました。いつまでこんな日が続くのか。出口の見えない毎日に嫌気がさし「もうやめさせて」と社長に懇願しました。

藤本 社長も困りましたね。

 ええ。でも、それまで寝ずに働いて私を支えてくれた両親が迎えに来ると、「はなむけの舞台を最後に」と約束してくれました。

藤本 まさか、その「最後の舞台」が、本当の意味で、叶麗子のスタートになろうとは…。

 最後の「新花月」。泣きながら『涙の連絡線』を歌い終え、おじぎをする私。どん底の歌手生活にピリオドを打つ瞬間です。客席から歩み寄って来たひとりのおっちゃんが「あんたの歌ほんまによかったで」と言って、ズボンのポケットからしわくちゃの千円札を取り出して私の手に握らせてくれたのです。

藤本 千円札の重みですね。

 三越のOL時代には感じなかった感謝の気持ちに、涙があふれて止まりませんでした。本当にうれしかった。私の歌を聴いて喜んでくださる人がいるのなら、もう一度歌わせてほしいと思いました。社長に「次も出して」とお願いしたのです。

藤本 本当に、人生はドラマですね。

 新花月から通天閣歌謡劇場へとステージは移り、たくさんの皆さんとの出会いがありました。死のうと決意して「最後に演歌でも聴こうか」と、ふらっと寄ってくださった方が私の歌を聴いて、生きる希望を見つけてくれました。去年本を出してからは、歌だけでなく講演も多いので、そこでまたたくさんの方に出会います。

藤本 私も『心〜お母ちゃん、生んでくれてありがとう』を読ませていただきましたが、叶さんにお会いして、もっと話をお聞きしたいと思いました。講演会が多いのは当然ですね。

 講演会では約2曲を歌い、それからお客様の顔を見て、その時々で皆様に喜んでいただけそうな話をします。台本は一切ありません。先日、和歌山県の工業高校で800人の生徒さんを前に話したときは、いじめられっ子だったひとりの男子学生が、私の講演会をきっかけに、そのいじめから立ち直ったという感動的な出来事がありました。

藤本 詳しく教えていただけますか。

 いろんな所にお邪魔しますが、工業高校なんて初めてでした。一通り話をしたあと、私はみんなに「夢はなんですか?」と聞きました。誰も手を挙げてくれません。そこでステージから降りて「どなたか手を挙げてください」とお願いしました。すると遠くの席で「ハーイ」と元気な声が。近づいてマイクを向けると「あー、えー、うー」と、1、2分の間がありました。でも何か言いたそうな目をしている。辛抱して彼の発言を待ちました。そして彼は言ったのです。「ぼくは、将来、たくさんの人に夢を与えてあげられるような仕事がしたい」。会場から一斉に拍手が巻き起こりました。あとで聞いたら、彼は学校一のいじめられっ子。手を挙げたのは「彼」の意志ではなく、周りの学生たちにからかわれて、無理矢理挙げさせられていたんです。

藤本 でも、彼は自分の言葉で話しました。周りも驚いたでしょう。

 それはもう。帰りに校長先生が「今日から、いじめはなくなるでしょう。ありがとう、ありがとう」と、何度も頭を下げられました。

藤本 叶さんの歌とお話を聞き、考えていたのでしょうね。それは、私も思います。なんかとっても元気になれるというか、勇気をいただけるような。それでいて、とてもあたたかいものがふわーっと、伝わってきます 

 いつも一生懸命なんです。私も、藤本さんに、自分を知ってもらいたい。そして、この対談を読んでくださる方たちに何かを伝えたいと、心から思っているだけです。

藤本 ありがとうございます。この『ビーボラビータ』は広くお父さん、お母さんたちに読まれているのですが、子育てについて、何かメッセージをいただけますか。 

抱き締められると心があたたまる

 お子さんたちを、もっと抱き締めてあげてほしいですね。私は、実は先天性の脱臼という障害を持叶 麗子さんとの対談写真 その3っています。小さいころは歩くとすぐに転ぶ。もちろん走ることもできなかったし、それは苦労しました。覚えているのは幼稚園の運動会のときのことです。「ヨーイ、ドン」で走り出したものの、みんなとっくにゴールしても私はまだ5mしか進んでいません。先生が後ろについて一緒に走ってくれました。普通の親なら「もういい」と、見ていられずに止めてしまうところでしょうが、母は一生懸命に写真を撮っていました。

藤本 見守ることができる方なのですね。

 ええ。学校に上がってからも、そのことで周りの子どもたちからいじめられたりすることがあって、私も意気地なしだったので、「行きたない」と言って母に泣きつきました。

藤本 お母様はなんておっしゃいました?

 わが家は建具屋だったので、毎晩、木材を燃料に五右衛門風呂を焚いていました。私がその中に入って、母が火をくべる。母は「うんうん、つらいね。お母ちゃんにはわかるよ。はよ丈夫になろうね。丈夫になって学校行こうね」とやさしく諭しながら、ギューッと私を抱き締めてくれました。すると、冷えきっていた心が、あたたかくなるのがわかるんです。

藤本 お母さんのぬくもり…。

 それは心強かったですね。あるときいじめられて、田んぼに突き落とされたこともありました。私を迎えに来てくれた母は「ようがんばったね。えらかったね。無事でよかった」と言って、また私を強く抱きしめました。

藤本 普通なら、「どこの誰がやったん!?」と、先生に怒鳴りにでも行くところですね。

 それを言ったところで何も解決しない。子ども心に「恨む」ということを植え付けたくなかったのでしょう。母は誰のことも恨んだり、自分を不幸に思ったりはしない人でした。

藤本 素晴らしいお母様ですね。

 これは「モラロジー」(※)という道徳教育ですが、すべての事柄を常にプラス思考でとらえます。私の尊敬するジャーナリスト・黒田清さんは、「何事も自分に与えられた使命。大変な苦労がある分、誰よりも幸せを感じることができる。今を受け入れて感謝する気持ち、人には寛大、己に厳しくという心がけが大切」と教えてくれました。

※モラロジー/仏語のモラル(morale)の変化で、道徳教育のひとつ。他人を責めずに自分を反省し、自己を見つめるという考え方。

藤本 確かにそうですね。不平不満や恨み言をいっていても何も始まりません。でも人間って、なかなかそうは割り切れません。

 子どもを3人持った友人がいます。一番下の男の子に障害があった。彼女は私に、つらい毎日を泣いて訴えました。私は黒田先生に教えていただいた通り「その子は重荷ではなく、神様から授かった大事な宝やと思える日がくるから」と話しました。そして、数か月後…。「私ね、上のお姉ちゃんたちにはなんで勉強できへんのと叱るばかりやった。でも、この子の場合は、できんのよ。それでもやっとこできたときには、もううれしくてうれしくて。頬ずりしてよくできたねとほめて一緒に喜べるの。この子ね、私に毎日いっぱい感動を与えてくれんねん。あんたの言う通り、ほんまに神様っているんやね」って。苦労も逆境も、自分に与えられた勉強の場だと思います。

藤本 ほんとにそうですね。でも世の中には、そう考えられずに「なんで私ばかり」と、苦しんでしまう人もたくさんいるでしょう。

 「学校で何かあった」と聞くと、すぐに逆上して子どもを問い詰めたり、学校に文句をいったり。子どもの気持ちを理解するどころか、完全に自分の感情が入ってしまいます。

藤本 確かにそういう人も多いかも知れない。

 まずは子どもの気持ちを受け入れてあげることが大切です。聞いてもらえばそれでいいという場合も多いのです。子育てだけでなく、会社でもそうです。部下の出来が悪いと上司は嘆きますが、残念ながら人は変わりません。それなら自分が考え方を変えてみる。「相手をなおそうとしないで、わかろうとすることが大切」。相手を理解しようとしたときに、初めて相手が見えてくるのです。

藤本 どんな人間関係にもいえることですね。

天国も地獄も心の持ち方ひとつ

 ステージと客席との関係も同じです。皆さんの気持ちを理解したい、皆さんが私に賭けてくださっている夢を叶えたいと思って、心を込めて歌います。

藤本 完全燃焼ですね。

 舞台は一期一会。今日死んでもいいと思って本気で歌っています。明日の朝早く大変なお仕事があるといっても、全く手を抜けない。それが私です。

藤本 私も同感です。

 天国も地獄も心の持ち方ひとつです。自分の心が変われば、人生は必ず変わります。たった一度の人生を、どう生きるかと考えたときに「苦労の人生」なんてイヤですもん。毎年、京都刑務所で歌わせていただいていますが、受刑者の皆さんに言うんです。「鉄格子の間から、泥を眺めるか、星を眺めるか」。星を探そうとする心。逆境のときこそ、人の「心」を思うことができるんです。

藤本 すべての人がそんな心がけでいたら、素晴らしい世の中になるでしょう。最後に、叶さんの夢を教えてください。

 やはり紅白歌合戦に出ることでしょうか。私の夢というより、これは、通天閣の皆さんの夢といって叶 麗子さんとの対談写真 その4もいいですね。大晦日に紅白に出て、その足で大阪に戻り、元旦は通天閣で歌う。これが皆さんの夢なんです。

藤本 絶対に叶えなければいけませんね。叶さんがたくさんの人に夢や勇気を与えられる理由がわかります。子育て真っ最中のお母さんたちにも、ぜひ叶さんの歌やお話を聞かせてください。今度、横浜にも来てくれませんか。

 私でよければ、飛んで行きますよ。

藤本 その前に一度、通天閣にお邪魔しますね。本当に今日はありがとうございました。

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