藤本 今、社会には子どもをめぐるさまざまな問題が起きています。いじめ、不登校、学級崩壊、密室
育児、幼児虐待…。どうして、このような社会になってきたとお考えでしょうか。
落合 一言で原因を言ってしまうのは、むしろこわいことですね。ただひとつ言えるのは、子どもから見れば、すべての大人はもうひとつの環境問題だということです。どういう大人がそばにいるか。大人がどんな生き方をしているのか。それは家庭で地域で学校で、そして政治の場面でもそう。現代の子どもを語る前に、現代の大人である自分、あるいは自分たちがつくってしまった社会構造そのものに、問いかけをしなければいけません。
藤本 子どもの問題より、我々大人たちの問題として考える必要があるということですね。
落合 はい。たとえば、子育て=お母さん。このイコールで結ぶ関係から問いかけていく必要もあります。なぜ子育ては、いつも女性の「仕事」とされているのか。父である男性はどうなのか、とか。「お母さん」と言ってしまうとき、そこに居るはずの、ひとりの母であり、ひとりの女性である個人名は消されがちですね。フルネームの彼女でいいじゃないですか。「お母さん」って言ってしまうことで、子育てはお母さんの仕事。つまり、子どもが何か問題を起こすと「母親が悪い」「母親が外に働きに出ていた」というバッシングが待っている。母、一方の性にしか問われない子育てって一体何なんだろうと、社会のそこの構造を変えたいですね。
藤本 社会の中で「母親」という概念が、つくられているのでしょうか。
落合 女性たちがそれをずっと問いかけてきましたね。概念がつくられているのは、「父」も同じでしょう。全く逆方向で、お父さんは育児に遠い人、たまにいる人みたいな。「お母さん」という概念は「お父さん」というつくられた概念とワンセットになってるでしょ。
藤本 確かにそうですね。つい自分だけが大変と思ってしまいますが、落合さんが言われるようにどんな人にも共通して言えることですね。
落合 もちろん、育児は大いなる喜びでもあるけれど、並行して母親たちも「子育ては大変です」と声を上げていかないと、社会は変わっていかないよね。いつまで経っても、子育ては女の仕事であり続ける。
藤本 男性の育児参加が叫ばれていますが、まだまだ十分とは言えませんね。
落合 今は国レベルで、男女共同参画社会がテーマになっています。私は長いこと「男性も地域社会に帰っておいで! 暮らしを楽しもうよ」とメッセージしてきましたけど。せっかくふたりの間に生まれてくる子どもの成長です。その成長の中にはつまずきや、うまくいかない
こともあるけれど、喜びも数えきれないほど。この成長の節々にお父さんだって、ひとりの人間として関わっていかなきゃとっても損だよって、気がするんですね。
藤本 この『ビーボラビータ』の中では、みんなが自分らしく生きていこうと提案していますが、母親たちが一歩踏み出そうとすると、いろんな制約があって、なかなか思い通りにはいきません。「自分に正直に生きようとすればするほどそれを引き止め、元の所につなぎ止めておこうとする鎖が、外側(社会)にも内側(個人の内部)にもある。それらからいかに自由になっていくかがテーマ」と、落合さんもご著書の中で言われていますよね。女性たちが、さまざまなハードルを越えてアクションするには、どうしたらいいのでしょう
落合 始める前は、とても困難に思えるでしょうが、内なる制約は自分でクリアしないと。そのとき、その人がどれだけ動きやすい環境を、周囲も協力してつくってあげられるか。まずは「このままでいいの?」と自らに問いかけ、変わろうとする自分がいないと。周囲が先には動けない。人の人生に関われるのは、その程度のことですよ。あるいは、それで十分と言えるでしょう。子どもの人生だって同じ。親も子どもの心を思い通りにはできませんから。
藤本 落合さんの最近のご著書に「あなたの肩の荷を少しだけおろすお手伝いができたら…」と書いてありましたが、すてきなメッセージですね。子どもや母親だけでなく、どんな人にも心に響く言葉だと思います。
落合 できるだけ大人たちが、子育てじゃなくて、子育ちができる社会、子ども自身が育つことのできる社会をつくっていかないと。親が子どもを育ててあげるという意識も、ちょっと違う。人に対しても、こうしたいとか、こうあらねばならないと押しつけるのは、問題でしょう。ただ、みんなが自分らしく生きたいって思うのは当然で、互いに互いの「個」を育てることを認め合いたいですね。
藤本 どうやって自分を育てていいかわからない、という母親たちの声が聞こえます。
落合 今、社会の問題として子どもへの「虐待」があります。必ずその場合、加害性を持ったのは母という女性だと。母性の欠如だとか、周りは大騒ぎをする。密室的あるいはカプセル的環境の中で子どもとしか向かい合わず、自分自身の中にたくさんの芽を持っていながら、その芽に水をあげたり日を当てることもなかなか難しくて、追い詰められていく女性たち。でも子どもはいくらそうされても絶対に母親にすがるわけだから。「虐待」は許されないことですが、そこまで追い詰められてしまう、その背景も見ていかないといけません。
藤本 「虐待」の文字が活字にならない日はありませんよね。