スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

生活を豊かにする暦というもの  観象学創始者・ライフセラピスト 井上象英

私たち日本人の生活と密接な関係にある暦。その代表ともいえる「神宮館高島暦」は、年間800万部を売るベストセラー。平成21年度版の著者・井上象英さんは、日本に昔から伝わるしきたりや習わしなど、伝統文化を次世代に伝え残したいと、執筆や講演など精力的に活動中。暦の歴史をひも解き、その魅力に迫った。

 

観象学創始者・ライフセラピスト 井上象英
いのうえ しょうえい●東京都出身。観象学講究総本部代表。京都比叡山・赤山宮宮司。東北福祉大学特任講師。株式会社象英企画代表取締役社長。17歳で観象学人の門下生となり、暦法と神道学を修める。易経・気学・姓名学・墓相学・風水学鑑定士資格を取得。「観象学」を創始。応用心理学カウンセラー、ライフセラピストとして企業・団体で講演活動を行なう。全国商工会議所女性会連合会常任理事。東京商工会議所女性会副会長。東京恵比寿ロータリークラブ。NPO法人日本車椅子ダンス連盟理事。「神宮館高島暦」「すこやかダイアリー」「象英暦」「知っておきたい 幸せになれるこよみの活用術」(神宮館)、「手相占い」(ナツメ社)、「開運の家相と間取り」(ナツメ社)等著書多数。1男1女の母。梅干と羊羹が苦手。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kanyusha/

横浜開港後に生まれた「高島暦」

藤本 私たちの家庭や会社でも、カレンダーや暦を買い揃える井上象英との対談写真 その1この時期、今日は、改めて「暦」について伺わせてください

象英 太古の昔、自然採取の生活を送っていた人々。たとえば太陽や月の角度の違いから、これから暑くなるぞ、涼しくなるぞ、川へ行くと魚がいっぱいだぞ、そろそろ魚がいなくなるぞ…といった、生きていくための必要不可欠な情報を蓄積し、関連付けを研究し、伝え残していくことで、豊かな食事をとることができるようになると考えました。この自然のサイクルを研究し、とりまとめたものが「暦」の始まりです。

藤本 日本に暦が入ってきたのは、いつ頃のことですか。

象英 推古12年(604)年。日本の暦は、自然環境の変化から四季の循環を知る「自然暦」の時代を経て、中国の暦法を導入することによって始まりました。天体の運行にある一定の法則(周期と循環)を、「天干」と「地支」という2つのシステムを組み合わせて表現したのです。「天干」は甲、乙、丙、丁…、「地支」は子、丑、寅、卯、辰…。

藤本 日本の「十干」、「十二支」にあたるものですね。

象英 甲子、丙寅…と順次組み合わせたものが「暦」であり、暦は60年で一巡し、61年目には再び「甲子」と元に戻ることから、「還暦」という祝い事があるのです。

藤本 「還暦」には、そんな意味があるのですね。ところで十二支など、生まれ年による運勢という考え方はどういうものでしょう。

象英 何百年、何千年と中国の歴史をさかのぼり、戦争、豊作、凶作、地震、水害…天変地異が起こった時期などを調べると、それらは一定の周期で繰り返されていることに気づいたのです。と同時に、人間にもまた、ある年に生まれた人には、その年生まれに共通した個性(特徴)があることがわかってきました。それが統計学の発達により、気学的、科学的にはっきりと証明されたのです。

藤本 占いの基本は統計学であるという話は聞いたことがあります。そのほか私たちになじみがある暦には、お祝い事の日取り決めに役立つ「吉凶」なども盛り込まれていますね。

象英 二十四節気に見られる季節の循環、雑節に見られる農作業の目安、祝い事の日取り決め、各地の祭事の案内、お天気の目安など、日本人が生活する上でのさまざまな指針が記されています。暦を知り、生かしていくことで、生活を豊かにすることができるんです。

藤本 暦が、日本人の生活と切り離せないといわれるゆえんですね。

日本の伝説を守るために

象英 暦をより見やすく、てもらおうという思いからつくられたのが、運勢暦です。

藤本 数ある暦の中でも、トップブランド多くの人々に活用しとして100年もの歴史を持つ神宮館の高島暦ですが、象英さんは、平成21年度からの執筆をご担当されたのですね。

象英 父、観象学人が長年にわたり、執筆させていただきました。ご縁の不思議を感じていますが井上象英との対談写真 その2、18年前に他界したことを機に、亡き父のあとを継ぎ、またそれを発展させて「観象学」という学問を完成。昨年までの執筆者・平木場泰義さんに代替わりし、今年、初めて書かせていただきました。

藤本 「神宮館高島暦」といえば、長年の歴史を持つものですね。わが家でも、祖母が愛読していたように記憶しています。

象英 横浜に「高島町」という町があるのはご存知ですか。この名前は、高島嘉右衛門(高島呑象)先生の名をとってつけられたものです。先生は家業の土木建築業を継ぎ、公使館建築や鉄道の敷設、日本最初のガス会社を設立。伊藤博文や福沢諭吉など政財界人と親交が厚く、横浜の埋め立て事業に成功したことは、特に有名です。

藤本 「高島町」は、桜木町の隣にあるのでとても身近な町ですが、その由来は初めて知りました。

象英 高島呑象先生は、45歳の若さで実業界から引退。その後は「易」の研究に没頭しました。多くの人が先生の易を求めて訪れ、伊藤博文をはじめ有力政治家にも影響を与え、また自分の死期も予告し、自分の命日を位牌に書き込み、その通りにこの世を去ったそうです。

藤本 なぜ、易学を?

象英 交換レートを利用してさらに財を得ようとした際、罪に問われ、投獄されてしまいました。牢獄の中に偶然あった「易経」を隅から隅まで学び、獄中の仲間を占ったのです。これが当たると評判になり、さらには、役人の出世を的中させ、その役人により、釈放されたのです。

藤本 実業家としての功績だけでなく、易学者として多くの人を成功に導き、その後の易学にも多大なる影響を与えたのですね。

象英 先生が残した著書「高島易断」は、易学者たちの教科書となっています。「神宮館」は、その高島暦の印刷・販売を受け負い、明治41年に創業。当時、暦は各家庭の神棚に飾って、人々の生活を見守る、そんな存在でした。人々が幸せに暮らせるための指針だったのです。

藤本 日頃は「吉凶」などを気にしない人でも、結婚式やお葬式などの日取りを決めるときには、必ずチェックするのではないでしょうか。今でも「大安」や「仏滅」は、多くのカレンダーに記されていますね。

象英 現代生活にも古きよき伝統が、密着したものとして扱われているということです。暦による日本のしきたりや習わしは、昔は家庭の中で、親から子へ言い伝えられてきたものでした。しかし、現代では核家族化が進み、そうした伝承や継承が難しくなってきました。

藤本 核家族化どころか、近所づきあいもないような地域社会ですから、生きるための知恵を学ぶ機会も少なくなっています。たとえば帯祝いにお七夜、お宮参りなど、さまざまな場面で子どもの健やかな成長を祈り、神様に手を合わせる私たちですが、いわれや内容を知っているかといえば、自信はありません。私たち世代ですらこんな状況ですから、若い人たちにはなおさらです。

象英 グローバルな時代だからこそ、日本の伝統を守っていくことが必要だと感じています。井上象英との対談写真 その3

藤本 本当にそうですね。象英さんご自身のことを伺いたいのですが、この世界に入ったのはいつですか。

象英 17歳で父の門下生となり、暦法と神道学を修めました。

藤本 小さい頃からお父様の仕事に、興味があったのでしょうか。

象英 当然、兄が継ぐものと思っていましたので、考えてはいませんでしたが、易書が身近にあったので、違和感はありませんでした。もともと「人」に興味があったので、好奇心からといえるでしょうか。

藤本 お父様は、象英さんに何ておっしゃったのですか。

象英 父は学べとは言わず、教えてもくれませんでした。私も実は、信じながらどこかで疑っていたんです。生年月日など同じ星に生まれているのに個性は千差万別であることに…。

藤本 教えられなくても学び続けた理由は、そのあたりにあるのかもしれませんね。

象英 易経は奥が深く、どこまでいっても答えが出ない。その分、学び続ける楽しさがあります。易学・気学・姓名学のほか四柱推命・手相・人相・占星術・タロットなども学び、研究し、東洋の易学と気学、そして神道学を融合させた独自の占術として、「観象学」を確立させました。

藤本 小さい頃はどんなお子さんでしたか。

象英 おてんばで、男勝りなところがありました。実は私には、死にかけた体験が2度ありまして、最初は3つか4つのとき。近所のお寺のお墓に備えられていたものを食べて、お腹をこわしたんです。高熱が出て、肺炎をこじらせました。

藤本 仏様のものを盗んで、罰が当たったのでしょうか(笑)。

象英 そうかもしれませんね。もう1回は8つか9つのとき、近所でトンネルを掘って遊んでいたときのことです。あと少しで抜けられるというときに土砂が崩れ、埋まってしまったんです。近くの人に助けられて命拾いをするのですが、気絶していた数分の間に、1度目に死にかけたときに見た「死神」にまた会ったのです。黒い羽織を着て、背中を丸めた小柄なおばあさん。白髪を丸く結い、まげをつけているんです。目を合わせたらおしまいと、もう必死で逃げるんです。

藤本 見えないものが見える力を持っていらっしゃるのでしょうか。

運命は、勇気と努力で変えられる

象英 霊感はありませんが、死にかけたのも「運命」でしょう。子どもながらに、死にたくない、生きたいという、とてつもないエネルギーが生まれていました。命の大切さを身を持って体験したのかもしれません。

藤本 「運命」や「運勢」についてはどうお考えになりますか。

象英 人間はオギャーと生まれたときの星のプログラムを持っています。でも両親や性別、環境…すべてが違うため千人千様です。自分の才能や個性を知ることによって、「運命」も「運勢」も変えられます。たとえば音楽が得意な人、運動が得意な人…皆が個々のリーダーシップを発揮していくことができる社会が理想です。

藤本 自分の力でどうにもならないことも、人生にはあるのではないでしょうか。

象英 「宿命」という与えられたテーマを抱えて、それをどうやったら好転させていくことができるか。何事も一つひとつ努力して、かけがえのない瞬間を体験していくことが人生だと思います。

藤本 ご自身の、何かエピソードがあれば教えていただけますか。

象英 高校生の頃、つきあっていた彼と同じ大学に行きたいと願ったの。でも頭のいい彼と同じ大学は無理って。そのとき占いを見てもらったのが、「新宿の母」・栗原すみ子さん。「あなたには骨がある。がんばれば、絶対に達成する」と。

藤本 それは勇気になりますね。結果はどうでしたか。

象英 がんばって入試には合格。でも結局、父の反対にあって断念。大人になってから、社会人大学を卒業し、カウンセラーの資格を取りました。つまり、身近な目標を持って努力すれば叶うんだという、あのときの経験は、今もずっと生きています。

藤本 象英さんが、栗原さんに見てもらったなんて、驚きです。最後に夢を聞かせてください。井上象英との対談写真 その4

象英 今が最高と思えるよう、日々努力していますので、これ以上望むものはないですね。但し、人は学べば学ぶほど足らなさを覚え、その足らなさを自覚することでさらに学ぼうとする気が起きる。人に教えようとすると、また自らの足らなさを発見する…。つまり生涯、勉強です。現在は東北福祉大学で「暦学」を教えていますが、別の意味で私も勉強中の身です。好奇心と向学心がなくなったら、人間はおしまいですよ。

藤本 人生にゴールはないのですね。私もみならって学び続けていきたいと思います。今日は楽しく、ためになるお話をありがとうございました。

対談を終えて

これまで一度も大病を患ったことはなく、健康診断の数値も自慢できるほどという象英さん。その秘訣は、「PH(ペーハー)が落ちているときは無理をしないに限る」。自分の運気を知ることは、健康につながるのだという。 取材で出会う人ごとに「夢」を聞いてきた。しかし、「今に満足しているので夢はない」と言い切ったのは、象英さんが初めてだ。だがそれは、人間は常に未完成であることを知っている、象英さんならではの言葉。だからこそ、今なお学び続けているのだろう。

「暦にロマンを感じる」と象英さん。不要なものは自然淘汰されていく中で、2000年もの長い間、ほとんど形も変えず、脈々として引き継がれ、残っている「暦」というもののすごさを、改めて実感しているのだそう。 現在、全国商工会議所女性会連合会常任理事、東京商工会議所女性会副会長などいくつもの要職を兼務され、政財界人、企業経営者たちの相談に乗り、鑑定をすることが多い象英さんに、来年はどんな年になるかと尋ねた。

「来年は丑年で、糸が絡む=手を結ぶ年。つまり、政治の世界なら連立政権が誕生する可能性もあり。また、地球環境では、地軸のずれが起こりそう。2年前に水害が始まり、今年は雷雨が多かった。来年は、それに風がついてくるので、竜巻きや火事が多い年回りです」。

心して、来年がいい年であることを願い、努力したい。

(藤本裕子)

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