藤本 2月に、ご著書『幸せを呼ぶ聞き上手』(神奈川新聞社刊)が、「ふるさと自費出版大賞」優秀賞
に選定され、神奈川新聞社主催の「かなしん自費出版大賞」優秀賞を受賞されたそうで、おめでとうございます。
篠崎 ありがとうございます。本を出させていただいたのは、多くの方の支えがあったからで、改めて今、感謝の気持ちでいっぱいです
藤本 「傾聴ボランティア」という言葉が新鮮ですが、どういう経緯でこの活動を始められたのですか。
篠崎 話は遡りますが、50歳のとき病気で夫に先立たれ、未亡人となりました。専業主婦でしたから、最初は「どうしよう…」と不安でしたが、少しして、「制約がなくなったのだから、これからは自由に生きよう」と思い直しました。ところがそう思った途端、兄夫婦と暮らしていた母がどうやら認知がおかしくなり、私が引き取ることになったのです。
藤本 お母様の介護というのはどんなものでしたか。
篠崎 ボケ始めは、周囲の人間が振り回され、感情的になるものです。次第におかしくなっていく母を「ボケている」とは言いながら、病気がそうさせているとは思えなくて…。
藤本 介護経験者に聞くと、「最初は単なる物忘れか、とぼけかわからなかった」なんてよく言いますね。
篠崎 物忘れや勘違いを指摘すればするほど本人は感情的になり、周囲の者を苛立たせ、悪循環になります。当時の私には介護の知識は全くありませんでしたので、イライラして邪険な対応をし、あとになって「かわいそうなことをした」と後悔してはやさしくし、そしてまた、「なんでこんなことするの!?」の繰り返し。
藤本 娘からしたら、複雑な思いなのでしょうね。
篠崎 セーターをズボンと思ってはこうとしたり、散歩に出て迷子になり、交番に「届けられて」いたり。あるとき玄関で服を脱いでいるので「何をしているの?」と聞くと、「お風呂」と答える母。扉を開けてヌードで外へ…と考えたら、腹が立つやら、情けないやらで、つい皮肉の一つも出てしまう。そんな日々でした。
藤本 どのくらい続いたのですか
篠崎 笑ったり怒ったり、約2年間の日々も、母が亡くなって終了。張り詰めていた心もしぼみました。
藤本 大変なご苦労でしたね。でも、そんな経験がすべて、その後の生き方につながっていくわけですね。
篠崎 緊張感のなくなった心身は、風にふわりと浮いてしまいそうでした。少しゆっくりしようとのんびり過ごしていたときです。知人が、開所したばかりの老人保健施設のボランティア受け入れ窓口の話を持ってきたのです。「私には荷が重い」と断るつもりで出かけると、理事長夫妻や事務局長らに引き止められ、帰りには「ボランティア・コーディネーター」をお引き受けしていたんです。今思えば、そこでの仕事の経験が、今の私をつくってくれています。
藤本 篠崎さんのお人柄を見込んでのことでしょう。慣れないお仕事は大変ではなかったですか。
篠崎 大変という言葉ではありませんが、不慣れさゆえの失敗はキリがなく、思い出すと恥ずかしいことばかり。施設の職員の皆さん、特に看護師さん、介護士さんたちはよくもまあ、私のようなど素人のおばさんに、さまざまなことを教えてくださったと感謝の気持ちでいっぱいです。
藤本 その後、次々と介護の資格を取得されたようですが、この世界に目覚めたのはなぜですか。
篠崎 ヘルパー2級、1級、さらに介護福祉士免許も取りました。大変ですがやりがいのある仕事。明るく献身的に働く介護士さんたちの姿にも感動し、本当に素敵な世界だと思いました。
藤本 介護の世界を「素敵な世界」と表現した方は初めてです。