スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

映画づくりこそ、わが使命 映画監督 千葉茂樹さん

世界中の貧しい人、苦しむ人を救い、ノーべル平和賞に輝いたマザー・テレサが、惜しまれて帰天して10年。日本ではその活動を知られていない頃から、ドキュメンタリー映画『マザー・テレサとその世界』をつくり、日本中に彼女の名を知らしめた映画監督の千葉茂樹
さん。マザーとの交流エピソードをはじめ、自ら「使命」と呼ぶ映画人生について語った

 

映画監督 千葉茂樹さん
ちば しげき  1933年福島県出身。川崎市在住。日本大学芸術学部映画学科卒。劇映画、テレビ、教育短編など多方面で脚本、演出活動を続ける。近代映画協会、日本シナリオ作家協会に所属。現 日本映画学校副校長。『マザー・テレサとその世界』ほか『アウシュビッツ愛の奇蹟』『アンデスの嶺のもとに』など国内外の数々の映画賞を受賞。『マザー・テレサとその世界』『コルベ神父』ほか著書も多数。現在は、今春公開予定のアニメ『こちらたまご 応答ねがいます』を製作中。

●日本映画学校
〒215-0004 川崎市麻生区万福寺1-16-30
TEL044-951-2511
http://www.eiga.ac.jp

貧しい人こそ最も偉大で
素晴らしい存在である

藤本 マザー・テレサさんとの出会いを教えてください。千葉茂樹さんとの対談写真 その2

千葉 初めてマザーに会ったのは、1976年。紹介状もなしに訪ねたとき、最初に「日本には貧しい人々はたくさんいますか?」と聞かれ、正直、驚きました。

藤本 どうお答えになったのですか。

千葉 最初は質問の意味がわかりませんでしたが、「ええ、日本にも貧しい人は確かにいます」と答えました。するとマザーは、貧しい人々がどれほど偉大で素晴らしいものかと熱心に話され、私たちはその後2週間をかけて、カルカッタ、ニューデリー、ボンベイにある、修道会が運営する奉仕センターを回り、ボランティア体験をさせていただくことになったのです。そこで働くマザーやシスターたちの姿にふれ、彼女たちが、いかに貧しく弱い人を敬い、大切にしているかということを知りました。

藤本 どんな生活なのでしょう。

千葉 食べるものも、着るものも、それこそ最低のもの。最も貧しい人々とともにある彼女たちは、献身的に人々に尽くしていました。

藤本 監督の映画『マザー・テレサとその世界』を拝見しましたが、想像以上に質素な生活でしたね。

千葉 映画のクランクインの日、シスターの終生誓願式で、若いシスターたちに向かってマザーはこう言いました。「今日からあなたたちは一人前の宣教者です。でもそれは、ソーシャルワーカーという職業に就いたことではありません。単なる仕事としてではなく、神の御心に添った生涯を通じ、貧しい人々のために尽くすことです」。同時に私には、「映画製作はあなたの使命。生活や名誉のためではなく、貧しい人、苦しむ人や社会のために映画をつくるのです」と聞こえ、生涯忘れることのできないものとなりました。

藤本 マザーは敬虔なカトリック信者でもあったわけですね。

千葉 「キリストのように感じ、キリストのように働く」と口で言うのは簡単ですが、実践することは容易ではありません。またカルカッタの「死を待つ人の家」での撮影中には、こんなことがありました。あるとき私たちスタッフは、カメラを置いてシスターの掃除を手伝っていたんです。シスターにはいつも無理な取材を頼んで後ろめたい気持ちもあったので、たまには恩返しをという軽い気持ちでした。そこへマザーがやって来て「何をさせているの?」とシスターに言いました。私たちはマザーにほめてもらえるとばかり思っていたのに、「時間があるなら、ホテルで身体を休めなさい。そして、あなたに与えられた映画の仕事を喜んで果たすのです。それぞれの使命を果たしましょう」と。以来、私は映像を用いて、マザーの期待に応えられる人間になろうと心に誓いました。

藤本 完成した映画はたくさんの賞を受賞し、評価を受けましたね。

千葉 1979年の春に映画ができ、国内外で8つの映画賞を受賞しました。同年秋にマザーはノーベル平和賞を受賞。マザー・テレサの名は、世界中に知られるようになりました。

藤本 マザーの存在を抜きにして、監督の人生は語れませんね。

新藤兼人監督との出会いで
実現した映画化の夢

千葉 今日まで数えきれない人々との出会いによって支えられ、自分なりの仕事を続けてくることが千葉茂樹さんとの対談写真 その1できました。ひとつは、21歳のときの新藤兼人先生との出会い。そしてもうひとつは、40代でのマザー・テレサとの出会いでした。マザーから気づき、学んだことは、私のすべてといってもいいほどです。

藤本 新藤さんといえば、日本を代表する映画監督であり、シナリオライター。95歳という今も、現役でご活躍ですね。どんなご縁だったのですか。

千葉 大学時代に応募した第5回シナリオ作家コンクールで、たまたま佳作に選ばれたのですが、そのときの審査員が新藤監督でした。その後、いただいた名刺に書いてあった近代映画協会へ、2〜3か月に1本の割合でシナリオを書いて送りました。すると必ず批評を書いて、ハガキを返してくださったんです。

藤本 千葉さんの才能を、早くから見抜いていたのでしょうね。

千葉 短い言葉で欠点を指摘されるのですが、それが的を得ていてね。今も宝物として大事に取っています。出会いから3年目のある日のこと。下宿先に電報が届きました。「今度のシナリオはなかなかよく書けている。吉村監督にも読ませてみようと思う」と。新藤監督に手直しを受けるかたちで、集団就職問題を扱ったシナリオ『一粒の麦』(大映作品。原題は「飛び立つ群」)が、吉村公三郎監督で映画化されたのです。

藤本 そこから映画の世界に入られたのですね。

千葉 『一粒の麦』を契機に大映撮影所に誘われた話も断って、自分の意志で独立プロ近代映画協会の仕事を選びました。理由は2つ。ひとつは、当時の作品『第五福竜丸』は原爆反対がテーマで、世界に平和のメッセージを届けようという高い意図があったこと。そして、新藤監督が全力で取り組む意欲作に参加して、役に立ちたいという思いからでした。

藤本 新藤監督とご一緒されて、いかがでしたか。

千葉 助監督兼小道具担当として懸命に働きました。製作資金の工面に格闘する状況もあり、現場は厳しいものでしたが、新藤監督に教えられたことはたくさんあります。

現代社会の問題は家庭の中の
愛の欠如にある

藤本 シナリオライターから監督へ転身される経緯を、教えてください。千葉茂樹さんとの対談写真 その3

千葉 シナリオは自分のものであっても、監督が受け取ったときからは手を離れて演出家のものになります。それに、半端なフィクションを加えず、そのまま作品にできたらどんなに面白いだろう。つまり、ノンフィクションでしか描けない世界があることを感じたのです。教育映画や産業映画も盛んになってきた時代で、短編映画やドキュメンタリー映画をつくるようになったのです。

藤本 監督の作品には、第二次世界大戦を扱った『豪日を架ける―愛の鉄道』、国際養子を描いた『こんにちわ地球家族』など、社会的なメッセージを持ったものが多いようですね。昨年話題になった「赤ちゃんポスト」も、まだ日本では存在が知られていなかった2004年に、すでに撮られていたのですね。

千葉 そのとき取材に同行された熊本の医師が、昨年5月、日本で「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を実現させたのです。ドイツにあった「ベビー・クラッぺ」(捨て子ポスト)は、予期せぬ妊娠や望まれない出産で苦しむ母子の存在、増え続ける十代の人工中絶に対するひとつの取り組みです。日本における生命尊重活動は、1981年に講演で来日したマザーの呼びかけが大きな動因となっていて、そうした20年余の積み重ねから生まれたものです。

藤本 「赤ちゃんポスト」は、捨てることを助長するのではないかなど、世論もいろいろだと思いますが…。

千葉 ヨーロッパでは長い歴史があり、実際にたくさんの捨て子がポストによって救われています。来日されたマザーが、「日本は美しい国です。しかし、胎内の幼い生命を葬っても平気というのは、心の貧しい国といわねばなりません」と中絶についてコメントしたことは、日本でも大きく報道されました。

藤本 豊かな日本ですが、今は、子どもから大人まで、みんな心を失ってしまっているように思えます。

千葉 現代のさまざまな問題は、家庭の中の愛の欠如にあると思います。「子どもは神様からの贈り物。子どもとは本来、愛し愛される存在としてこの世に送られてくるもの。愛は、まず家庭から始まるのです」と、マザーも言っています。

藤本 最後に、現在製作中のアニメ映画『こちらたまご 応答ねがいます』(今春公開予定)のお話を本-こちらたまご 応答ねがいます 写真聞かせてください。

千葉 熊本で7男3女の子の母親、岸信子さんが、テレビのワイドショー番組を見たことに端を発します。援助交際をしているという、あどけない笑顔の女子高生が、「1か月のこづかいは10万円では足りない。妊娠したら堕ろせばいいじゃない」と話すのを見た岸さん。「命はそんなに簡単なものではない。年頃の娘たちにも生命の神秘や子育ての感動を伝えたい」と一筆入魂。朝までかけて、一気に書き上げたそうです。

藤本 受精や生理、陣痛のことなどがわかりやすく書かれているので、これをきっかけに、親子で生命の誕生について話せたらいいですね。

千葉 お母さんのお腹の中にある受精卵=「たまご」が、主人公であるお兄ちゃんと交信しながら、徐々に成長していく過程を描いていきます。楽しいストーリーの中で命の大切さを伝えていけたらと思っています。

映画を通して
たくさんの人に「愛」を

藤本 最後になりますが、改めて、監督の夢を教えてください。千葉茂樹さんとの対談写真 その4

千葉 映画を通してたくさんの人に夢を与えること。命の大切さ、生きることの意味を伝えていきたいですね。今は川崎市にある日本映画学校の副校長として、「映像ジャーナル」を担当し、学生たちと一緒に年3本程度の映画をつくっています。映画の道を志す若者たちに、その魅力を体感させたい。これも私の役割かなと、そんな風に思っています。

藤本 近頃の若者には夢がないと、よくいわれますが、実際に生徒の皆さんはいかがですか。

千葉 情熱を持った若者ばかりですよ。大事なのは、周りの大人たちが、それをどう引き出すのか。眠っている才能に火をつけるのは楽しく、やりがいのある仕事です。彼らへのメッセージを一言でいえば、「世の中のためになる映画をつくってほしい」ということです。

藤本 仕事は生きる手段。大事なのは、どう生きるかなのでしょうね。

千葉 マザーがいう幸せの意味を、私はこう解釈しています。1つ目は「与えられる幸せ」。2つ目は「できる幸せ」。そして3つ目、与えられてできる幸せの次にあるもの、それは、「与える幸せ」にほかなりません。最も貧しい人のために自らの人生を捧げることこそ最大の幸せであると思えるのは、人間として成熟しているからです。私はまだまだですが、そういう自分になりたいし、皆がそう思えたら、いい社会ができるのではないでしょうか。残された人生、努力を重ねていきたいですね。

藤本 今日は、改めて幸せの意味や命の大切さを考えることができました。ありがとうございました。

対談を終えて

「10歳違いの兄は2歳のときに小児麻痺を患い、私たち一家は、よく『悪ガキ』のいじめにもあいましたが、一方では周囲の人々に助けられ、たくさんの恩恵を受けて成長することができました。自然と、兄を中心に家族の心がひとつになっていたんでしょう」と、千葉監督。「お兄ちゃんは、みんなの宝なんだよ」という母親の口ぐせの意味がわかったのも、マザー・テレサに出会ってからのことだという。

「人間には一人として無駄な存在はない」という信念のもと、貧しい人を救い、生涯をかけて世界中の人々に伝えたマザーのメッセージは、今も監督の中に脈々と生きている。

現在は映画製作の傍ら、教育に映画を生かす「シネリテラシー」にも取り組んでいる千葉監督。英語が母国語ではない多民族国家、オーストラリアの子どもたちに映画製作を通して「生きる力」を育むというものだ。そのつながりから、文化交流事業として、豪日学生映画フォーラムを開催するなど、多忙な毎日である。

健康面では「15年前に頚椎症を患って以来、重いものは持たない主義。首が回らないと困るので、借金はしないように心がけている(笑)。何より、いつも感謝の気持ちを忘れず、今日より明日、前向きに生きること」だそう。

今春公開のアニメ映画は、孫と一緒に観に行こうと思っている。

(藤本裕子)

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