スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

文字を通して伝えたい 生きることの素晴らしさ 詩人・童話作家・エッセイスト こやま峰子さん 

詩人、童話作家、エッセイストといくつもの顔を持ち、児童文学の世界で幅広く活躍中のこやま峰子さん。これまでに50冊の本を執筆し、日本児童文芸家協会賞をはじめ、数々の賞を受賞、その世界を牽引してきた。長きにわたる功績が認められ、今年5月、第46回児童文化功労賞に輝いた。「キャンペーン・ブック」ではペンで社会貢献。世界中を旅し、子どもたちと出会ってきたこやまさんが、文字にして伝えたい想いとは?

 

詩人・童話作家・エッセイスト こやま峰子さん
こやま みねこ  東京都生まれ。相模原市在住。詩集に「しっぽのクレヨン」シリーズ(朔北社)、『ぴかぴかコンパス』(大日本図書)。絵本の作品に『にじいろのしまうま』『夢につばさを』(共に金の星社)、『地雷のあしあと』(小学館)、『いのちのいろえんぴつ』(教育画劇)、『希望の義足』(NHK出版)、『ひつじみち』(佼成出版社)他多数がある。著書には、印税の一部がユニセフ、赤十字国際委員会、難民を助ける会などの活動資金となるキャンペーン・ブックも多数。第28回日本童謡賞特別賞受賞。第26回巌谷小波文芸賞受賞。第28回日本児童文芸家協力会賞受賞。現在は夫と2人暮らし。

戦争という現実の中で
生きている子どもたちがいるということ

藤本 早速ですが、アイスランドの旅はいかがでしたか。こやま峰子さんとの対談写真 その3

こやま 今回はオノ・ヨーコさんから、日本アイスランド協会に「イマジン・ピース・タワー」披露イベントの招待があり、私にお誘いの声がありましたので、参加しました。故・ジョン・レノンさんのお誕生日、10月9日の夜、モニュメントから全世界へ向け平和を呼びかけたのです。

藤本 ニュースは日本のマスコミでも報道されていましたが、実際にその場にいらして、いかがでしたか。

こやま 報道関係者を含め約600人が、水、空気、土壌のすべてが美しいアイスランド、レイキャビック沖に浮かぶヴーズエイという小島に渡り、暗くなるのを待ちました。点灯され、夜空に伸びた光は天にも届きそうで、それは感動的でした。

藤本 夢のような空間でしょうね。外国へはよく行かれるのですか。

こやま ほとんど取材ですが、これまでに28か国に行きました。もともと詩や童話、エッセイを書いていましたが、1997年、国際NGОフォスター・プランの60周年事業に声をかけていただき、『夢につばさを 世界中の子どもたちに』という本を、印税の一部を寄付する「キャンペーン・ブック」として出したんです。そのときはベトナムへ行き、大勢の子どもたちに出会いました。

藤本 途上国の子どもたちを救おうという活動ですね。

こやま 十分な食べ物も水もない、医者や薬もない、学校にも行けない…。そんな問題を解決していく「フォスター・プラン」の活動を物語にして紹介。その後も、『ねがいをのぼる太陽に 学校に行かせて』(日本航空文化事業センター)、『地雷のあしあと ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちの叫び』(小学館)などの「キャンペーン・ブック」を手がけ、それぞれ、日本ユニセフ協会、日本赤十字社の活動資金となりました。バングラデシュや、ボスニアの地雷地帯にも行きましたが、想像を超える現実を前に、どうしていいのかわかりませんでした。私たちにできることって、本当に限りがあるなと思いましたね。

藤本 私も絵本を拝見し、改めて「幸せ」の意味を考えさせられました。取材も命がけだと思いますが、ペンで社会貢献とは、とても意義のある活動ですね。

こやま 私は文字が好きだから、戦争という現実の中で子どもたちが必死で生きているという現実を、大勢の人に文字で伝える役目があるのかもしれません。でも私たち作家は、声をかけられて初めて仕事になるわけですから、良い編集者との出会いに感謝しなければなりません。

藤本 平和をテーマにした本が多いのですが、ほかには、どんな作品をつくられているのでしょうか。

こやま 『名作へのパスポート』では世界各地を取材。『赤毛のアン』や『ああ無情』、『嵐が丘』や『ハイジ』など、世界の名作のストーリーから作品が生まれた背景と魅力、作者を紹介しました。赤毛のアンの舞台、カナダのプリンス・エドワード島には土色の道が続き、紅葉が素敵でした。ここで物語が生まれた必然性を感じました。アンの髪はブロンドではなく、赤かった理由がね。

藤本 そんな風に名作を読んでいけたら楽しいし、より深い感動があるのでしょうね。子どもの頃のこと、この世界に入られたきっかけについて教えてください。

母にほめられたい一心で
日記に書き綴った詩

こやま 初めて詩を書いたのは11歳のとき。終戦後の何もない時代でしたが、母から日記帳を渡されこやま峰子さんとの対談写真 その2て喜んで日記を書いたんです。当時は花といえば、かぼちゃやじゃがいもばかり。そんなときに、母が友人からバラの苗をもらってきて植えたんです。小説が好きだった私にとって、よく物語に出てくるバラは憧れの花。私は花が咲く姿を想像しながら、一生懸命に育てました。ところが初めて一輪の花が咲いた日に土砂降りの雨! 母がバラに傘を立てかけて、雨が当たらないようにしてくれたので、思わず、そのことを詩にして日記に書いたんです。そしたら、その詩を母がほめてくれて…。普段からお皿を割ったり、転んでケガをしたりしては「ダメねぇ」と言われ続けていたものだから、「いいじゃない」の一言がうれしくて。子ども心に、「こういうものを書けば、またほめてもらえるかもしれない」と思ったんです。それから詩を書き、少女小説に熱中していったんです。

藤本 バラの花に傘をさすなんて、素敵なお母様ですね。詩を書かれたのもわかるような気がします。お母様にほめられたことがよほどうれしかったのでしょうね。比較的早くから、文学の道を志したのですね。

こやま 文字や言葉に興味はあったけれど、そこまで明確なものではありませんでした。小学4年生のときに終戦となり、B29から落とされる焼夷弾におびえる生活が一転。あるとき学校の先生が黒板に「PTA」と書いて、意味を説明してくれたんです。「世界には日本語じゃない言葉があるんだ」と感じた瞬間です。ラジオから流れてくる『ユー・アー・マイ・サンシャイン』を歌うと、父は「そんな歌をうたうもんじゃない」と言いましたし、そういう意味では複雑な思いがありました。

藤本 実際に書くことが仕事になったのは、どういう経緯ですか。

こやま 同人詩誌で「詩人は先人の使った言葉を使ってはならない」と学び、「これだ!」と思い、詩の世界に入りました。最初は童謡や歌曲の詩を書き、雑誌の「詩」のコーナーを担当。それらが詩集になり、プロとしてやっていくようになりました。

藤本 現在は、どんな毎日を送っていらっしゃいますか。

こやま 取材で海外へ出かけるのは年に2〜3回。それ以外は友人や編集者たちに誘われて映画やコンサートに出かけることも多いし、打ち合わせもあります。新聞や雑誌のエッセイの仕事も多く、ですからたいてい夜11時に寝て、起きるのは夜中の3時、4時。睡眠時間は短くても大丈夫。その時間は宅配便も電話も来ないので、仕事に集中できるんです。

藤本 健康に支障はありませんか。

こやま 海外に行っても全然疲れないの。むしろ、刺激をたくさんもらって元気になれる。健康の理由は、食べることが好きだからかしら。

藤本 食べ歩きがお好きなんですか。

こやま 食いしん坊だから、美味しいものがあればどこへでも出ていくし、自分で料理をつくるのも大好き。仕事の合間に台所に立ってちょこちょこっと下ごしらえ。集中力が切れたときなんか、気分転換にもなるし、何よりワインを美味しく飲みたくて。もともと胃腸が丈夫なんでしょうね。

藤本 いいですね。私もワインは大好きです。ところで、先生ご自身の子育て時代はいかがでしたか。

子どもに介護を経験させるのは
とても大事なこと

こやま 息子は、これという教育方針もないままにバタバタ育ててしまった感じですね。今になれば、こやま峰子さんとの対談写真 その1教育とは待つこと、信じることといえるけれど、実際にやっていたときは何も見えなくて。毎朝「早くしなさい」なんて言っていましたね。何しろ、主人と私と両方の親の介護と重なって、それは大変でした。

藤本 のんびりと、子育てを楽しむ時間もなかったのですね。

こやま お弁当をつくり、相模原から埼玉の浦和まで始発電車で通いました。でも大変だけど、つくづくやっておいてよかったなって思います。やはり、共に生きないとわからないこともあると思うんです。床ずれができないようにと一生懸命にやっていたのに、あるとき大きな床ずれができてしまって。悔恨の気持ちを味わうことも大事。何事も経験です。いまどきは皆さん「子どもの世話にはなりたくない」と言うけれど、私は、子どもに介護をさせることはとっても大事なことだと思います。

藤本 確かにそうですね。私も最近、自分の最期を考えたりするようになりました。いつかは通る道といいますし、「親をみてあげられた」という満足感もあるでしょう。息子さんが、それをご覧になっていた意味も大きいのではないでしょうか。

こやま 私の父は伊豆の病院に入院し、私は一時期、そこで父との時間を過ごしたのですが、それは今も鮮やかな思い出として心に深く残っています。寝たきりだった父がベッドで起き上がり、つかまり立ちができるようになり、最後は歩けるようになったんです。それはもう感動で、その思い出は、私の人生の宝物になっています。山の中の病院でしたから、鳥を見て父はこう言ったんです。「人間っていいね」と。鳥は巣立っていったら、二度と会えないだろう。でも人間の場合、娘が、こうして会いにきてきてくれる…。

藤本 そんな経験がすべて、作品のどこかに反映しているのでしょうね。そう思うと、なおさら素敵なお仕事ですし、そういうこやま先生のこれからにまた期待します。今年5月には、第46回児童文化功労賞を受賞されたそうですが、その思いと、これからの夢について聞かせてください。

子どもの心の泉に
一滴の滴を落としたい

こやま 歴代の受賞作家を見ると、武者小路実篤、山本有三、西条八十、三木露風…と、素晴らしいこやま峰子さんとの対談写真 その4方ばかり。伝統ある賞をいただき身が引き締まる思いです。今日まで私を支えてくれた編集者、良き友、家族に感謝して、この先も児童書を書き続けたいですね。できれば、子どもの心の泉に一滴を落としたい。大人になって「何かのとき」に思い出してもらえるような本。それが波紋になって広がっていってくれたらいいなと思います。それから伝えたいのは、「読むこと、書くこと」の素晴らしさ。読み書きはたった一人で楽しめる世界。いじめがあっても、こういう世界があれば救われます。そして最終テーマは、愛と平和、生きることの素晴らしさ。裕福な日本の子どもたちに本当の「幸せ」というものを感じてほしい。そう思います。

藤本 今は社会全体がおかしいですね。そういう意味では子どもだけでなく、大人にも絵本を読んでもらいたいですね。これからも素敵な物語をたくさんつくっていってください。今日はありがとうございました。 

対談を終えて

児童書の世界に入ったのは、音楽の教科書に載った『ジャンボゴリラとたけのこ』という詩を見た出版者の方に「これは絵本になりますよ」と言われたことがきっかけというが、その後も『大きな友だちゴリラ』(佼成出版社)、『白いゴリラとくろいゴリラ』(金の星社)などゴリラの本をたくさん書いているこやま先生。

理由を尋ねると、「私、ゴリラが好きなのよ。ゴリラって、みんなに大きくてこわいとか乱暴者とかって思われているけど、実際はやさしくて男らしくて、とても思慮深いのよ」と。世界で唯一の白いゴリラに会いにバルセロナに行き、目と目を合わせ話したとき、彼(ゴリラ)が穏やかにうなずいてくれた感動は忘れられないという。

作家が一編の詩や一冊の本にかける時間や想いは相当なもの。だが最終的に文字として表現されるのはわずかに20%程度に過ぎない。よほど大変な仕事と思いきや、それを「自分にできること=使命」として受け止め、心から楽しんでこなされているこやま先生。

戦争を真剣に語り、子どもの頃に体験した複雑な思いも見え隠れする。正義を貫き真実を伝えるジャーナリストと、ファンタジーに憧れる夢見る文学少女が混在するこやま峰子という作家。その不思議な魅力については、今度ワインをご一緒しながら解明させていただくことにしよう。

(藤本裕子)

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