スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

50歳を過ぎてひとつずつ夢をカタチに 作曲家 中村守考さん

童謡や抒情歌を中心に500曲もの曲をつくり、数々の賞を受賞してきた中村守孝さん。30年におよぶ音楽活動の一環として自ら経営する音楽教室では、子どもからシニアまでを対象に、ピアノやコーラスなどを教えている。中村さんが50歳を過ぎて今、実感する幸せ、音楽を通して人々に伝えたいメッセージなどについて伺った。

 

作曲家 中村守孝さん
なかむら もりたか  横浜市中区出身、在住。国立音楽大学卒業。1986年横浜市選挙メロディー作曲、選挙時市内にテーマ曲として流れる。1992年第3回日本創作童謡コンクール岡野貞一特別賞受賞。第8回同コンクール優秀賞受賞。2003年第33回日本童謡賞受賞。現在、社団法人日本童謡協会理事、社団法人日本作曲家協議会、社団法人日本歌曲振興会各会員。中村音楽センター主宰。出版楽譜に童謡歌曲集「白いクジャク」(日本童謡賞受賞作品)、童謡曲集「たんぽぽメッセージ」(中田喜直先生推薦)、歌曲集「金子みずゞの詩による3つの唄」、抒情歌曲集「愛しい時」他。「心の風景」(歌 眞理ヨシコ)、白いクジャク、たんぽぽメッセージなどCDも多数。

http://www.noc.ne.jp/

詩が生活の一部になってはじめて
自然に手が動くんです

藤本 「中村守孝作曲の抒情歌と童謡を歌う会」の新春コンサートにおじゃまして以来のご無沙汰で中村守考さんとの対談写真 その1す。改めて、今日はよろしくお願いします。早速ですが、先生はこれまでに何曲くらい曲をお書きになっていますか。

中村 500曲はあるでしょうか。

藤本 そんなにたくさん!?  いつもどんな風に曲をつくられるのですか。

中村 楽曲によりますが、詩にメロディーをつけることが多いですね。1か月ほど詩を読み込み、その詩を生活の中に置いてみるんです。次第に詩を覚え、生活の一部になってくる。詩人の書かれた心情を超え、自分のものになってくる感じですね。そうなれば、ピアノに向き合ったときに自然とメロディーを口ずさみ、手が動くんです。

藤本 それが芸術というものなんでしょうね。そういうときは、詩人の方とのやりとりはあるんですか。

中村 詩人は一度手放したら、何もいいません。ぼくも、曲をどんな風に歌ってほしいとかはいいませんよ。

藤本 先生の曲は、どんな曲が多いのでしょうか。

中村 童謡、歌曲、合唱曲といろいろつくっていますが、横浜市民に親しまれているのは選挙メロディーでしょう。

藤本 ええ。あの曲を先生がつくられたと聞いて驚きました。

中村 タイトルは『ヨコハマトゥモロー』といいますが、選挙期間中は、ごみ収集車も流していますよ(笑)。それから意外に多いのが「青春」をテーマにした曲です。皆さんが青春時代を思い出し、若い気持ちでがんばっていただけたらという願いもありますが、ぼく自身が「青春」を思い出して歌にしているんです。

藤本 ロマンチストなんですね。先生はお若く見えるし、ずっと青春というイメージですよね。

中村 そうありたいものです。それには夢を持ち、夢に向かって努力を続けるということが大切です。

藤本 夢を追い続けていられたら、毎日が楽しいでしょうね。

中村 ぼくは大好きな音楽を志し、それに向かって今日までやってこられた。専門家となると、時には苦しいこともありますが、こんな幸せなことはないと思っています。

藤本 音楽を志すようになったのは、いつ頃からですか。

ぼくがピアノを弾く横で
ずっと聴いていてくれた父

中村 両親が本屋を営んでいて、音楽とは縁のない家庭に育ちました。音楽への目覚めも遅く、小学中村守考さんとの対談写真 その23、4年生のときです。音楽の先生が担任になり、とても楽しかったんです。

藤本 歌? それとも演奏ですか。

中村 昔から鍵盤に惹かれ、最初はアコーディオン、そしてオルガン、ピアノ教室へ通い始めたのが、小学6年生。父に頼んでピアノを買ってもらったのが中学2年生。本格的にレッスンを始めたのはそれからです。

藤本 男の子では珍しくないですか。

中村 ぼくは男性がピアノを弾くのを見て「かっこいい!」と思い込んでしまった。当時は学校にいても、「早く家に帰ってピアノを弾きたい」の一心。音が出るので、夜は練習できないんです。そしてうれしいのは、ぼくがピアノの練習を始めると、その音を聴いた父が店を母に任せて、ぼくの部屋へすっとんでくるんです。

藤本 お父様は、ピアノを弾く息子さんの姿に感動されていたんですね。

中村 わが家にしたら高い買い物です。ぼくが熱心にピアノを弾くことを、父はとても喜んでくれました。家業を継ぐべき長男が音楽にうつつをぬかしても、怒るどころか、ぼくの気持ちを理解し、目を細めて見守っていてくれました。

藤本 素晴らしい環境ですね。音楽家・中村守孝の原点はそこですね。

中村 音楽への情熱は、当時と全く変わっていません。3歳からピアノをやっている人たちの中で、12歳で始めたぼくはやっていけるのかと悩んだ時期もありましたが、好きだからやめられなかった。それだけです。

藤本 親の勝手で子どもを習い事に通わせることも多い世の中です。それに最近の子どもは、自分から「やりたい」と思えるものがないんです。「とりあえず塾に行っておこう」って。夢中になれるものを見つけた先生は、どれほど幸せなことでしょう。

中村 つくづくそう思いますね。情操教育は、1歳でも2歳でも早いに越したことがない。幼児になれば音やリズムで遊ぶリトミックから始め、いろいろやって自分に合うものを探せばいい。ぼくも当時から音楽家を目指していたわけじゃなく、毎日のレッスンが楽しくてしょうがなかった。「先生のピアノと自分のピアノの音の違いはなぜ?」、そんなことばかりを考え、夢中で弾いたものです。

藤本 結果としてプロの道に入られたのは、なぜですか。

音楽の道を志し、あきらめずに
続けてきた結果です

中村 音大を出て、一度は中学校の教師になることが決まったのですが、それを蹴って翌年、父に借金をして音楽教室を始めました。もともと商人の息子でしたから、型にしばられる教育や、サラリーマン的な生活は向いていないと思ったわけです。

藤本 先生らしいですね。教室というのは、どんなプログラムですか。

中村 ピアノ、ギター、フルート、リトミック…。ほかの先生も入れて、子どもたちにいろいろな楽器を教えていました。歌はその頃から好きだったので、教室に通う子どもの父母を対象に始めて、もう30年です。

藤本 どうでしょう。先生から見て、昔と今の子どもたちは違いますか。

中村 学校は随分変わったようですね。今は良いのか悪いのか、先生も友だち感覚です。

藤本 親が学校の先生を敬うことを教えないどころか、親である自身を敬うことも教えないという現状です。

中村 子どもたちを見ていると、気持ちが散漫で何事にもじっくり取り組めない。音楽を聴かせて「どう? いいでしょ?」と尋ねても、「べつに」「わからない」としか言わないんです。中村守考さんとの対談写真 その3

藤本 子どもたちは星や花火を見ても、「きれい!」と言えないんですよ。

中村 感性の乏しさは嘆かわしいけれど、今は音楽教室も塾と同じ、教育のひとつととらえられています。子どもたちは塾や水泳など習い事で忙しいから、「次までに練習してきてね」と言っても、無理な話です。

藤本 子どもたちが疲れていて、夢も希望も持てない国なんて悲劇です。皆が先生のように、楽しい時間を持てるようになれば最高ですね。

中村 夢中になれるものと出会うことだけど、「これ!」と思えるものを見つけたら、あきらめずに一生懸命に取り組むことが大切です。ミレニアムの年に50歳を迎えましたが、最近つくづくそれを感じています。

藤本 具体的にはどんなことですか。

歌い継がれるいい曲、
青春の歌をつくり続けたい

中村 まずは、「めだかのがっこう」「夏の思い出」など数々の名曲をつくった作曲家・中田喜直先生との出会いです。ぼくが30代後半、中田先生が会長だった頃に、日本童謡協会に入会させていただいてからのご縁です。2000年、『たんぽぽメッセージ』という初めての曲集を出版しました。そのとき先生は病床にいらっしゃったのですが、「いい歌がたくさんあるね」と大変喜んでくださって。記念に、巻頭で先生の言葉をご紹介させていただいています。

藤本 中村先生にとっても、とても名誉なことですね。

中村 歌は作詞家や作曲家の手を放れて一人歩きするものです。子どもの頃から中田先生の楽曲に親しんできたぼくにとって、先生は憧れであり雲の上の存在でしたから、これ以上の感激はありません。もう1つは、NHKの初代うたのおねえさんだった眞理ヨシコさんに、自分の曲を歌っていただくことができたことです。

藤本 『心の風景』というCDですね。曲は新春コンサートでも聴かせていただきましたが、情景や心情が伝わってくる、とても素敵な曲ですね。

中村 眞理ヨシコさんは最高です。彼女が歌うとね、ぼくの曲が素晴らしい曲になってしまう(笑)。作曲家として、こんなうれしいことはありません。そして3つめは、音楽を始めた中学生の頃からの夢だった、オペラを指揮することができたことです。

藤本 昨年の『マイ・フェア・レディ』に続いて、今年は『カルメン』の舞台をなさるそうですね。

中村 これも恩師、岡田有弘先生のおかげです。昔、ラジオでオペラを聴きながら、「いつかこんな曲を書きたい」「指揮者もかっこいいな」と夢をふくらませていたものですから、長年の夢が叶ったわけです。才能はないけれど、とにかく「好き」だからやり続けることができた。努力もしましたが、一番は「あきらめない」ことでしょう。50歳を過ぎて、ひとつずつ夢をカタチにすることができたので、60代には、一体どんなことが起きるのかとワクワクしています。

藤本 そんな風に言えるなんて、素晴らしいですね。努力や苦労もあったと思いますが、先生に「がむしゃら」とか、そんな言葉は似合いません。とても自然体に見えますよ。

中村 自然体といえば、人生は出会いがすべて。たくさんの方とのつながりの中で今日のぼくがあり、皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

藤本 では最後の質問です。先生が音楽を通じて伝えたいことは何ですか。

中村 実は今、力を入れている活動があります。ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちが「地雷」を描いた絵があって、こやま峰子さんが詩を書きました。それをぼくが8曲の楽曲にして、原画展と朗読コンサートを開いています。チャリティーですが、子どもたちの未来のために、少しでも役立てばと思っています。

藤本 絵や詩にメロディーを加えることで、そのメッセージは何倍にもなるのでしょうね。中村守考さんとの対談写真 その5

中村 このような活動を多くの人に知ってもらい、平和の大切さ、ありがたさを子どもたちに伝えていけたらと思います。そしてぼくの楽しみとしては、いくつになっても夢を失わず、皆さんと一緒に青春の歌をつくり、歌っていけたらいいですね。

藤本 それなら、ぜひ、ヴィサンの会員の皆さんと一緒に、「青春を歌う会」を企画させてください。

中村 親から子へ、子から孫へと歌い継がれていく、いい曲を伝えていくのがぼくの仕事。音楽は苦手という人も、自分の感性に合った歌と出会えたら最高です。歌の上手い下手関係なく、みんなで楽しいひとときが過ごせたらいいですね。「抒情歌を歌って青春を取り戻そう」なんてどうでしょう。ぜひやりたいですね。

藤本 次回は、会員の皆さんをお誘いしておじゃましますので、よろしくお願いします! 今日はたくさんのお話をありがとうございました。

対談を終えて

数年前には、体重が80kgもあったという中村先生。マイナス23kgの秘密はなんと、飼い犬のポメラニ中村守考さんとの対談写真 その4アン「諭吉くん」。
ご近所にできたペットショップをふらっとのぞいたときに目と目があって4日間、毎日通って購入を決意。「そのとき財布から出したお札を見て名前を決めた」という。
以来、何十年と続けていた夜型生活が一転。毎朝5時に起床。朝・昼・晩の散歩は欠かさず、夜10時に就寝。以前は深夜の2時、3時、グラス片手に曲を書いていたが、今は練習も作曲も午前中に済ませてしまうそう。周囲から「先生、作風が変わりましたね」と言われるのだとか。
もっとすごいのは、「諭吉のおかげで、人間の気持ちがわかるようになった」と先生。しゃべることができない犬とのコミュニケーションは、最初は難しかった。でも、相手を思い、よくみることで、今、何を欲求しているのか、具合が良い悪いまで、わかるようになったという。
現在は、自宅で高齢のお母様を介護されている先生。「母にやさしくできるのも諭吉のおかげ」。先生の根本にあるあたたかい人間性を見た。
早速ですが、10月11日(木)に「青春を歌う会」をヴィサンで企画しました。詳細はお問合せ(かながわ健康財団 TEL045-243-2008  E-mail:kanagawa-kenko@khf.or.jp )のうえ、ぜひご参加ください。

(藤本裕子)

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