スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

病いと闘いながら女将として生きる 湯河原温泉「旅荘 船越」女将 平野洋子さん

昨年、自らの闘病生活の体験をもとにした小説『梅一夜』で湯河原文学賞最優秀賞を受賞した平野洋子さん。俳優の船越英二さん、長谷川裕見子さんを両親に、ドラマや映画で活躍の英一郎さんを兄に持つ洋子さんが、湯河原温泉「旅荘 船越」の女将兼経営者となったのは17年前。長時間にわたる重労働の無理がたたり、パニック障害とうつ病を発症。仕事と闘病の日々を赤裸々に語った。

 

湯河原温泉「旅荘 船越」女将 平野洋子さん
ひらの ようこ  1962年東京都で出生、直後に湯河原に転居。1983年日本大学短期大学部卒業後「旅荘 船越」に入店。1990年経営者兼女将に就任。2006年小説『梅一夜』で第5回湯河原文学賞最優秀賞受賞。湯河原温泉おかみの会会長、社団法人湯河原温泉観光協会理事、湯河原温泉旅館協同組合理事、湯河原町商工会総代人、神奈川県観光審議会委員、全国女将サミット運営委員会副委員長など要職を兼務。講演会などでも活躍中。

●旅荘 船越
〒259-0314 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上388
TEL0465-63-2754
http://www.nande.com/funakosi/

真面目で几帳面、完璧主義の
性格が災いしてるんです

藤本 ご著書の『梅一夜』を読ませていただきました。パニック障害とうつ病という、ご自身の闘病体験をもとに書かれたそうですね。

平野洋子さん著『梅一夜』 写真

平野 あれは小説ですけれど、「限りなくノンフィクションに近いフィクション」。とくに病気の部分は、ほぼリアルに再現しています。でも普段の私を知っている方からは「あなたが病気だなんて、ウソでしょ!?」って。それほど、病名の認知度とは別に、正しい情報は知られていないんです。

藤本 パニック障害とは、そもそもどんな病気なのですか。

平野 昔は「不安神経症」と呼ばれていました。突発的な動悸やめまいなどの発作に繰り返し襲われ、再発への恐怖心にとらわれる精神障害のことです。うつ病との併発率が高く、そうなると自殺願望との闘いです。医師によれば「辛い病ですが、それ自体が悪化して死ぬことはない」そうです。でも実際は、突然の発作に心臓はバクバク、息はできない、勝手に涙が出てくるわで、このまま死んでしまうのではないかと思うほどです。

藤本 そうなったときは、どうするのですか。

平野洋子さんとの対談写真 その1

平野 発作をおさえる薬を飲んで、布団をかぶって寝るしかないのですが、そこで「もうひとりの自分」との闘いがあるんです。「お前のような価値のない人間は生きている資格がない。さっさと死ね」という声が、どこからともなく聞こえてくるのです。

藤本 想像しがたいですね…。

平野 自分で自分がコントロールできなくなってしまうんです。この病気の対処法は「薬」と「周囲の理解と支え」、それから「完全な休養」です。仕事柄、お客様や従業員もいますので、ずっと病気のことは隠してきました。でも、本になったおかげで皆様の知れるところとなり、なおさら支えられていることを実感しています。365日休みなしの仕事なので「完全な休養」はままならず、病気とつきあいながらの毎日ですが、幸い、やさしく理解のある夫や信頼できるスタッフに恵まれ、とても助けられています。

藤本 ご本の中で、ご主人に「あなたのお荷物じゃない?」と尋ねるシーンがとても印象的でしたね。「家事も看病も苦ではない。『病める時も健やかなる時も愛し合う』っていう結婚式の誓いを、俺は今でも胸に刻んでる。今はたまたまお前の具合が悪いだけで、この先もし俺が大病をしたら、お前の世話になるかもしれない」と。本当に素敵なご主人ですね。実際にご主人は、本を読まれてどんな風におっしゃっていますか。

平野 「本当の俺は、もっとずっと良い」って(笑)。夫はもともとおおらかな性格ですから、仕事も家事も完璧にする私を、以前は窮屈に感じていたらしいんです。病気になって、家のことを適当にするようになったら「何だか居心地がいい」って(笑)。

藤本 何でも完璧にやろうとするからストレスが生まれるのでしょうね。

平野 病前性格というのがあって、この病気にかかるのは、真面目で几帳面、がんばりやで完璧主義の人が多いんですよ。

板場仕事から温泉の配管工事まで
すべてを学んだ見習い時代

藤本 ご両親が船越英二さん、長谷川裕見子さんという、役者さん一家にお生まれになって、どんな子ども時代を過ごされたのですか。

平野 小さい頃は、母の後ろに隠れて「こんにちは」も言えないような子でした。それが、小学校の頃からクラスのリーダーとなり、高校時代は生徒会長も務めました。

藤本 その頃から、責任感やリーダーシップがあったのですね。

平野 でも、専業主婦が夢だったんです。学校から帰った子どもにケーキを焼いて、夫の帰りを待って一緒に食卓を囲む…そんな当たり前の生活がしたかった。両親が忙しくお手伝いさんがいたので、普通に家にお母さんがいる家庭に憧れていました。

藤本 まさか、旅館の女将なんて?

平野洋子さんとの対談写真 その2

平野 家業を継ぐはずだった兄の英一郎が俳優になりたいと家を出て、急にお鉢が回ってきたんです。両親に頼まれ、結局「引き受けたからには」と、責任感の強さからがんばりました。短大を卒業した20歳のときに旅館に入り、経営者兼女将になったのが27歳のときでした。

藤本 大変だったでしょう?

平野 板場の仕事、庭掃除に植木の剪定、電気系統や電気器具の修理、温泉配管から池の鯉に至るまで、何もかも一からの修業です。簿記・会計はもちろん、書道や華道、調理師の免許もあったほうがいいなと。

藤本 師範の免許まで取られたそうですね。

平野 何でも、とことんやらなきゃ気がすまない性分なんです(笑)。

藤本 才能があったとしても、そこまでできる方はなかなかいません。

平野 才能なんてとんでもない。あるとすれば、努力と根性。毎朝6時に出勤し、休むことなく仕事して、帰宅は深夜2時という生活でした。

藤本 そこまでして大丈夫でしたか。

平野 過労で頚椎椎間板ヘルニアと糖尿病に。医師からは再起不能といわれ、一度は仕事をあきらめました。でも幸い良い先生に出会って、快復しました。女将になって5年間は、がむしゃらにやりすぎましたね(笑)。

古き良き日本が残る
「心の別荘」を目指して

藤本 身体をこわしたら元も子もありませんが、人生には「がんばる時期」ってあると思います。でもきっと、その時期に学んだことが、今の女将の原点でしょう。どれほどの経験と学びかわかりませんね。それにしても、ここは本当に居心地のいいところですね。どこか懐かしく、ほっとする空間。昨夜は仕事を忘れて、ゆっくりさせていただきました(笑)。

平野 ありがとうございます。「お客様の別荘でありたい」という両親の思いでできた「旅荘 船越」ですが、女将見習い時代にさまざまな経験をし、経営学なども勉強したところ、これからの時代はそれだけでは生きていけないと感じました。そこでいろいろと考えた結果、「お客様の別荘になること」「古き良き日本を残すこと」の2つをコンセプトにしたのです。

藤本 日本間の良さでしょうか。畳や木の温もりから、郷愁を感じさせる調度品、仲居さんのもてなしのさりげなさまで、全く押し付けがなく「ふるさとに帰ったような」安心感、自然な寛ぎ感がたまりません。

平野 ちょっと昔、昭和の時代にどこの家にもあったような風景をそのまま残しています。けれど、今の時代ですから、エアコンやウォシュレットも必要です。畳や障子も頻繁に張り替え、「いつ来ても変わらない安心感」をお届けできればと思っています。

藤本 檜のお風呂、窓ガラス一枚を見れば、どれほど行き届いた宿かは一目瞭然。ごひいきのお客様も多いのでしょうね。

平野 親の代は「会員制」でしたから、会員の方のリピートだけでした。今は会員制度も残しつつ、どなたでもお泊りいただけるようにしました。

藤本 6つの客室のうち、5部屋が角部屋で、贅を凝らした本格数奇屋造り。お部屋ごとに異なる趣を楽しめるのも魅力ですね。

平野 表情の違いを楽しんでいただくこともおもてなしのひとつ。お料理も毎月献立を替え、湯河原の海・山・川の旬の素材をお出ししながら、「変わらない味」を追求しています。お風呂は、人目を気にせずゆったりと、何度も温泉を味わっていただくために「内湯」にこだわっています。古代檜は森林浴の効果もあります。

藤本 「女将のこだわりは語り尽くせない」と仲居さんもおっしゃっていましたが、サービスの基本は何ですか。

平野 「また行きたくなる旅館」とは何だろうと考えると、「自分だったらこうされたい」と思う限りを尽くすことだと思います。今は、うつ病の私でも心地良さを感じられる宿を目指していますから、病気のおかげで、究極の癒しの空間が実現できているのかもしれません(笑)。

藤本 人々に感性が失われた時代、「本当の贅沢」という価値観を伝えていくのは容易ではないでしょう。

平野 人は文字通り、忙しさに心を亡くしています。ここで、何もせずにゆったり過ごす贅沢をいいなと感じたお客様が、クチコミで広げてくださるのが一番ですね。

海・山・川、温泉…
豊かな資源に恵まれた湯河原が大好きなんです

藤本 言わずと知れた湯河原温泉。改めて、その魅力を語るとしたら?

平野 古くから「薬師の湯」といわれる湯河原温泉は、源泉100%の掛け流し。海・山・川、温泉、穏やかな気候と、すべてが揃っている湯河原。梅に始まり、さつきにあじさい、ほたるに海水浴、紅葉にみかん狩りと、観光資源に恵まれています。

藤本 平野さんが会長職をお務めの「湯河原温泉おかみの会」とは、どのような活動をしているのですか。

平野洋子さんとの対談写真 その3

平野 43名の女将が、湯河原の観光経済の発展と振興に寄与すること、会員相互の親睦を深めることを目的に、観光PR活動やセミナーなど、毎月さまざまな活動を行っています。

藤本 女将同士といえば、いわば商売敵。同じ地域でこうした活動があるのは珍しいのではないですか。

平野 全国的に宿泊業が低迷している今、各旅館、個人にできることには限界もあります。皆で団結し、湯河原温泉全体を魅力ある観光地にすることによって多くの方に泊まりに来ていただく、それが一軒一軒の旅館の繁栄につながると考えています。

藤本 地域と宿泊客と会員、それぞれにメリットがあるというのがポイントですね。女将はもちろんスタッフや町の人、みんなが「ウエルカム」で旅人を迎えてくれたら最高です。最後に夢を聞かせてください。

平野 よく「女将でなかったら?」「健康だったら?」と尋ねられることがありますが、そんなことは考えられません。人生に「もし」はありません。自分に与えられたことに真面目に取り組み、今を一生懸命に生きることがすべてですね。「病気は神様がくれた白紙の手紙」とある方に言われました。「私は病気で一体何を学んだのだろう?」…神様への返事と思って書いたのが『梅一夜』です。

藤本 読者から、たくさんのお手紙が届いているようですね。

平野 同病の方からの「励まされた」「自殺を思いとどまった」といった声が多く、少しでも力になれれば本望です。ですから私の夢は、健康な方だけでなく、心を病んでしまった方も癒される宿をつくることです。

藤本 心のバリアフリーという意味ですね。ぜひ期待しています。今日は長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。今度は家族でおじゃましたいと思います。

対談を終えて

両親と兄は誰もが知る俳優であり、往年の大スター長谷川一夫は大叔父にあたるという華麗なる芸能一家のDNAを思わせる、品格と存在感。カメラの前に立つと、オーラに包まれているのがよくわかる。

だが実際に話をする目の前の女将は、とにかく気さくで、学生時代の友と話しているような楽しいひとときだった。笑顔の陰に、いつ訪れるとも知れぬ発作との闘いがあることをつい忘れてしまうほど、夢中で話した時間は数時間にも及ぶ。

それは、多くの人に支えられて今があることへの感謝と私への誠意にほかならない。また、自らの発する情報が、同様の病いで苦しんでいる人々や、自分を育ててくれた町・湯河原のためになることを知っているからだ。今も、機会があれば病身を省みず、精力的に講演活動を行っている。

今回の『梅一夜』の文才は誰もが認めるところだが、美貌にとどまらず、天は二物も三物も与えるのかと嘆きたくなるほど多彩な才能の持ち主。師範と免許は8種というから驚きだ。しかも、東京地検特捜部主任捜査官という国の要職を務められるご主人もまた、素晴らしい人格者という。

先日、兄・英一郎さんが「かながわ観光親善大使」に選ばれた。改めて、湯河原町へも出かけてみたい。

(藤本裕子)

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