京楽 師匠の『芝浜』を見た方は、全員が涙してしまうほど感情が入るんです。ぼくはまだまだですが、40年後はすごいものをお見せしますよ。
藤本 40年後?
京楽 40代なんてまだひよっこ、70代になってからが勝負という世界です。
藤本 それほど奥が深いものなのですね。ところで、京楽さんがこの世界に入られたきっかけは何ですか。
京楽 祖父は画家で、父は中学校の、母は高校の教師をしていました。社会科と英語を教えていた父が当時から赤十字の国際交流活動をしていた関係で、ぼくは小学校の頃からインドの子と文通をしたり、中国の子と交流があったりしたんです。そんな環境の中で、横浜中華街の書店で一冊の本と出会うのです。
藤本 どんな本だったのですか。
京楽 富士山、芸者、民謡、錦絵、水墨画などを中国人向けに紹介した絵本で、そのとき日本文化の大きさ、広さを知り、深く勉強したいと思うようになったのです。それで「水墨画を本格的にやりたいので、京都に行かせてほしい」と親に頼みました。
藤本 上方落語ではなく、水墨画のために京都へ行かれたのですね。
京楽 ええ。ところが大学時代の話。あるとき京都の美術館で、中国の水墨画を見たんです。5枚の絵を目の前にして、涙が止まらなくなって…。
藤本 どういうことですか。
京楽 基礎、基本が全く違っていた。「こりゃだめだ」と正直思いましたね。「文化センターの先生ならええ。でも、今から水墨画家になろうとしてもあかん。真剣に水墨画家になりたいのなら、君の孫を5歳で中国にやって基礎から学ばせれば、なれるかもしらん」と言われ、あっさりその道を断念。その頃、京都学園大学の先輩に、現在の桂三風さんがいらっしゃったことから、落語家という選択肢が生まれたのです。
藤本 一気に夢が変わったのですね。
京楽 どんな落語家になろうかと考えて、まずは国際的な評価を受けること。そして、子どもや若者たちが、笑いながら涙を流せるような新作落語をつくること。この2つが鍵だと思いました。
藤本 具体的にはどのような動きですか。
京楽 防災落語をつくったり、字幕で落語を見せたり、聴覚障害者向けの落語をつくったりと、海外で評価を受ける可能性のある演出を、師匠と一緒に考えて取り組んだのです。
藤本 海外公演も多いのですね。
京楽 アメリカはマサチューセッツ大学やハーバード大学、ニュージャージーの教会などでも、防災落語、福祉落語、環境落語を披露しました。ほかに、香港や台湾、フランスなどでも機会をいただいて、字幕付き落語を披露することができました。
藤本 そういう落語があるのですね。
京楽 もともとこの世界にあったものではなくて、ぼく自身がいろいろな経験を積んできた中で、ごく自然に生まれてきた新ジャンルなんです。
藤本 いろいろな経験とは?
京楽 落語家になったのは1988年ですが、2年目には二ツ目に。そして、その2年後には真打になりました。ところがその直後、真打披露パーティーを開こうというときに、椎間板ヘルニアで倒れてしまったんです。
藤本 そんなときに、突然!?
京楽 真打披露公演は、車いすで務めさせていただき、それから半年間は全くの寝たきり。その後1年半の車いす生活を強いられました。
藤本 それは大変でしたね。
京楽 自分では何ともできないという苦しみですね。当時2歳の息子と妻を抱え、大きな借金がありました。仕事も全部キャンセルし、ベッドの上で壮絶な痛みと闘う日々。半年間くらいは、自分をなくすことばかりを考えていましたね。
藤本 そのお気持ちもわかります。
京楽 でも、そんなときでも息子は、ぼくの隣で泣いたり笑ったり。実は、ぼくにとてもよく似た性質で、小さくても感性が鋭く、口数が多い子どもでした。その分問題を起こしそうなところもあって、「将来この子には、ぼくの助言が必要になる」と、踏み止まることができたんです。
藤本 ご病気は完治されたんですか。
京楽 水中ウォーキングをはじめ、必死でリハビリに取り組んだ結果、奇跡的に快復へと向かうことができました。今でも運動やリハビリは欠かせません。とくに水泳は3日に1回。3〜4時間のストレッチは日課になっています。
藤本 落語家というお仕事も、長時間の稽古や正座があって、とくに姿勢など、お辛くないですか。
京楽 師匠に稽古をつけてもらうときは、6時間。本番は、緊張の中で2時間。正座も正直きついですけれど、復帰することができて、皆さんに聞いていただけるだけで幸せです。
藤本 そのような闘病生活の体験が、落語に影響しているのですね。
京楽 古典落語の人情話には、障害者、健常者の別はなく、一様に心やさしい人たちがたくさん登場します。それまでは人に「うまい!」と言わせるための芸だったものが、復帰後は、素直に登場人物になりきることが一番と、思えるようになりました。
藤本 短い時間の中で天国と地獄を経験したからこそ、感じて表現することができるのでしょうね。
京楽 阪神・淡路大震災のときには、駆けつけて落語をやらせていただきました。そのときの人々の笑顔が忘れられなくて、その後も新潟など被災地の人々のための落語を。また、老人施設にいるお年寄りや、学校に通えないひきこもりの子どもたちも、落語によって、少しでも元気づけられたらいいなと思っています。