スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

スペシャル対談 藤本裕子が各界トップに迫る!

子どもたちの笑顔とともに生きて 財団法人かながわ健康財団 理事長 神奈川県医師会 会長 田中忠一さん

神奈川県医師会の活動として、長きにわたり川崎市の公害病とたたかってこられた田中忠一さん。これまでの人生を振り返り、その軌跡と思い出などを綴った『医師ひとすじ〜信念を持って』を上梓し、評判となる。健康の秘訣は「仕事への誇り」という通り、75歳の現在もなお、川崎市幸区にある田中小児科医院で多くの子どもたちを診察する。医師として、人間としての生き方に迫る!平野洋子さん著『梅一夜』 写真

 

財団法人かながわ健康財団 理事長 神奈川県医師会 会長 田中忠一さん
たなか ちゅういち  1930年川崎市生まれ。1955年東京慈恵会医科大学卒。1961年学位受領。川崎市幸区で田中小児科医院を開業する傍ら公害問題に取り組み、小児ぜんそく、アレルギー疾患の治療に尽力。川崎市医師会会長、神奈川県医師会副会長を経て1997年現職に就任。2003年神奈川文化賞受賞。昨年、神奈川新聞の「わが人生」欄に58回にわたって連載されたものに加筆・修正を加えた『医師ひとすじ〜信念を持って』を上梓。

子どもの頃は,田んぼに入ってエビガニを釣ったりカエルをつかまえたり。
怒ったお百性さんの目は笑っていた。
そんないい時代でしたね。

藤本 ご著書の『医師ひとすじ〜信念を持って』を読ませていただきましたが、赤ひげ先生を地でいっ田中忠一さんとの対談写真 その1たお父様の思い出や小児科医として川崎の公害病に取り組まれた足跡などに大変感銘を受けました。

田中 それはありがとう。新聞の連載「わが人生」では、当初、公害の取り組みについて書くはずでしたが、人生を振り返っていたら、いろいろな話が出てきてしまいました(笑)。

藤本 お人柄があふれていて、楽しく拝読しました。子ども時代は、けっこうやんちゃだったようですね。

田中 いやあ、おとなしい良い子でしたよ。悪いことをした思い出といえば、田んぼを荒らしたり、幼稚園の池におしっこをして3日で退園になったりしたことくらいで(笑)。

藤本 それは、おとなしい子とは言いませんよ(笑)。

田中 昔はこの程度は普通だよ。田んぼに入ってエビガニを釣ったり、冬眠中のカエルをつかまえたり。みんな、そんなことをしてはお百姓さんに追いかけられていた。お百姓さんも笑いながら怒っていましたよ。勉強なんてもんは、学校だけでやるものでした。

藤本 学校も昔と今は違いますよね。

田中 戦前は教科書の買えない子どもに、先生が自分のお金で買ってあげたりしていました。子どもたちもみんな素直でかわいかった。モノはなかったけれど、心は裕福でした。日本人は礼儀正しく、清潔な時代だったといえますね。誰もが自分のためだけでなく、国のために役立つ人間になろうとしていました。

藤本 今はモノや情報が溢れ、便利な世の中ですが、反面、大切な人としての心が失われてしまいましたね。

田中 何より、核家族化で家族がバラバラになってしまったことが問題です。一家団らんもないなんてね。近くの小学校に健診で行くことがあって、診ると、みんな疲れているから「外で思いきり遊ばせたほうがいいから、もっと昼休みを長くしろ」って言ったんだ。そしたら先生が「昼休みを長くしても、子どもたちは食後も机に座ってハ〜ッて言ってるだけですよ」って。受験戦争の中にいる子どもたちには塾が中心で、学校は休む所になってしまっています。

藤本 学校で休む?

田中 そうでないと、良い大学や良い会社に入れない。最近の子どもは基礎的な体力と精神力が足りないよ。

藤本 社会の環境もそうですが、親の影響が大きいのでしょうね。

田中 戦後、自由と平等の意味を履き違え、個性が伸ばせない教育になってしまったんだよ。昔は図画が得意とか、かけっこが速いとか、それぞれ得意なことで友だちから尊敬されていました。勉強はあくまでそのうちのひとつでしたよ。

藤本 私の子どもの頃も、勉強ができる子より、かえってそういう子のほうが人気者でしたね。

健康の秘訣は生きがいと
仕事に対する誇りだね。 

田中 いまどきのお母さんたちは、もう少し本当の子どもの幸せを考えて、自己決定能力を養わない田中忠一さんとの対談写真 その2と。

藤本 理事長は、現在も医院に診察に来るたくさんのお母さん方に接していらっしゃるんですよね。

田中 午前11時まで診察をし、午後は医院を娘に任せて医師会の仕事をしています。娘はよくインフォームド・コンセント(説明と同意)を心がけているようですが、ぼくは何でもかんでも聞いてくるお母さんには怒っちゃうんだよ。見りゃわかることまで聞いてくるんだから。

藤本 怒られたお母さんたちの反応はどうですか。

田中 最近は、ちゃんと人の話を聞けない人が多くなったね。それに、怒られるとすぐにふてくされちゃう。

藤本 今は、間違っていることをしても叱ってくれる人がいませんから、ありがたいことだと思いますよ。

田中 大事なことをきちんと教えるのがぼくの仕事。親として、子どもの重要なサインを見落としたら大変。命に関わることもありますからね。

藤本 医学的なことだけでなく、親教育もしていらっしゃるんですね。それにしても、お忙しくて大変ですね。

田中 いやあ、とんでもない。娘は「もう引退したら」なんてよく言いますが、そんな気は全くありません。

藤本 先生を頼って外来に来られる患者さんも多いのでしょうね。

田中 幸い人に感謝され、役に立つことができているといえるのかな? やはり健康の秘訣は、生きがいと、仕事に対する誇りだと思いますね。

藤本 たくさんの団塊世代が引退される「2007年問題」も話題になっていますが。

田中 60歳なんてまだまだ。NPOや地域活動もいいが、少しでも自分で働いて収入を得ることが大事です。仕事があれば、病気もできませんよ。

藤本 新生『ヴィサン』は、そんな視点で、人々に元気や勇気を与えていけるような記事を意識していきたいと思っています。

田中 それこそ最大の健康情報です。元気に活躍している人をどんどん取り上げて、それぞれの健康法を聞いてほしい。大いに期待していますよ。

藤本 はい、がんばります。ところで、先生が医師として、人のために生きることを使命とされているのは、お父様、おじい様の影響を強く受けていらっしゃるそうですね。

田中 2人とも金には無頓着で、がんこなまでにまっすぐに生きた人。お金のない人は頼まれなくても診てあげて、金持ちに「注射を打て」なんて指示されると、お金を積まれても断っていた。そういうところは似てしまったのかもしれません。

いつだって、大切なのは
自分の目で診て判断すること。

藤本 本の副題にも「信念を持って」とありますね。田中忠一さんとの対談写真 その3

田中 自分の目で診て、正しいことは正しい、おかしいことはおかしいと、素直に行動してきました。何事も納得しなければ済まない性格だから硬骨漢といわれてしまう。祖父の血といえば、ぼくは無類の酒好きで。「医者の不養生」ってやつでしょうが、度を越して飲んでいますよ(笑)。

藤本 患者さんには「酒はやめなさい」なんて、おっしゃっているんじゃ?

田中 いいや。人間楽しみがなくなったらおしまい。それに、どう生きようとその人の人生。人に迷惑さえかけなければ、いくら吸っても飲んでもいいというのがぼくの哲学です。

藤本 医師会や健康財団のトップらしからぬ発言ですね(笑)。

田中 ハハハ。医師会の仕事もずっと自分流でやってきましたからね。

藤本 もう何年になりますか。

田中 43歳のとき、「早いうちに理事をやればあとが楽だ」と周囲に言われ、「1期2年だけ」と引き受けました。その結果、今日まで理事を8年、副会長を10年、会長を4年。多くの時間を費やした公害問題は本当に大変で、若かったからできたこと。当時は患者さんも多く、一日200人もの子どもを診ていましたから、夜の8時くらいまで診察して、それから理事会や市の委員会の仕事…。

藤本 公害病のお仕事について、もう少し教えていただけますか。

田中 高度成長期の日本。工場の煙突から煙りをまき散らす粉じんに自動車の排ガスが加わり、大気汚染が起きました。「公害健康被害補償法」の公布は1973年。それに伴い、行政と患者さんの間に立って、被害者の認定審査員を務めることになったのです。審査の対象は、気管支ぜんそくや慢性気管支炎など4疾病。一定期間指定地域(川崎区、幸区)に住んでいることなどが条件でした。

藤本 責任あるお仕事ですね。

田中 困ったのは基準外の申請者でした。不幸にして亡くなられた患者さんの死因を判定する場合など、審査結果に不服を申し立てられることもあって、医師としての威信をかけての仕事。死因の診断は厳正に下すのは社会的使命。単に公害病うんぬんの話ではありません。

藤本 それだけ大変な活動を続けられたのは、なぜでしょうか。

田中 あるとき、ぼくが診ていた幼い少女が亡くなった。昼間来院して点滴を打ち、元気に手を振って帰っていった少女が、急変して運ばれた救急医療機関で窒息死したのです。患者さんを病気で奪われることほどつらいことはないが、相手は公害病。原因は工場の排煙です。ぼくは、むちで打たれた気になって、公害調査にのめり込んでいったのです。

藤本 本当に長い間お疲れ様でした。現在も医療問題は国民の重大な関心事です。医師会も、いろいろと大変ではないですか。

田中 政府の医療改革を阻止すべく、さまざまな問題とたたかっています。日本は国民皆保険制度の国。保険証さえあれば、いつでも誰でも診てもらえます。この制度がこわされつつある今、医療の安全確保と質の向上を求める活動をしています。高齢者負担の増額や混合診療の問題も深刻だし、県民の健康を守るための問題は、まだまだ山積しています。

藤本 健康は一番の願いでありながら、我々選挙民として、問題意識があるようでないところですね。

田中 自分で健康を守るのは当然ですが、医師会や健康財団として県民の健康を守る仕事に終わりはありません。でもぼくも、そろそろ若い正義感のある人にバトンタッチして、つないでいきたいと思っています。

藤本 最後に夢を聞かせてください。

田中 もう一度原点にかえり、じっくりと子どもたちを診ていきたいですね。本当に子どもはかわいくて、子どもの笑顔を見ていると、時間が経つのも忘れてしまう。臨床は死ぬまで勉強、研究したいこともいっぱいあるし、小児科医としての技術を深めたい。そして、ぼくの唯一の楽しみである「仕事帰りの田中忠一さんとの対談写真 その4一杯」を続けるためにも、ずっと健康であり続けたいね。お酒は、ぼくにとっては最高のリラクゼーション。精神的な効用が優先している間はね(笑)。

藤本 今日はいきいきと人生を振り返り、楽しいお話を聞かせていただきありがとうございました。読者の皆様にとっても、理事長の存在がぐっと近づいたのではないでしょうか。

田中 そうあってくれたらうれしいね。これからの『ヴィサン』に期待しています。皆様のために、元気な情報をどんどん発信してください。

藤本 「ヴィサン」はフランス語で、人生100歳という意味です。理事長もぜひ100歳までおいしいお酒を飲み続けて、素敵な人生をお送りください。これからも、ますますのご活躍を期待しています。

対談を終えて

リニューアル『ヴィサン』の編集を担当させていただくのなら、発行元である、かながわ健康財団のトップにお会いしたいと、田中理事長をお訪ねした。最初は「神奈川県医師会の会長も兼任されている理事長って、一体どんな方だろう?」と緊張したが、想像に反して、とってもきさくな方だった。『医師ひとすじ』という本には、人間・田中忠一という人の生き方の潔さと真剣さ、さらにやさしさがあった。これは、会員の皆様にもぜひ読んでいただきたい一冊。そして、誌面ではお伝えできませんでしたが、対談後半はなんと、おいしい居酒屋の話で盛り上がった。理事長の夜の生息地帯は関内、野毛辺り。「梅月のとんかつは最高だよ」「そばなら志な乃」と、出るわ出るわ。なるほど、理事長の元気の秘訣はここだったんだ。そこで、ひらめいた! リニューアルヴィサンのモットーは、読者参加型の誌面づくり。それなら理事長にも誌面づくりに関わっていただこう。「忠一のおすすめ居酒屋情報」なんていかがでしょう? 理事長、お店に行ったら飲む前に、取材写真も撮っておいてくださいね。ヴィサン会員の皆さんのために。

(藤本裕子)

バックナンバーの一覧へ戻る

ページのTOPにもどる
老若男女響学「お母さん大学」プロジェクトはこちら
お母さん大学メルマガ藤本でこぼこ通信 登録はこちらから
『百万母力』はこちらから
『百万母力』はこちらから
『百万母力』はこちらから
『百万母力』はこちらから
ブンナプロジェクトはこちらから
池川 明先生のDVD「胎内記憶」&本のご購入はこちらから
 
株式会社トランタンネットワーク新聞社 〒221-0055 神奈川県横浜市神奈川区大野町1-8-406