藤本 本の副題にも「信念を持って」とありますね。
田中 自分の目で診て、正しいことは正しい、おかしいことはおかしいと、素直に行動してきました。何事も納得しなければ済まない性格だから硬骨漢といわれてしまう。祖父の血といえば、ぼくは無類の酒好きで。「医者の不養生」ってやつでしょうが、度を越して飲んでいますよ(笑)。
藤本 患者さんには「酒はやめなさい」なんて、おっしゃっているんじゃ?
田中 いいや。人間楽しみがなくなったらおしまい。それに、どう生きようとその人の人生。人に迷惑さえかけなければ、いくら吸っても飲んでもいいというのがぼくの哲学です。
藤本 医師会や健康財団のトップらしからぬ発言ですね(笑)。
田中 ハハハ。医師会の仕事もずっと自分流でやってきましたからね。
藤本 もう何年になりますか。
田中 43歳のとき、「早いうちに理事をやればあとが楽だ」と周囲に言われ、「1期2年だけ」と引き受けました。その結果、今日まで理事を8年、副会長を10年、会長を4年。多くの時間を費やした公害問題は本当に大変で、若かったからできたこと。当時は患者さんも多く、一日200人もの子どもを診ていましたから、夜の8時くらいまで診察して、それから理事会や市の委員会の仕事…。
藤本 公害病のお仕事について、もう少し教えていただけますか。
田中 高度成長期の日本。工場の煙突から煙りをまき散らす粉じんに自動車の排ガスが加わり、大気汚染が起きました。「公害健康被害補償法」の公布は1973年。それに伴い、行政と患者さんの間に立って、被害者の認定審査員を務めることになったのです。審査の対象は、気管支ぜんそくや慢性気管支炎など4疾病。一定期間指定地域(川崎区、幸区)に住んでいることなどが条件でした。
藤本 責任あるお仕事ですね。
田中 困ったのは基準外の申請者でした。不幸にして亡くなられた患者さんの死因を判定する場合など、審査結果に不服を申し立てられることもあって、医師としての威信をかけての仕事。死因の診断は厳正に下すのは社会的使命。単に公害病うんぬんの話ではありません。
藤本 それだけ大変な活動を続けられたのは、なぜでしょうか。
田中 あるとき、ぼくが診ていた幼い少女が亡くなった。昼間来院して点滴を打ち、元気に手を振って帰っていった少女が、急変して運ばれた救急医療機関で窒息死したのです。患者さんを病気で奪われることほどつらいことはないが、相手は公害病。原因は工場の排煙です。ぼくは、むちで打たれた気になって、公害調査にのめり込んでいったのです。
藤本 本当に長い間お疲れ様でした。現在も医療問題は国民の重大な関心事です。医師会も、いろいろと大変ではないですか。
田中 政府の医療改革を阻止すべく、さまざまな問題とたたかっています。日本は国民皆保険制度の国。保険証さえあれば、いつでも誰でも診てもらえます。この制度がこわされつつある今、医療の安全確保と質の向上を求める活動をしています。高齢者負担の増額や混合診療の問題も深刻だし、県民の健康を守るための問題は、まだまだ山積しています。
藤本 健康は一番の願いでありながら、我々選挙民として、問題意識があるようでないところですね。
田中 自分で健康を守るのは当然ですが、医師会や健康財団として県民の健康を守る仕事に終わりはありません。でもぼくも、そろそろ若い正義感のある人にバトンタッチして、つないでいきたいと思っています。
藤本 最後に夢を聞かせてください。
田中 もう一度原点にかえり、じっくりと子どもたちを診ていきたいですね。本当に子どもはかわいくて、子どもの笑顔を見ていると、時間が経つのも忘れてしまう。臨床は死ぬまで勉強、研究したいこともいっぱいあるし、小児科医としての技術を深めたい。そして、ぼくの唯一の楽しみである「仕事帰りの
一杯」を続けるためにも、ずっと健康であり続けたいね。お酒は、ぼくにとっては最高のリラクゼーション。精神的な効用が優先している間はね(笑)。
藤本 今日はいきいきと人生を振り返り、楽しいお話を聞かせていただきありがとうございました。読者の皆様にとっても、理事長の存在がぐっと近づいたのではないでしょうか。
田中 そうあってくれたらうれしいね。これからの『ヴィサン』に期待しています。皆様のために、元気な情報をどんどん発信してください。
藤本 「ヴィサン」はフランス語で、人生100歳という意味です。理事長もぜひ100歳までおいしいお酒を飲み続けて、素敵な人生をお送りください。これからも、ますますのご活躍を期待しています。