今月の特集 編集部注目のこの話題

今月の特集 編集部注目のこの話題!

LIVE LIFE 2008年3月号
演劇製作一筋、気づいたら40年も経っていた。 劇団青年座社長・水谷内助義

2月7日〜10日、米国ワシントンDCで行われた「ジャパン・カルチャー+ハイパーカルチャー劇を。水谷内助義の本 写真」の演目の一つ、宮本亜門氏演出によるミュージカル「Up in the Air」(原作=ブンナよ、木からおりてこい/水上勉)の観劇ツアーにご一緒したのは、劇団青年座の社長であり、日本新劇制作者協会会長の水谷内助義さん。

●劇を。ある演劇製作者の記録
著者/水谷内助義
発行/教育評論社刊
定価/2730円(税込)
公式サイト
http://www.seinenza.com/

彼こそが『ブンナよ、木からおりてこい』の産みの親ともいえる人だ。水谷内さんは、創作劇を演じ続ける劇団青年座の製作部に入社以来40年、現場一筋でやってきた。1972年に水上勉氏が書いた童話『蛙よ、木からおりてこい』と出会い、1978年には『ブンナよ、木からおりてこい』と改題し念願の舞台化を果たす。以来今日までに、中国、ロシア、アメリカ、韓国など海外を含む1300回を超える上演を重ね、水谷内さんの人生は、まさに「ブンナ」と共にあるといってもよい。

当時『雁の寺』で直木賞を受賞し、絶頂にあった水上勉氏に『ブンナよ、木からおりてこい』の舞台化を持ちかけ、「いいよ、お前に任せるよ」と言われたときの喜びとプレッシャー、初舞台の緊張と、大成功で幕を閉じたときの達成感などを、まるで昨日のことのように語る水谷内さん。昨年「ブンナプロジェクト」を立ち上げ、『ブンナよ、木からおりてこい』を広める活動をしている私たちとしても、大変に興味深いところ。

演劇製作者・水谷内助義としての作品は『ブンナよ、木からおりてこい』に限ったわけではない。いろんな作品に関わってきたが、青年座発の『審判』『三文オペラ』『パートタイマー・秋子』など、どれもが高い評価を受けている。

昨年上梓した『劇を。』(教育評論社)は、演劇製作者として芝居に携わる日々の心境をしたためたもの。15年ほど前から、400名に及ぶ関係者に芝居の案内と一緒に手紙を送り続けている水谷内さんだが、未知の観客に宛てた文章の集大成だ。

あとがきには、「世に芝居を生み出し、観客を求める仕事について40年を過ぎた。そして今でもひとりの観客を求める旅は続いている。劇場にいっぱいの人々が群れ集うことを夢にまでみる…」とあり、その思いの深さは存分に伝わってくる。

今回、アメリカから帰国する飛行機の中でのインタビューは、なんと4時間を越える楽しく感動的な時間となった。役者をはじめ脚本家や演出家など、芸術家を相手に対等にやり合いながらの舞台製作は、喜びも苦悩も多い仕事。だからこそやりがいがあるという。製作者と演技者、さらに観客である市民とがひとつになることで初めて成功する舞台づくりの魅力。そんなものを熱く語ってくれた。

創立54年という歴史を持つ劇団青年座の社長。だが、「社長業は性に合わない。引退後は自分でお金を払い(今は多くの招待状が届くそう)、好きな芝居を気ままに観て歩きたい」とはご本人の弁。

中学生時代から駅伝選手としてならし、今も「ジョギングマン」を自称する水谷内さん。今回もワシントンDCやニューヨークの街を、日に10kmも走る姿があった。とても67歳とは思えない、若々しさの秘密にも迫った。

機上インタビュー
『ブンナよ、木からおりてこい』との出会いを語る

プロフィール●1941年東京生まれ。戦時、奥能登に疎開。のち福井県芦原町に移り県立三国高校より日本大学芸術学部映画学科へ。1965年劇団青年座に入団。1978年水上勉の小説『蛙よ、木からおりてこい』を舞台化した青年座公演『ブンナよ、木からおりてこい』を製作。演劇製作者として数々の作家、劇作家の作品上演に携わる。有限会社劇団青年座代表取締役社長。日本新劇製作者協会会長。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。水谷内さんと水上さんの写真

●書籍名/「ブンナよ、木からおりてこい」
著者/水上勉
発行/若州一滴文庫
定価/1050円(税込)
★お申し込みは、こちらから

演劇の世界に入ったきっかけは何だったのですか。
小学校高学年の頃に描いた夢は「映画づくり」でした。日本大学芸術学部映画学科へ入学した頃は、年間500本の映画を観ていましたね。ところがその後、夢は「演歌歌手」へと変わり、卒業後は歌の勉強をしながらナイトクラブでボーイのバイト。そんなある日、映画科の演技コースを出て劇団青年座の演技部にいた友人が、下宿先に転がり込んできたのです。 劇団で演劇製作を募集しているからと連れて行かれ、目にしたのは、山岡久乃や初井言榮ら役者たちが情熱を燃やし、ダメ出しをされても必死で芝居に取り組んでいる姿でした。歌手としてやっていくのは難しいと自ら感じていた頃でもあり、芝居の面白さに魅せられ、青年座に就職を決意。1965年のことです。

『ブンナよ、木からおりてこい』との出会いについて教えてください。水谷内さん写真
魯迅の小説『藤野先生』で知られる医師・藤野厳九郎さんの末裔である藤野邦康さんは、故郷、福井県芦原町出身の作家です。藤野さんが学生の頃、小学5年生だった私は、夏休みになると帰郷し、午前中は自宅病院の空き部屋で開かれる寺子屋に、午後は小学校のグラウンドでの野球教室に、参加していました。これが楽しく、夏休みが待ち遠しかった。やがて大学を卒業した藤野さんが新潮社に勤めていることを知り、訪ねたのです。この再会が『蛙よ、木からおりてこい』をもたらしてくれた。当時、水上先生の担当編集者だった藤野さんが、「倉庫入りになっている本だが、読んでみろ」と言って、私に手渡されたのです。「運命」以外の何物でもありません。

本を読んで、いかがでしたか。
感動に震えました。まさに、ブンナは水上先生自身であり、おそれおおくも、私自身とも重なりました。「ブンナ」は、完璧な上昇志向。奥能登に疎開した私は東京生まれ。山の向こうの東京を思い描き、「いつかは俺も東京で成功してやるぞ」と思い続けてきました。ブンナが椎の木のてっぺんに登った心境です。そしてもうひとつ大切なことは、人間が生きていくということは、助け合うしかないということ。すでに直木賞作家として大成していた水上先生が、偉そうに説教をたれるのではなく、子どもの目線で書いている。そこに大きな感動がありました。けれどもこれは絶対に大人の芝居にしたいと、直観的に思いました。

水上さんに舞台化の許可をもらいに行かれたときのことを教えてください。水谷内さんと水上さんの写真
先輩の藤野さんと私とで、ご自宅に伺いましたが、それは緊張しました。有名な演出家や役者が芝居にしたいと言っていたにもかかわらず、私に任せてくれた。同郷(福井県)のよしみもあったのだと思います。

実際の舞台は、いかがでしたか。
できたてホヤホヤの原稿を持って挨拶に出向いたのは、舞台化の許可をとりつけてから6年後の話です。ドキドキして戯曲の生原稿を差し出すと、「お前に任せたんだから、台本になってからでいいよ」と一言。かえってプレッシャーになりました。「こんな子どもじみた芝居はダメだ…」という劇団内部の反対の声をおしての上演だったこともあり、初演の日の高ぶりは、今も鮮明に記憶しています。結果は幸い、尾崎宏次氏をはじめ著名な演劇評論家が一様に驚きの声を上げました。水上先生に至っては「脱帽だよ」と言ってくださり、感激しました。役者は当然として、脚色・小松幹生、演出・篠崎光正、装置・加藤義夫、音楽・樋口康雄、振付・金森勢というプランナーと製作の同僚・住田素子のおかげです。

国内外で評価を得、再演を重ねてきましたね。
初演の4年後には、日中文化交流協会の演目として『華岡青洲の妻』(文学座)と共に中国へ渡り、大成功をおさめることができました。ロシアやアメリカでも上演し、素晴らしい評価をいただきました。その後、青年座のオリジナルとして全国各地で公演。日本では『放浪記』の1900回は別格として、1000回を数える舞台は珍しいんです。初演を演出した篠崎光正君が退団後の1985年には、水上先生自身をくどいて戯曲として書き下ろしてもらいました。振り返れば『ブンナよ、木からおりてこい』は、篠崎、宮田慶子、鈴木完一郎、黒岩亮の演出によって、その時代と真正面に向き合い、同時代を生きる観客とあいまみえ、ステージを重ねてきたことになります。これほど息の長い上演が続くとは、水上先生はもちろん、私自身、当初は思ってもみなかったことです。

多くの人々に愛され続ける理由はなぜでしょう。
水上先生は常々、「後世に残るのはブンナだよ」とおっしゃっていましたが、いかに『ブンナよ、木からおりてこい』が普遍のテーマを持っているかということです。それは万国共通、夢を持って生きるということ。昨今の親と子、青少年を交えた殺伐として悲惨な事件は目を覆うばかりです。「人の命」がこれほど軽々しく弄ばれる時代に私たちは直面しています。こうした中で『ブンナよ、木からおりてこい』は、生命の尊さ、生きることの素晴らしさを伝えてくれます。それは、演劇が持つ豊かな表現をひとつの劇空間で共有することで生まれるのです。劇の写真

水谷内さんから見た水上勉さんは、どんな方ですか。
憧れを超えたスゴイ存在。眼光鋭く睨まれたら、一瞬にしてすくみます。水上勉イコール、強烈な「ブンナ」です。北陸・若狭の閑村に生まれ、食べるものも着るものも、本一冊もない家に育った水上先生。だから『ブンナよ、木からおりてこい』だし、数々の水上作品には、その血が脈々と流れています。頭の構造も常人ではありません。憎らしいときもあるけれど、とてつもない魅力を持った人。女性を描ける作家としても有名でしたが、その根底には必ず「おっかさん」がいます。口減らしのために9歳で禅寺に小僧に出されたことが、かえって母への思いを完全なものにしたのです。水上先生が小説を書く秘密のひとつが、そこにあると思います。

演劇製作者として40年も続けられた理由は何ですか。
もともとのめり込むタイプだったということと、自身には残念ながら芸術家としての才能がなかったからでしょう。芸術家の好奇心に比べたら、私なんか「スノップ」にもなれない程度のもんですが、製作者としては、そういう芸術家と対等に物が言えないとダメなんです。友人の西田敏行君もハンパじゃない才能とオーラを持っているし、長年、水上先生の『はなれ瞽女おりん』を一緒につくってきた有馬稲子さんも、紛れもない大スター。そういう連中とああだこうだやりながら、ひとつの芝居をつくり上げるのだから面白い。製作者としては、一人でも多くの観客を集めて舞台を成功させることが使命。毎舞台が勝負です。

『ブンナよ、木からおりてこい』を含め、青年座の今後について教えてください。
オリジナル作品をどんどんやっていきます。4月の『ねずみ男』(作・赤堀雅秋/演出・黒岩亮)に続いて、5月は『評決│昭和三年の陪審裁判』(作・国弘威雄・斉藤珠緒/演出・鈴木完一郎)。11月にはマキノノゾミ傑作集「文人三部作連続上演」と題し、寺田寅彦を描く『フユヒコ』、坊ちゃんの「赤シャツ」を主人公にした『赤シャツ』、与謝野鉄幹と晶子、石川啄木を描いた『MOTHER│君わらひたまふことなかれ』を1か月公演でやりますので、ぜひ観に来てください。『ブンナよ、木からおりてこい』は昨年、文化庁国際芸術交流支援事業として中華人民共和国文化部の招聘を受け、北京と南通で上演させていただきましたが、今年は上演しません。近々の再演が求められていますが、ぜひ「お母さん大学ブンナプロジェクト」ともジョイントしたいですね。それから、ひとつの夢としては、新国立劇場に世界各国の『ブンナよ、木からおりてこい』を集めること。『ブンナよ、木からおりてこい』はライオンキングなどと同様、世界に通用する物語です。ぜひ実現させたいですね。

最後に水谷内さん自身の夢を聞かせてください。
職業柄、月に30通もの招待状をいただきますが、全部観ることなど到底できません。自分でお金を払って、好きな芝居を好きなだけ観るようになりたいですね。それから、中学生時分から続けている「ランニング」を死ぬまで続けること。年4回出場しているレースでは、毎年少しでもタイムを上げていきたいですね。4月の「かすみがうらマラソン」(茨城県)では、昨年のプライベートタイム3時間52分を、1秒でも縮めたいと思っています。

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