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今月の特集 編集部注目のこの話題

今月の特集 編集部注目のこの話題!

LIVE LIFE 2007年8月号
飲兵衛の絵本を読む会

「飲兵衛の絵本を読む会」は、企画した藤本編集長自身も「どうなるかわからない」という状況の中で始まった。メンバーに共通するのは、好奇心旺盛、それぞれ豊かな人生経験を持ち、かなりの博識家であること。いわば、良いも悪いも個性派ぞろい。困っている人を見たら放ってはおけず、手も出し、口も出すというサービス精神と機知に富んだ5人。「藤本編集長の依頼なら断るわけにはいかない。どれ、ひと肌脱ぐか」とお集まりいただいた。

田島征彦さんと

そんなおじさんたちが「絵本」をどう読むか、こちらも興味津々。机上にドーンと山積みしたのは、田島征彦さんの絵本20冊。田島さんとは先頃ご縁があり、淡路島の自宅を訪問し、寿司屋で美味しい酒と魚をご一緒させていただいた。取材も仕事の依頼も「ちゃんと絵本を読んでから来ない人の話は聞かないよ」の言葉に、「すみません。まだ『じごくのそうべえ』しか読んでないんです」と言いながら、数十冊の本をまとめて購入させていただいた。

順序が後先になったものの、田島さんがどんな思いで、どんな風に絵本をつくるかをさわりだけでも聞いていたことも手伝って、読む本、読む本、どれも面白くてたまらない。寿司屋でのちょっぴりお酒の入った、人懐っこい田島さんの笑顔を思い出しながら、「絵本の世界とは無関係のおじさんたちが絵本を読んだらどうなるんだろう?」という好奇心が噴出し、この「飲兵衛絵本の会」の企画が実現したのである。

絵本がなかった時代

何しろ、かつて学校の先生をされていた加藤さんを除き、生まれてこの方「絵本」を手にしたことがないという4人のおじさんたち。「絵本を読む会」への期待と不安(編集長の期待に応えられるだろうかという)でいっぱいのご様子。

開口一番「ぼくらの時代は、こんな絵本なんてものはなかったね。あったのは、漫画の『のらくろ』と紙芝居。寝るときは、子守唄とおとぎばなしと相場が決まっていた」という小林さんの言葉に皆が反応し、「紙芝居にはノスタルジーがあるね。『黄金バット』に感動し、水アメの味は格別だった。あのときの情景はいまだに鮮明に覚えている」「ぼくらはきょうだいが多かった。生きていくのが精一杯の時代だから、母親が本を読み聞かせるなんていうゆとりもない。せいぜい『かちかち山』か『ももたろう』だよ」と、ひとしきり懐かしい子ども時代の話で盛り上がった。

さて、そうこういいながら、生まれて初めて「絵本」を手にしたおじさんたちは、興味深げに次々と異なる絵本を手にし、読み始めた。

鬼は男か、女か?

「それにしても、ここに出てくる鬼たちは、どれもみんなやさしい顔をしているよね」「そうそう。絵がいいねえ、何ともいえない表情しているよ。これなら子どもも鬼が好きになる」「鬼って、男かな、女かな?」「普通は女じゃないの?」「わが家にも一匹いるいる。皆さんの家にもいるんじゃないの。結婚するときは『角隠し』で隠してたけど、角が出てきたらこわいのなんのって」「その点、男の鬼は愛嬌がある。酒呑童子なんてかわいいもんだ」「それにしても、鬼のお腹の中は楽しそう。三途の川を見てきた人もいるというが、鬼のお腹に入れるもんなら入ってみたい」「けったいな4人を飲み込んでえらいめにあう鬼の表情には、思わず笑いがこみあげてくる。文字を追うと理屈でものを考えてしまうが、絵は理屈抜きで訴えてくるからいいね。悪い奴もかわいく思える。教訓を書いた色紙を飾るより、この絵を額に入れて飾っておきたい」「ぼくら人間は生きていく上で、ちょっとやそっとの悪事は働いてきた。あの世に行って閻魔大王の気まぐれで『じごく』か『極楽』かとやられるのかと思うと、たまらないね」と、何やら感慨深げに語りだした。

読み語りの難しさ

『じごくのそうべえ』はもともと落語だけど、人情の機微や社会のルールやマナーをさりげなく描いているところ、オチがあるところなど、どの話も落語と共通するところがある」「関西弁が何ともいえず、人間くさくていいね。こういうのは、やっぱり読み語りがふさわしいんだろうね」。

読む人がストーリーを頭に入れて、聞く人の様子を見つつ、間をとりながら読むのが、「読み語り」。こう語るのは、メンバーの中で唯一「絵本」に親しみがあった加藤さん。もともと中学校の教師だった加藤さん、後半の14年間は、教職を目指す大学生の教師として、またここ数年は「老人大学」で高齢者向けに、絵本や童話の読み語りをしているという。

いまどきの学生はなかなか授業に集中できないため、決まって講義開始の10分は、読み語りなどをしていたという。話術ではなく、自分自身の心を必要とする「語り」の難しさを説いた。

「読む人が感動していなきゃ、読まれたほうはちっとも楽しくないだろう」「だが、本人が面白ければ、これはもう、実際の本と台詞が多少違っていたっていい」「それに、読む人と聞く人の信頼関係も大事だな、きっと。子どもがお母さんの読み聞かせに感動するのも、根本はそれがあるからなんだろうね」と妙に納得した面々。

ふんどしのこたろう

さらに『こたろう』という一冊を囲んで何やら大騒ぎ。「表紙の絵がいい。ふんどしと、こたろうの凛々しい表情に惹かれる」という。「ふんどしなんて何十年ぶりだ。やっぱり男はふんどし締めてなんぼ」「子どもの頃、川でおやじの越中ふんどしにつかまって、必死で泳ぎを覚えたもんだ」「越中ふんどしと六尺ふんどしがあって、うん、まあ早い話、おむつと一緒だ。除湿効果にすぐれ、これに勝る快適さはない」「『てんにのぼったなまず』もふんどしがテーマだな。田島先生はさすが。男のシンボルを理解している。田島先生に絵を描いてもらって、ふんどしをつくったらどうだ。若い人が締めたらファッショナブルでかっこいい。ぜったいに受けるよ」と、異様な盛り上がり。おじさんたちのふんどしへの思いは、並々ならぬものがあった。

最後に、「『こたろう』の面白さは、大胆な仕掛けにある。地面の中に落ちたこたろうが、どんどん下に落ちていってどこまでいくんだろーと思っていたら、地球の反対側の空に出てきたという話。ストーリーを追いながら、本をぐるりと回転させる。絵本にはこんなこともありなんだなぁ」としめくくると、別の人が、「話がよく締まったところで、ふんどしとこたろうの話はおしまい」とオチをつけてまとめてくれる。やれやれ、手がかかりそうでかからないおじさんたちである。

ファンタジーの世界

お次は『なかおかはどこぜよ』を手にした久保田さん。「ぼくは大阪に5年間ほど住んだことがあるから大丈夫」と立ち上がったものの、主人公の坂本龍馬は高知弁。つっかかりもご愛嬌よろしく、身振り手振りでなりきって演じた読み語りに、やんやの喝采が起こった。続いて、ご指名もなしに小林さんが『そうべえまっくろけのけ』を読み始めたところで、「これほど気持ちのいい『読み語り』というのは、カラオケにも相通じるもの」と確信した。「『おつきさまが病気です』っていうここ、ねっ、いいでしょう。この染色の風合いが何ともいえない」「じごくと極楽からがらりと変わって舞台は天空。絵本は、漫画とはまた違ったファンタジーの世界があっていいね。この奇想天外なストーリー、冒険物語としては最高だ。夢があるね」。

残酷さを学ぶこと

「田島作品に共通しているのは、善人ばかりが出てくる、おもしろおかしい物語ではなく、必ず悪人が登場し悪事を働いたりして、主人公がこわい思いをする。これがひとつの作者のメッセージじゃないか」と問題提起をしたのは岩佐さん。おとぎばなしや寓話もそうだ。『赤ずきん』や『おおかみと七匹のこやぎ』『さるかに合戦』にも残酷なシーンがある。今は教育的配慮で、やれ残酷だ、差別だと、そういうシーンをカットしたり、物語自体を変えて子どもに与えたりしているが、それはどんなものか。物語の中では、世の中の善と悪を描き分けることにより、悪いことをした者にはそれ以上の仕打ちが必ず待っている。それはまた、人間は誰しも「善」と「悪」という両方を持っているということを伝えているのだろう。

「子どもの無邪気さは残酷の裏返し。赤ん坊は泣きたいときに泣くし、小さいときは虫だって何だって平気で殺してしまう。つまり、本能で生きてるんだよね。大人になると同時に、世の中の常識にまみれて道徳的になってしまうのは、ピュア(無邪気=残酷)でなくなってしまうともいえるね」「今の子どもたちはきょうだいげんかもしないし、カエルやトンボをつかまえて殺して遊んだりもしないから、残酷なことや危険なことを体感していない」「かえって子どもは5歳くらいまで、好きなことをどんどんさせたらいいんだよ。殴り合いのけんかをしたり、生き物を殺したり、泥を食べたり、人のものを取ってしまったりと、自然と社会性を身につけ、コミュニケーションの仕方を学んでいく」「かわいそうに、今はそうしたくてもできないから、現実社会で善悪がイメージできないんだろう。命の尊さや人への思いやり、そんなことをどこかで教えないといけないね」と延々と話は続き、次世代を思うおじさんたちの熱さといったらない。

そして飛び出したのが、こんな台詞。「ひと月前に長男のもとに跡取り息子が誕生した。この世で一番美しいのは、赤ちゃんを産んだときの母親の笑顔。そして親父は、持て余すような若いエネルギーを発散して一生懸命に働いている。『さて、じぃじとばぁばにできるのは何か?』と妻と話したばかり。これからは絵本の読み語りでもするか」と目を細めて話す小林さんの孫誕生を祝して、皆で乾杯!

いい絵本との出会い

子ども時代の遊びや生活の中でのさまざまな感動体験がないことが、今のような子どもをつくってしまっている。地域や家庭が失われた今、「子どもの心を育てる」と同時に「心を開放する」場(機会)がなくなった。そういう意味では、今改めて、こうした絵本を読むという疑似体験を通じて、人間の命や心の大切さを学ぶことが必要なのかもしれない。昔も今も、感動する心や価値観、自然観、人間性、社会性、想像力などを育てること。すなわち、子どもの世界観を広げる「いい絵本」との出会いが大切なのである。

さらに、「ゲームやインターネットは別として、活字文化を見直すことはできても、本当に『いい絵本』と出会えるか、という点も問題だ」「いい絵本が必ずしも、読んでほしい人のところに届かない。それに、母親が子どもにとってのいい絵本という価値判断ができるかといえば、そうでもない」「ぼくらにしても、毎日情報の洪水を浴びてはいるが、このような絵本を見る機会もなく、平然と生きてきた」「きわまてマクロ(巨視的)だけど、今、人間が丸みを帯びてきて、おもしろくなってきたといえる。環境や資源問題と同様に、誰もが真剣に考えるべき問題が、子育てだよね」「日本の将来を立て直す意味でも、母親はもちろん、シニアを含めたすべての人々が、改めて、子どもたちに伝えていくべき本当にいい情報について、考えなくてはならない時期だ」「簡単にいえば、売れない本をどう売るか。難しい話をどうわかりやすく伝えるか、に尽きる。まさにこれは、お母さん大学の仕事だな」とふられた。

シニアのための絵本

最後は「死生観」の話になった。

「偶然かもしれないが、昨日97歳の妻の母親を見送った。一昨日は、親せき家族一同、母の思い出話に花を咲かせて楽しく酒を飲み、昨日は妻と2人で骨を拾った。きっと母は、あの世で父に会えて、今頃喜んでいるに違いない。つくづくいい人生を生きた人の葬式は悲しいんじゃなくて、楽しいもんだと思った」と加藤さん。「理想のピンピンコロリは無理にしても、床に伏せてから5年7か月というデータがあるが、これは長すぎるし、生に対する執着心もある。がしかし、死後の世界も悪くないと思えるようなイメージづくり。我々シニアのために、死への恐怖を克服できるような絵本を田島さんに描いていただきたい」「そうすれば、葬式は黒白じゃなくて、紅白幕だ。じごくのそうべえのじんどんきが『ようこそ』なんていってる、ふんどしの垂れ幕もいいね」と話がオチて、おあとがよろしいようで。

田島征彦さんの絵本

 

「田島さんの絵本を読んで」

絵が先なのか、言葉が先なのか? 私は、自分が発したこの問いに、絵が先だと言い放った。翌日、私は都合の悪いことに気がついてしまった。この問いは、作者にも答えにくいのではなかろうか? もともと作品のイメージというのは、絵と言葉が混然としたなかで着想されるはずだからである。

童話の作家が物語を生むときも、言葉と像が混然としたイメージを抱き、そのイメージを吟味、研磨し、言葉という単一の表現形式に収斂(具象化)するように、絵本の作者は、着想されたイメージを、絵と言葉という2つの表現形式に収斂するのではないだろうか。とすれば、この問いは不毛の問いでしかないことになる。

それもそうだが、それはさておいて…。この問いは、私に厳しい示唆を与えた。まるで「地獄のそうべえ」の中の、情け深い?大鬼の叱責のように、「読むんじゃない、感じるのだ!」と。無邪気、無心に感じるままでよいということではないのか。無邪気、無心というなら、知性と感性の区別が意識されない、まさに動物的な直観の世界にほかならない。大人が絵本や童話を読む難しさは、ここにあるのではないかと思う。

絵が先なのか、言葉が先なのかを問うのは、大人だからに違いない。そして、この問いを発したことによって、私は、絵本や童話の読み手にはなれない自分に気づいた。

藤本編集長にすすめられて、田島さんの絵本を読ませていただいたが、どうやら狙いは、私に古びた大人であることの自覚を求めておられるのではないか、という気がしてならない。

(手塚俊孝)

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