オババの育児日記 たっくんに完敗ものがたり
神聖なるおっぱい、断乳の儀式
いつの間にか、たっくんはママのおっぱいを飲まなくなった。ここのところ何となく急に、顔もしぐさもお兄ちゃんっぽくなっている。最後におっぱいを飲んだ日を、娘は覚えているのかな? そう思うと何だかとても名残惜しい。
「たっくんはもう2歳、お兄ちゃんなんだからおっぱいは飲まないんだよ」と、人間界のルールを当たり前に教えられるが、考えたら、そのルールは、誰が決めるのだろう。
最近つくづく思うのだが、子どもが飲みたがっているなら飲ませたらいい。親子の間には、育児書も医者も入れない「特別な関係」があり、ママが断乳したい時期と、子どもがおっぱいを必要としなくなる時期との絶妙なタイミングを、母親の感性で見極められたら、親子で幸せだろうな。
振り返れば、私にはその瞬間も何も、感じる感性もなかった。あ〜、もったいないことをしたなと、今さら後悔しても、あの頃には戻れない。
実はたっくん、まだおっぱいから離れられない様子で、今も寝るときにはママのおっぱいを触りながら寝ている。ところが、娘が「たっくん、飲んでもいいよ」と言っても2〜3回だけ吸って、すぐにやめるらしい。ほらね、飲んだらダメと言わなくても、ちゃんとわかるんだね。
断乳のとき、子どもは「おっぱいを飲まないことが、偉いこと」と教えられる。ママから「偉いね」と言われることが、子どもにとって一番うれしいこと。いつだって子どもは、ママの笑顔が大好きだから。
オババになってわかることがたくさんある。けれど、オババになってからでは遅い。人生(子育て)は、うまくいかないもの。だから、子育て中のママたちには、もっと感性を豊かにして、体の底から子育てを楽しんでもらいたい。
先日、たっくんと編集部のベランダで家庭菜園に挑戦。スコップで土を掘りながら、うれしそうなたっくん。次に、たっくんの手の平に小さな野菜の種を乗せた。たっくんはそれが何かもわからないが、大切なものであることは感じている様子。大事そうに一粒一粒、土に蒔いていた。何か特別な仕事をしたような、満足そうな顔。水を遣るときも、大事そうに、心を込めてやっていた。
2週間後、芽が出た。土から生えてきた芽をたっくんは愛おしそうに見ていた。次の週、その野菜を収穫。お皿に乗ったその野菜をパクリ。たっくんの心も一緒に耕されているような気がした。







