八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー

八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー

2009年8月号

母郷に通じる海、不知火

不思議な出会いだった。

水俣病が公式確認された年(昭和31年)に、私はこの世に生を受けた。生まれ育った町から、3時間ほどの距離にある小さな町で起きた事件。50年以上も無関心だった私が、水俣という町に、この夏、初めて訪れた。

きっかけは、石牟礼道子著の「苦界浄土」という作品。日本の近代化がもたらした「負」の象徴である水俣病を、人間の魂を通じ文学作品として描いていた。私はそこに、なぜか包み込まれるような母の胎内を感じた。

水俣の本を少しばかり読みかじり、水俣の町を旅したからといって、真実などわかるはずもない。けれど、不知火の海に、自然と導かれている自分がいた。

胎児性水俣病…。水俣病は、工場排水に含まれた毒物「有機水銀」が海に流れ、魚や貝を経由。つまり食物連鎖により起きた病気である。医学的には「胎盤は毒物を通さない」のが通説だったが、水俣病は、それを完全に翻した。胎児は、母が食べた毒物を母の体に宿らせず、自らの体で吸収したというわけだ。

大好きな母を、子が守ったのか。生まれながらに、水俣病の子どもたちは一歩も歩くことができず、母に抱かれたまま死にいくか、水子として流れていった。

日本は豊かな経済国となったが、人が人として生きることができない社会が、本当に豊かといえるのだろうか。国は少子化を緊急課題としながら、子どもを産み育てる母親の体と心を、どれだけ守っているだろうか。たとえば今、流産の割合や原因について、どこまで明確に調査されているのか。とても無関心ではいられない。

今は埋め立て地となった、水俣湾入口の明神崎に建つ水俣市立水俣病資料館でのこと。同行した4歳の孫が、「早く帰ろう」と落ち着かない。明らかにいつもと様子が違う。そしてこう言った。「ねえ、ここにいると、涙がなくなっちゃうよ」と。字も読めない孫の心に、水俣の人たちの魂の叫びが届いたのか。そしてさらに、娘が帰る日に突然、「ねえ、もう1泊できないかな。もう少し、この町にいたいな」と呟いた。

あれから50年。水俣の海は今、どの海よりも美しく、そこに住む人々は、誰よりやさしく感じた。水俣には、母を感じる何かがある。海は母の涙…。水俣の人々の涙が、この海を浄化したのかもしれない。

その日、不知火湾の夕陽に続く一本の道がぼんやり見えた。

(藤本裕子)

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