八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー

八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー

2008年11月号

誕生日は母を思う日

誕生日は、私たちが、この世に「生」を受けた日。それは、自分を産んでくれた母の苦悩と悦びの日だ。とてつもない不安と苦しみの中で産み出される「小さな命」。何億万分の一の確率で誕生する命は、まさに奇跡の塊だ。

本紙3頁に掲載中の「誕生日に母を語る」。誕生日に自分を産んでくれた母を思い、感謝しようという企画だ。多くの母親たちが母を思うきっかけとし、改めて子育てを考えたり、自分の存在の意味を考えたり。 が、母への思いは、いいことばかりとは限らない。自分を産んでくれた母に感謝できないという声も少なくない。中には母親を恨み、自分の誕生さえ認めない人もいる。ずっと母親との確執に悩みながら、母とは何かという闘いに、もがき続けている。

私には、どこからかわからない囁きが聞こえてくる。「だからこそ、母を思うのだ」と。 母と子。現代の医学では解明できないほどの「魂の作業」が繰り広げられ、十月十日(とつきとおか)という短い時間の中で形づくられる、実に不思議な関係。一つの生命体がつくられていくその過程に生命の神秘を感じたら、自分が今、ここに生きていること自体が奇跡であり、神の仕業以外の何物でもないと確信する。

母と子は、見えない糸でしっかりとつながっている。たとえ臍の緒が切れても切れない、そのつながり。母との間にある溝を、埋められないまま生きている人。その溝が深ければ深いほど、母とのつながりは深いのかもしれない。 私の母は、20年も前に他界した。生きている母から学んだことは何もなかった(と思っていた)。しかし、亡くなってからというもの、事あるごとに、さまざまなことを、母は私に教えてくれる。何をどう判断し、どっちの道を選ぶのか。無意識の私の選択の中に、いつだって母は生きている。

そしてそればかりか、私が祈っているときには必ず、後ろに母を感じるのだ。時には「大丈夫よ」という母の囁きさえもはっきりと。 

母は、死んでからも、永遠に私を守ってくれている。せめて誕生日には、私を産んでくれた母を思い、花を飾ろう。母が大好きだった花を…。

(藤本裕子)

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