八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー
物事の本質がわかる人間に
スタッフAには、中学3年生になる息子がいる。先日、学校の授業で、興味のある新聞記事を切り抜き、コメントを書いて提出するという課題が出された。
彼は「朝日」や「読売」新聞ではなく、『リブライフ』の「少子化」についての記事を切り抜き持参した。それが失敗だった。さらにコメントには、「少子化の原因は、お母さんの意識」と書いた。リブライフに、そう書いてあるからだ。ところが戻ってきた回答用紙には、大きく「C」とあり、「母親だけの問題か考えてみよう」とコメントされていた。息子は、その宿題を母親に見せずに、黙って机の中にしまった。偶然その回答用紙を見たAは、息子がそのことを何も告げずにいる意味を考えた。
「父親にも、社会にも問題はある」と先生は言いたかったのだろう。「そんなことは当たり前であり、究極の答えを息子は書いたのだ」と先生に抗議したい気持ちを抑え、息子にも「この答えはどういう意味で書いたのか」「この採点について、先生に抗議しなかったのか」と尋ねたい気持ちはあったが、胸におさめたというA。
学校では「教育に新聞を」というキャッチフレーズの、新聞を活用したNIE(newspaper in education)という学習活動が盛んである。数年前、あるNIEのシンポジウムにパネラーとして参加したときのこと。同席した先生(新聞関係者・有識者)方に、「NIEの活動に、大手の新聞だけでなく、地域やミニコミ紙も活用してほしい」と語った。が、「地域の新聞やミニコミ紙となると、どれが正しい新聞かわからない」と言われた。
それを判断するのが教師の仕事だろう。しかも大手の新聞であれば、間違いがないというのか。とんでもない。間違いどころか、政治や経済に操作された記事のなんと多いことか。教えるのであれば、新聞の記事だって正しいかどうかわからない。事実と真実は違うのだということまでを、子どもたちに教えてほしい。
ノンフィクション作家・柳田邦男の著書『人の痛みを感じる国家』(新潮社)に、こんなことが書かれていた。
ある障害を持った子どもが就学時検診で、先生から質問をされた。「お父さんは男です。では、お母さんは何ですか?」と。当然、答えは、「お母さんは女です」。しかし、その子は、こう答えた。「お父さんは男です」、そして、「お母さんは大好きです」と…。もちろん、答えは×。けれども「お母さんは大好きです」は、その子にとっての真実であり。十分に物事の本質をあらわしている。それをただ×とするのが今の教育だと、柳田氏。
同様に、リブライフの「お母さんの意識」も、18年間、子育ての現場で必死で活動してきた母親たちが、感じて書いた言葉であり、物事の本質以外の何物でもない。
さて、そのことを母に言わなかった彼の気持ちは深い。だからこそ、母も何も言わない。
子育ては深い。それを教えるのが、真の意味での教育だと、私は思う。







