八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー
蛙になってわかったこと
「お母さん大学宣言!」以来、ますます自分が変わりつつあることに気がつく。たとえば一つひとつの出会いや事柄を丁寧にとらえ、考えるようになった。肩書きや見た目の判断ではなく、物事の本質を見るようになった。周りの評価ではなく、すべては自分に問いかけるのだ。
「お母さん大学」は損得ではなく、絶対に必要なこと。大事だからやるだけ。あとはどれだけ楽しんでやるかなのに、意味もないことに悩んでいた。そして、悩んでも誰も助けてはくれないことも学んだ。いつだって答えを出すのは自分である。
「お母さん大学とは、お母さんを感じるプロジェクト」と言ったら、「こんなに毎日、母親をしているのに、まだこれ以上母を感じるなんてしんどい」という人がいた。
これが現実の子育て社会。いや、母親たちが感じているのは、本当の子育てではない。子育てはもっと楽しくて偉大なもの。もし、多くの母親たちがそのことに気づいたら、どんなに素晴らしいだろう。それこそ、生きている自分を感じ、喜びに満ちた人生になる。そのことをより多くの人に伝えるのが「お母さん大学」である。
母親を教育するとか社会を変えるとか、そんな欲深いことではない、もっと心地いいこと。
うれしいことに「お母さん大学宣言!」に対し、「何かできることはないか」とたくさんの声をいただいている。中には、これまで(仕事ばかり)の人生を悔い、懺悔?の意味を込めて「何でもやります」というシニアも多く、「お母さん大学」に懺悔事業部ができそうな勢いである。
面白い話がある。今号で紹介する清野友義氏の『ブンナよ、木からおりてこい』(原作・水上勉)の中に、明日にでも鳶のえさになろうかという蛇や鼠や岩蛙たちが、捕われの身同士で「母を自慢し合う」シーンがある。それぞれが母を語ると、何ともいえないやさしい空気がその場を包んだ。数時間後には鳶のえさになるやもしれぬ状況下で、母を感じる生きものたちが共感(饗感)し合うことのすごさだ。
しかし次の瞬間、蛇が鼠に食いついた。残酷だが、生きていくということはそういうこと。どんな生き物にも母親がいて、それぞれに命の大切さを伝え、生き様を見せては死んでいく。しかし人間はどうだ。果たして、母親としての、その大切な使命を果たしているのかと、作者の心の叫びが聞こえる気がした。
ブンナは蛙。物語でブンナは、生き物たちの語らいを穴の中でじっとして聞いている。物語を読み進めるうちに、私はいつしかブンナになっていた。
清野氏が子どもと共感(響感)する中で感じたものは、これからの時代に絶対に必要なもの。
清野氏いわく「お母さん大学」は老若男女響学。大いに学ぶこと。楽しい学びの場を一緒につくりませんか!







