八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー
恥じる文化の復活を
日本中を震撼させた福島の母殺しも、特別な子どもが起こした事件ではないという。普通の家庭に育った普通の子どもに一体何があったのだろう。
耳を疑いたくなる、目を背けたくなる事件が連日のように起きている。何度も繰り返し報道されるこうした事件を、子どもたちはどう見て、どう感じているのだろう。
同じ頃、赤ちゃんポストに3歳の子どもが入れられた。マスコミの赤ちゃんポスト是非論に一層拍車がかかった。赤ちゃんポストがあれば「子どもが命を落とさずに済む」。いや、「子捨てを助長することになる」と…。この報道にはなぜか合点がいかなかった。それを語る前にすべきことがある。そんなものをつくらなければならない社会にこそ問題があるとは、誰も語らない。発信すべき情報は、もっとほかにあるし、できることもたくさんある。そのことに気づかなければ、何の解決にもならない。
「まさか、3歳の子どもが捨てられるとは…」と国のトップは口にしたが、この発言がどれほど愚かなことか。赤ちゃんならば、ポストに入れられていいのか…。大人の身勝手な論理。
昔の人は「子は宝」と、大事に大事に育てたもの。そこには、かけがえのないものへの愛おしさや慈しみの心があった。大切なのは、家族であり、愛であったはずが、いつの間にか、カネや名誉に変わっていった。
生きることに必死だった時代。人々は命を尊いものとし、大切にした。戦争当時、息子を戦地に送る母の心境など想像に及ばない。その母は、自らが生きている限り、必ずや世界平和を祈るだろう。
「人の痛みを感じない」今の日本をつくったのは、政治家でも誰でもない、私たち自身。美しい日本を語る前に、その貧しい心を、恥じなければならない。
ベートーヴェンオーケストラの『田園』を目の前で聴いたとき、楽曲のあまりの美しさに心が騒いだ。人々の心を感動させるものは何か。それぞれの楽器が放つ音色の美しさはもちろん、80名の演奏者が一人として我のみを主張せず、絶妙なハーモニーを奏でる様。仲間との「間」、そして指揮者と楽員一人ひとりの感性の共鳴だ。
森の中に立つと、同様の感覚を覚えて不思議に思った。木々の立ち姿に惚れ惚れする。なるほど、周囲と一定の距離感を保ちつつ、バランスよく根を張り、葉をつけている。その美しさは、まさに芸術といえるだろう。与えられた環境の中で、お互いが生きていくための秩序とルールによって、ごく自然に共存している美しさである。
今の社会は、そのバランスが見事に崩れてしまっている。水や土、陽の光。それらを与えられることのない子どもたちが、飢えていくのは当然だ。子どもたちの心がどんどん冷めていく。どんどん凍っていく。
子どもたちは、本来、よく生きるために生まれてきたはずなのに…。







