八面六臂 藤本裕子の辛口エッセー
師走の虚しさ
毎年師走になると、複雑な気持ちになる。あれもこれも終わっていない、やるべきことができていないと焦るのだが、最近、とくにそう思うようになったのは、歳のせいかもしれない。
ここへきて、悲しい事件ばかりが心に残る。毎日のように、たくさんの子どもたちが自ら命を絶っている。大切な命が一瞬のうちに消えていく。親御さんの気持ちを考えると、いたたまれない。どれだけ悲しんでも、どれだけ悔やんでも、愛するわが子は戻って来ない。
11月初め、文部科学大臣宛てに届いた、自殺をほのめかす一通の投書。幸い予告された通りの自殺は確認されていないが、それをクローズアップしたマスコミのおかげで、連鎖的に自殺が相次いで起きてしまった。相変わらず、地方自治体や教育委員会宛ての投書が後を絶たない。それが子どもたちの本当の心の叫びなら、そこに届けても意味がないことを、伝えたい…。
学校で子どもが自殺したその日に、山形の教育長らが宴会をしていたという。本来なら許されざる行為なのに「そんなもんだろう」と思える。もはや、信じるものなど何もない。子どもたちのために本気で考える教育委員会があるのだろうか。この緊急事態に成すべき行動もとれず、語るべき言葉も持ち合わせていない。そもそも、命の大切さを教えられない、そんな教育委員会なんて、事なかれ主義なんて、まっぴらご免だ。
いじめ問題が深刻化するイギリスでは、いじめた子どもの親への罰金制度(約22万円)が検討されている。国民性の違いといえばそれまでだが、お金さえ払えば、その罪は消えるのだろうか。ルールで管理することはできても、モラルの向上にはなり得ない。日本では、標語を並べる団体や批判するばかりのメディアが目立っている。即座に具体的な対策を講じるという点では、いじめ問題を深刻にとらえているとみるべきかもしれない。
その昔、いじめをしていたという、ある人が語っていた。「友だちをいじめたことは、一生涯、自分の中で消えるものではない」と。その気持ち悪さに、今でもうなされる夜があるという。
いじめることが楽しいと、本気で思う子などいるはずがない。心から愛された人間は、人を簡単に傷つけたりはしない。だとしたら、いじめる子どもの心にもたくさんの傷があるのだろう。
今の子どもたちの問題責任は、すべて私たち大人にある。だとしたら、まずは自分が変わることだ。日本中の子どもたちを救うことはできなくても、せめて自分の、隣の家の子どもを救うことはできるだろう。







